奥日光湯ノ湖 ➀
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
順調なスタートを切った鱒釣り部。
しかし愛生はまだ、肝心の弟・明宏を部に誘えていなかった。
(明宏に 「不登校改善のため」 って悟られたら絶対イヤがる……どうしよう)
悩みを抱えた愛生は、ある日の放課後、里香に相談を持ちかけた。
「……ねえ里香、どうしよう」
小さく声を落とす愛生。
「何が? 」里香はノートを閉じ、視線を向ける。
「明宏を部に誘いたいけど、理由がバレたらきっと来てくれないと思うの」
里香は少し考えてから、腕を組みスッと息を吐いた。
「明くんって、ネイティブトラウトに憧れているんだよね」
「うん。最近なんて芦ノ湖の動画ばかり見てるんだよ」
「なら、次の日曜日は湯ノ湖へ行こうよ。私も一緒に行くから」
「湯ノ湖?」 愛生が目を丸くする。
「そう。自然湖を利用した管理釣り場。もっとも湖としてはかなり小さいけどね」
「フムフム……」 愛生は素直にうなずく。
里香は少しだけ口元を緩め、けれどツンとした調子で言った。
「私が明くんにルアーを教えながら、自然に部活も誘ってみるよ。……まぁ、私じゃなきゃ難しいでしょう」
愛生はスマホをポチポチと操作していた。
「えっと……横浜から湯ノ湖まで……に、200キロ!?遠いなぁ……」
画面に映る数字を見て、愛生は眉をひそめる。
「これ、車だと4時間はかかるし……お兄ちゃん、車出してくれるかなぁ……」
不安そうに声を漏らす。
里香はそんな愛生を見て、口元だけで小さく笑った。
「心配しなくても大丈夫。圭介くんなら、私が釣るから」
「……えっ?お兄ちゃんを釣る?」
愛生の頭の中に 「???」 が次々と浮かんだ。
「な、何それ魚みたいに……」
里香はわざとらしく肩をすくめ、クスッと笑った。
「ふふ、そういう意味じゃないわよ。――まあ、結果的には似たようなものかもしれないけどね」
「???」 愛生の疑問符はますます増えるばかり。
けれど、どこか頼もしさも感じていた。
その日の夜、夕食が終わり自室でゴロゴロしている明宏に里香からLINEがはいる
「次の日曜日、みんなで湯ノ湖へ釣りに行くから、あんたも来なさい (.❛ᴗ❛.)」
命令文なのに笑顔の絵文字が里香らしい
「OK」 と明宏はスタンプを返信した。
その頃、食器洗いなど、食後の片付けが終わりスマホを手に取る圭介
「あっ、里香ちゃんからLINEが入ってる」
珍しいなぁと疑問に思いながらも期待しつつLINEを開く
「次の日曜日、湯ノ湖に釣り行きたいから連れて行って欲しいの」 里香
「湯ノ湖?」 圭介
「2人乗りの手漕ぎボートでの釣りになっちゃうけどいいかな♡」 里香
「もちろんだよ」 圭介
「わ〜い、嬉しいな♡♡」
可愛いらしいスタンプを貼り付ける里香
(美少女JKと釣りデート、往復の車も手漕ぎボートも2人っきり )デレデレな圭介
更に圭介の妄想は膨らむ
(ボートの上で……横波によろけた里香ちゃんを……俺が抱きとめて……ふふふ……)
顔を緩ませながらスマホを握りしめていると――
「ちょっと!貸して!」
突然、愛生が圭介の手からスマホをひったくった。
「お、おい愛生!返せって!」
画面に映っていたのは、里香とのLINE。
「2人乗りの手漕ぎボートでの釣りになっちゃうけどいいかな♡」
「もちろんだよ」
「わ〜い、嬉しいな♡♡」
そこには兄がまんまと“釣られた”証拠がしっかり残っていた。
「……やっぱり。兄はバカだ」
愛生はじとっとした目で画面を見つめ、心の中でつぶやく。
(流石は里香、見事なフィッシュ・オン。でも……お兄ちゃんが里香にデレデレするのは……やっぱりムカつくっ!)
愛生はぷいっとそっぽを向き、スマホを机の上に投げ返した。
圭介は慌てて拾い上げながら 「ち、違うんだって!」 と弁解するが、愛生は聞く耳を持たなかった。
愛生がスマホを机に放り投げてから数分後。
明宏が部屋から顔を出した。
「圭ちゃん、日曜日にみんなで湯ノ湖行くんでしょ? 俺も来いって、里香姉からLINE来たよ」
「……え?」
圭介は驚いたように目を見開いた。
(み、みんなで? え、ちょっと待て。二人で……ボートで……デート……)
頭の中で花咲いていた妄想が、ボキボキと音を立てて崩れ落ちていく。
「だって俺のLINE、ほら」
明宏が画面を突き出すと、そこには確かに――
《次の日曜日、みんなで湯ノ湖へ釣りに行くから、あんたも来なさい (.❛ᴗ❛.)》
と、愛想の良い絵文字付きのメッセージ。
「…………」圭介は固まった。
よくよく思い返してみれば――里香のLINEには、どこにも「2人で」とは書いてなかった。
ボートだって 「2人乗り」 だと説明されただけで、二人で乗るとは限らない。
「……や、やってしまったぁぁぁ……」
圭介は頭を抱えてその場に崩れ落ちる。
横で腕を組んだ愛生が冷たく言った。
「ほんと、お兄ちゃんってチョロすぎ」
呆れ顔の妹をよそに、圭介の耳まで真っ赤になっていた。
「やったぁ! 俺、ついにネイティブデビューだ!」
明宏はスマホを握ったまま、飛び跳ねるように喜んでいた。
「ね、ねい…てぃぶ?」愛生が首をかしげる。
「そうだよ! 川じゃなくて湖! 野生のトラウトが棲んでるんだ! 俺もついに芦ノ湖アングラーへの第一歩ってわけ!」
目を輝かせてまくしたてる明宏。
愛生はちょっと困った顔をして、指をもじもじさせた。
「えっとね……あのね……」
「里香に聞いたんだけど、湯ノ湖って、自然の湖なんだけど管理釣り場なんだって」
「……え?」 一瞬ポカンとする明宏。
「だから完全なネイティブってわけじゃないみたい。でもね! 湖で釣りするのは初めてでしょ? きっとすごく楽しいと思うよ!」
愛生は慌ててフォローするように笑顔を見せた。
「……そ、そっかぁ。管理釣り場か……」
明宏は一瞬肩を落としたが、すぐに顔を上げてニカッと笑った。
「でも湖でボート出すなんて初めてだし! やっぱり最高じゃん! 超楽しみ!」
「ほんと単純なんだから」愛生はクスクス笑った。
「ま、詳しい話は当日、里香から聞いてね」
愛生が笑いながら言うと、
「うん! 楽しみだなぁ!」
明宏はもう釣り竿を握っているかのように、目をキラキラさせていた。
そんな弟の様子を横目に、圭介はスマホでルート検索。
「……えっ、片道200キロ?」
画面に表示された数字を見て、思わず青ざめる。
往復で400キロ以上。
ガソリン代、高速代、早起き……頭の中で現実的な計算が始まる。
だが、隣で愛生はウキウキしながら荷物の話をしていて、明宏は釣り動画を見せながら
「これ絶対釣れるよな!」 と興奮している。
「……ったく」
圭介は小さくため息をついたが、すぐに口元が緩む。
「妹と弟がこんなに楽しみにしてるんだ。俺が頑張らなくちゃな」
決意とちょっとした覚悟を胸に、圭介はスマホをポケットへしまった。




