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うちの愛生ちゃん  作者: 横溝 啓介
1年1学期
17/81

奥日光湯ノ湖 ⑤

読んで下さる皆様、心より感謝致します。


ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。

昼食を終えると、明宏は待ちきれないといった様子で里香の手を引き、足早に桟橋へ向かった。


 「午後も釣り教えてくれよ!」


声を弾ませる明宏の後ろ姿に、里香も苦笑しながらついていく。


一方で、圭介と愛生はのんびり組だ。


 「食後のコーヒーでも飲むか」


そう声をかけると、愛生は嬉しそうにうなずいた。


レストランに戻り、窓際の席に腰を下ろしてコーヒーをすすりながら、湖に目をやる。

水面の上、懸命にオールを漕ぐ明宏の姿が小さく見えた。


 「明くん、楽しそうだね」


愛生が目を細めてつぶやく。


 「愛生ちゃんは偉いね」


不意に圭介が言うと、愛生は小首を傾げて 「えっ、何が?」 と聞き返す。


「弟のために、一生懸命なんだもの。いいお姉ちゃんしてるよ」


その言葉に、愛生は頬を赤らめ、


「えへへ〜……」 と照れ笑いを浮かべた。


コーヒーを飲み終えると、圭介と愛生もゆっくり桟橋へ向かい、手漕ぎボートに乗り込んだ。

のんびりオールを漕ぎ出すと、湖面を渡る涼やかな風が頬を撫でていく。


「ねぇお兄ちゃん、私のピンク羊さん帽子、遠くからでもわかるでしょ?」


帽子をちょこんと押さえて愛生が笑う。


「あぁ、めちゃくちゃ目立つな。里香ちゃんからも見えてるんじゃないか?」


圭介が冗談めかして言うと、愛生は 「やったぁ〜♪」 と満足げに頬を緩めた。


2人は鳥のさえずりや水面を走る風の音に耳を澄ませ、たわいない日常会話を交わしながら糸を垂らす。

そんな穏やかな時間の中、愛生の竿先が突然ググッとしなった。


「わっ! かかった!」


愛生が必死にリールを巻き、やがて銀色の魚体が湖面を割った。


「……ん? これ、虹鱒じゃないぞ」


圭介が目を凝らす。


愛生がランディングネットで慎重に取り込むと、そこにいたのは美しい流線型の魚だった。


「なんと……本鱒だ!」


思わず声を上げる圭介。


「えっ、これが本鱒? 初めて見たぁ!」


愛生は驚きと喜びで目を丸くする。


「俺も初めて見るよ、愛生ちゃん凄いよ」


圭介は目を丸くして驚いている


湖畔に吹く風と共に、2人の胸も一気に高鳴っていった。


釣り上げた本鱒を大事そうにスカリへ入れる愛生。


「よし、じゃあ次は姫鱒も釣っちゃおうかな!」


興奮冷めやらぬまま、竿を握り直して少し調子に乗っている。


「うんうん、釣っちゃえ」


圭介は笑顔で相づちを打ちながら、その無邪気さが可愛くて仕方なかった。


午後の湖上には、2人の笑い声が何度も響いた。

失敗しても、絡まっても、釣れなくても楽しい。そんな時間が穏やかに流れていく。


ふと圭介が時計を覗くと、もうレンタルボートの終了時刻が迫っていた。


「愛生ちゃん、そろそろ戻ろうか」


「うん! 戻ったら明くんや里香に自慢しよっ」


得意げに胸を張る愛生。その横顔を見て、圭介は今日が特別な一日になったことを改めて実感していた。


ボートを返却し、桟橋で里香と明宏と合流する圭介と愛生。


「見て見て、凄いの釣ったよ」 と愛生が笑顔でスカリを掲げると、そこには本鱒の姿が。


「なっ……本鱒だと!?」


明宏は目を丸くし、次の瞬間、ギリッと奥歯を噛みしめる。


里香姉と一緒に頑張ったのに、自分は釣れなかった本鱒を、よりによって愛生が仕留めるなんて。胸の奥に妙なジェラシーが芽生えていた。


一方の里香はというと、数釣りしたし、明宏へもたっぷり指導できてご満悦の様子。


「ふふっ、今日は教え甲斐があったわ」


そして圭介の釣果は虹鱒3匹。4人の中で最も少なかった。


「えー、愛生の方が釣ったじゃん!」


「俺だって!」


弟と妹に容赦なくいじられ、圭介は苦笑いで肩をすくめるしかない。


その様子を見つめていた里香は、小さな声でぽつりと呟いた。


「……やっぱり羨ましい」


誰にも届かないその言葉は、夕暮れの湖畔の風にそっと紛れていった。


レンタルボートは17時返却。だが、岸釣りは日暮れまで楽しめる。


「よーし、まだ釣るぞ!」


明宏は一目散に水辺へ駆け出す。


「明くん、待ってよ〜!」


愛生も負けじと後を追って走っていった。


一方で圭介は、持ち帰る魚の血抜きに取りかかっていた。


「1匹、1匹、丁寧にやらないとな……」


慣れない手つきで処理していると、横からそっと手が伸びる。


「貸して、私もやるから」


里香だった。


いつもツンと澄ました態度の里香が、黙って作業を手伝ってくれる。その些細な優しさに、圭介は思わず心を揺さぶられる。

(普段ツンツンなだけに、こうやって優しくされると……何倍も優しく感じちゃうんだよなぁ〜)


そう思っていると、里香がふっと柔らかく微笑んだ。


――か、可愛いっ!

圭介の胸が跳ねる。

(これが……“可愛いしか勝たん”ってやつなのか!?)


不用意に自然な笑顔を見せてしまった自分に気づき、少しだけ照れくさそうに目を逸らす里香。

けれど、その笑顔は確かに圭介の心に残り続ける。


――これこそが、釣りの魔法なのかもしれない。


愛生と明宏が岸で竿を振っていると、里香が合流してきた。


「里香姉!」 と明宏が手を振り


「里香ちゃんもやろ〜!」 と愛生。


「そうだね、最後にもう少し楽しもうか」


竿を手にした里香は2人の隣に並んだ。


ふと愛生が辺りを見回して言う。


「あれ?お兄ちゃんは?」


「帰りの運転に備えて、車で寝てるよ」


そう答える里香の声はどこか柔らかい。


夕暮れ時の湯ノ湖。

山々の稜線がオレンジに染まり、水面はゆるやかに黄金色を揺らす。

その幻想的な佇まいに、3人は竿を持ちながら夢見心地になる。


「……ちょっと遠かったけど、来て良かったね」


里香が静かに呟く。


「どうせお圭ちゃんが運転だから、大丈夫だし!」


明宏が無邪気に笑う。


「じゃあ帰りは宇都宮餃子だね♪」


食いしん坊な愛生だけが、もう次の楽しみを考えていた。

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