初めての課外活動は屋内釣り堀
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
翌日。
学級委員の作業が長引き、里香は少し遅れて部室に到着した。
「……遅くなってごめん」 そう言いながらドアを開けた瞬間、思わず言葉を失う。
棚の下から1段目には駄菓子がぎっしり。
2段目には 「ざんねんないきもの」 が何冊も並び、
3段目には昨日先生が持ってきた 『釣りキチ二平』 の全巻が整然と収められている。
そしてその上段には、ミニミニアニマルの動物ぬいぐるみが可愛らしく鎮座していた。
「……なにこれ」 里香は絶句。
さらに視線を移すと、なぜか部屋の片隅には冷蔵庫が置かれており、
極めつけには壁際にモニターまで設置されている。
「……完全に、目的不明じゃない」
釣り部のはずの部室は、すでにカオスな空間へと変貌していた。
「ちょっとこれは一体どういうつもりな──」
里香が思わず声を荒げかけた、その瞬間。
「里香姉、鱒釣り部の記念すべきスタートに乾杯しようよ!」
満面の笑顔で割り込んでくる明宏。
その横で愛生も同じようにニッコニコ。
一方、穂乃花はというと……いつものように、ただぼーっとしていた。
言葉を失った里香が唖然としている間に、
明宏はテーブルの上に 「ガリポリらーめん」「うまい棒」「悪ガキびぃる」 を次々と並べていく。
「……はぁ。仕方ない、座るか」
観念したように椅子に腰を下ろす里香。
4人がそれぞれ席につく。
愛生は膝の上にぬいぐるみを抱え、
明宏はにこにこ笑顔を崩さず、
穂乃花はやっぱりぼーっとしていて、
里香だけが深いため息をついていた。
「さぁ、鱒釣り部スタートを祝して、乾杯!」
明宏が勝手に音頭を取り、紙コップを掲げる。
「……って、今日で部活2回目じゃないの?」
呆れ顔で突っ込む里香。
「細かいことは気にしない!」
悪びれることなく言い放つ明宏だった。
「カンパーイ!」
4人の紙コップが軽くぶつかる。
真っ先にゴクリと口をつけた明宏が、勢いよく飲み干す。
「ぷはぁ~! このびぃるを飲むと、ワイルドになった気分になるぜ!」
「……単なる駄菓子じゃない」
冷ややかに突っ込む里香。
すると穂乃花が、ぽつりと呟く。
「なんか、残念な感じのびぃるなのが……私は好きだよ」
フォローのつもりなのだろうが、全くフォローになっていない。
一方、愛生はというと、
ガリポリらーめんを美味しそうにポリポリ食べていて、3人のやり取りなどまるで耳に入っていなかった。
そこへタイミング悪く――いや、絶妙なタイミングで、顧問の寺ノ沢先生が部室に姿を現した。
「こ、これは……悪ガキびぃるじゃあないですか!」
興奮気味に声を上げる寺ノ沢先生。
「私は粉末のジュースが大好きなんです。沢登りで渓流釣りをしていて、湧き水を見つけては喉を潤す……。しかし、どうしても甘い物が欲しくなる時がある。そんな時、この粉末をさっと溶かすと――堪らなく美味いんですよ!」
「うんうん!」 と満面の笑みで頷く明宏。
(……本当かよ)と心の中でぼやく里香。
「先生、今日は今後の活動について話し合いたいです」
半ば呆れながらも、話を本題に戻そうとする里香。
「わかりました。それでは――まずこのリールを見てください」
寺ノ沢先生は突然、鞄から金属光沢のあるリールを取り出した。
「アメリカのペン社製です。この無骨さ、堪らないでしょう!」
「はぁ〜……先生も残念な生き物だね」
小声でぼそりと呟く穂乃花。
シラケた空気が部室に漂い、4人の表情から熱気がすっと引いていくのを、さすがの寺ノ沢先生も感じ取った。
「オッホン!」
わざとらしく咳払いをひとつ。
「……では、部長の里香さん。話し合いを始めてください」
ようやく場を切り替え、先生は口を結んだ。
そして、里香が声高らかに宣言する。
「それでは――最初の会議、スタートです!」
「おぉ〜!」
一同から歓声が沸き、ちょっとした拍手も起こる。
「まず“鱒釣り部”が掲げる目的を決めます」
里香が真面目な顔で切り出すと――
「鱒釣りに行って、美味しいお野菜買ってきて、美味しく食べる! そんでね、可愛いお菓子屋さんがあったらお菓子買って食べるの」
愛生が勢いよく答える。
「う〜ん……私は、楽しく釣り出来ればそれでいいかな」
穂乃花は相変わらずマイペース。
「俺はもちろん、目指せネイティブ・レインボーだぜ!」
明宏は拳を握りしめ、少年らしい夢を語る。
里香は一呼吸置いて、冷静に補足する。
「“鱒釣り部”という部名だから、当然メインは鱒釣り。でも季節や天候、移動距離を考えると、毎回それだけに絞るのは難しいかもしれないわ」
そこで顧問の寺ノ沢先生が、にこやかに口を開いた。
「ええ、鱒釣りにこだわる必要はありませんよ。最終目標は明宏くんの言う“ネイティブ・レインボー”でもいい。でも、そこへ行き着くまでには色々な釣りを経験した方がいいでしょう。無理せず、楽しめるところから取り組んでみてはどうでしょうか」
「なるほど!」 と愛生と明宏が同時に声を上げる。
穂乃花は 「ふぅん……それなら楽しそう」 とぼそり。
こうして、鱒釣り部の“活動の目的”が、ゆるやかに形作られていくのだった。
「じゃあ、今月はどこ行くの?」
愛生が身を乗り出して聞いてくる。
「川崎市麻生区のエリア・トラウトへ行きたいです!」
即答する明宏。
しかし――
「もう6月で梅雨入りだよ。雨の中で釣りすると、ビショビショで……私が残念な生き物になっちゃうよ」
穂乃花が肩を落として呟いた。
その瞬間、里香の表情がふっと変わる。
――ハッと何かを閃いたのだ。
「町田市の屋内釣り堀はどうかな?」
「屋内釣り堀……?」
ちょっと残念そうに眉を下げる明宏。
「みんなで電車とバスを使って行こうよ。釣りだけじゃなく、最初は“電車やバスでの移動に慣れること”も大切だと思うの」
里香の言葉は落ち着いていて説得力があった。
「なるほどなぁ〜」 と明宏。
「雨でも濡れないし、いいかも」 穂乃花も小さく頷く。
「楽しみー!」 と愛生は両手を挙げて賛成。
寺ノ沢先生も 「うんうん」 と満足そうに頷いていた。
こうして――鱒釣り部の目標はネイティブ・レインボーを釣り上げること
最初の活動は 「町田市の屋内釣り堀」 に決定したのだった。
町田の屋内釣り堀に行く企画は、日曜日に決まった。
鱒釣り部の4人は、それぞれ役割を分担して準備に取りかかる。
電車やバスの時刻表、乗り継ぎを調べるのは穂乃花。
釣り堀の料金や利用方法を調べるのは明宏。
愛生はお昼ご飯担当
そして、その情報を整理し企画書にまとめるのは部長の里香。
部室では、4人が真剣に手を動かしながらも、どこか楽しげに準備を進めていた。
その様子を、ドアの外から寺ノ沢先生がそっと見守っている。
――どんなに些細なことでも、みんなで協力して進めることが大切だ。
結果よりも、その過程にこそ学びと価値がある。
それは寺ノ沢先生が、いつも心に抱いている教育方針そのものだった。




