鱒釣り部 部室決定
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
6月上旬のある日、学校の昼休み。
お弁当を広げていた愛生と里香のもとに、寺ノ沢先生が歩み寄ってきた。
「愛生くん、里香くん。鱒釣り部の部室が決まりましたよ」
にこやかに告げる先生の言葉に、2人は思わず顔を見合わせる。
「ほんとですか!?」
愛生の声が弾む。
「ようやく……!」
里香も嬉しそうに笑みを浮かべた。
寺ノ沢先生に顧問をお願いしてから約ひと月。待ちに待った知らせだった。
「放課後に案内しますから、楽しみにしていてくださいね」
そう言って先生は職員室へ戻っていった。
愛生と里香は胸を高鳴らせながら、
「穂乃花に知らせなきゃ!」 と顔を見合わせる。
2人はすぐに立ち上がり、親友にこの喜びを伝えるため教室へ向かって駆け出した。
お昼休みの中庭を駆け抜けた愛生と里香は、そのまま校舎へ戻る。
向かう先はもちろん、穂乃花の教室だ。
「穂乃花ちゃーん!」
廊下から声を張り上げながら顔を出す愛生。
「なにごと?」と首をかしげながら出てきた穂乃花に、
愛生は待ちきれないとばかりに告げた。
「鱒釣り部の部室、決まったんだって!」
「えっ、そうなんだ!?」
穂乃花の目が丸くなる。
「先生が今日、放課後に案内してくれるの」
里香が腕を組みながら、けれどどこか誇らしげに付け加える。
「わぁ……! すごい、やっとだね!」
穂乃花の顔にぱっと笑顔が広がった。
「放課後、一緒に見に行こうよ!」 と愛生が手を取れば、
「もちろん!」 と穂乃花も即答する。
3人はその場で 「やったね!」 と小さくハイタッチし、
午後の授業も待ち遠しくなるほど胸を躍らせるのだった。
放課後のチャイムが鳴り終わると同時に、愛生と里香と穂乃花の3人は急ぎ足で職員室へ向かった。
「部室、どんなとこだろうね!」と愛生はそわそわ。
「釣り道具が置けるなら、狭くてもいいわ」里香は現実的な意見。
「でも、隠れ家みたいで少し残念な感じだとワクワクするよね」穂乃花は目を輝かせている。
3人を迎えた寺ノ沢先生は、にこにこと立ち上がる。
「じゃあ、案内しますか。こっちですよ」
校舎の端、普段あまり生徒が通らない廊下を進む。
突き当たりの角を曲がった先、小さな扉の前で先生が立ち止まった。
「ここが、鱒釣り部の部室です」
カチャリとドアを開けると、そこには窓から柔らかな夕陽が差し込む、少し古びた空き教室が広がっていた。
木の机と椅子がいくつか置かれ、棚もある。掃除すれば十分使えそうだ。
「わぁ……!」愛生が感嘆の声を上げる。
「いいじゃない、明るいし、釣り道具も整理できそう」 里香も満足げ。
「ここが私たちの部室なんだね……!」 穂乃花は胸に手を当て、感慨深そうに見回した。
「ここなら、ちょっとした会議もできるし、遠征の準備も整えられるでしょう。あとは、自分たちで使いやすいように工夫してくださいね」
そう言って寺ノ沢先生は3人に任せるように笑った。
「はいっ!」 と3人そろって元気に返事をする。
こうして、鱒釣り部はようやく自分たちの居場所を手に入れたのだった。
部室に向かう愛生と里香の前に、ちょこちょこと後ろをついてくる影があった。
「ねぇねぇ、俺も部室行っていいでしょ?」 と明宏。
「中等部なんだから少しは遠慮しなさい」 と里香は少し呆れ顔。
「でも、鱒釣り部って俺がいなきゃ始まらないじゃん!」 と胸を張る。
そんなやりとりのまま部室に到着すると、そこには穂乃花がすでに待っていた。
「愛生ちゃん、里香ちゃん!」 と手を振る穂乃花。
「あれ、この人は……?」
初めて見る顔に首をかしげる穂乃花。
「紹介するね。私の弟の明宏、中等部2年生」 愛生が説明する。
「よろしく!鱒釣り部のエース、明宏です!」
調子よく手を差し出す明宏に、穂乃花は一瞬戸惑いながらも笑顔で握手を返した。
「ふふっ、元気だね。私は穂乃花、愛生ちゃん、里香ちゃんの隣のクラスなの、よろしくね」
こうして4人での作業が始まった。
「よし、それじゃあまず掃除から!」 と愛生がほうきを持ち、
「ほら明くん窓を開けて換気しなさい」 と里香の命令に素直にカーテンを引く明宏、
「机と椅子を並べ直そうか」 と穂乃花が袖をまくる。
「蜘蛛の巣退治しなさい」 またしても明宏に命令する里香
と、その時、蜘蛛が明宏の身体にくっついた。
わぁー、明宏は身体中を叩いて蜘蛛を落とそうとする。
「ちょっと!暴れないで!」
「ギャハハハ」
愛生も里香も穂乃花もかっこ悪い明宏に笑いが止まらない。
掃除が一段落すると、部室をどう飾るか話し合いに。
「本棚にミニミニアニマルの本置こうよ。私が持ってくるね!」 と愛生。
「それ、鱒釣りと関係ないでしょ」 と里香。
「残念ないきもの置きたい」 と穂乃花。
「じゃあ僕は、お菓子持ってくるよ」 と明宏。
小学生の秘密基地化へと進んでいく部室
「おぉ、なんか部室らしくなってきた!」 明宏が感嘆の声をあげる。
「ふふっ、正に秘密基地だね」 穂乃花も笑顔。
「これなら活動もしやすいわね」 里香が満足げに腕を組み、
「うんっ!みんなでいっぱい思い出作ろうね!」 愛生が声を弾ませた。
4人の笑い声が、新しい部室にあたたかく響き渡っていた。
翌日、放課後。
鱒釣り部として初めての部室会議が開かれた。
寺ノ沢先生は何やら分厚い本を抱えて入室してくる。
「さて、みんな。ご存知とは思いますが、顧問の寺ノ沢です」
担任らしくきちんと挨拶をしたかと思うと、腕に抱えていたものを机の上にドンと置いた。
「これは……釣りキチ二平?」 愛生が目を丸くする。
そう、寺ノ沢先生が持ってきたのは原作漫画の全集だった。
「そう!私は子供の頃にこの作品に感銘を受けて、鱒釣りが大好きになったんです!」
熱を帯びた口調で語りだす寺ノ沢先生。
「二平くんの無垢な情熱……ゆっぺの愛らしさ……ぎしんさんの男らしさ……!」
語るほどにどんどんヒートアップし、部室は一気に「釣りキチ二平愛」の独壇場に。
「……長くなりそう」 里香が冷ややかにつぶやく。
「先生嬉しそう……」 と穂乃花は苦笑。
「おー!俺も読んだことある!『クニマス』の回とか超好き!」 と明宏はテンションが上がる。
「えー、私、正直知らないんだけど……」 と愛生がぽつり。
それでも寺ノ沢先生は止まらない。
「二平くんが初めて鱒を釣るあのシーン……私もあの瞬間から釣り人として生きていこうと心に決めまして……」
結局、顧問の長い“釣りキチ二平愛”の講義が続き、初めての部室会議は予定時間を大幅にオーバーしてしまった。
「……これ、部の活動計画とかは?」 と里香。
「明日、改めて話しましょうか……」 と寺ノ沢先生。
「はぁ……」 とみんなで同時にため息をついた。




