重丹沢トラウト釣り場 上
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
◆重丹沢トラウト釣り場・真冬の出発
――1月。
空気が痛いほど冷たい、真冬の朝8時。
圭介のワンボックスカーのドアがバンッと開く。
吐く息は真っ白で、愛生も花音も完全に冬眠前の動物みたいな動き。
「さっむ……お兄ちゃん……なんでこんな冬に釣り行くの……」
愛生はピンクのマフラーに顔を埋めて、もはや布の塊。
「釣りするのは午後券でも……出発は朝にょん……」
花音は白い息を吐きながら、布団から引きずり出された猫みたいに震えている。
唯一元気なのが――
「冬こそデカトラウト!!今日も燃えてきたー!!」
明宏だけ真夏テンション。
吐く息が白いのに、本人だけ常夏。
そんな三人を乗せて車は出発した。
圭介のワンボックスカーが、白い息を吐きながら住宅街に止まる。
そこへ玄関からふわりと登場するのが沙代里。
冬の空気でも爽やかに見える、ニット帽×白いダウン姿。
まさに「真冬の清涼剤」。
「おはよう、圭介くん。寒いから気をつけて運転してね」
優しく声をかけながら助手席に乗り込む。
……その瞬間。
後部座席に座る花音と愛生の温度がスッ…と3℃下がった。
◆爽やかすぎる優しさ、逆に刺さる
車が走り出してすぐ、沙代里は振り返る。
「花音ちゃん、今日も可愛いね。髪の色すごく冬に映えてるよ」
爽やか 100%。
嫌味ゼロ。
悪気ゼロ。
だが。
「か、可愛いとか言われても……別に嬉しくないにょん……」
花音は顔をそむけ、語尾に力がない。
「愛生ちゃんも、今日のマフラー似合ってる。2人とも仲良しで、ほんと可愛い姉妹ね」
にこやかに褒める沙代里。
「……えっ、い、いきなりどうしたの……?」
愛生は褒められ慣れてないせいか、逆に刺さる。
沙代里の爽やかさは
冬の冷気より鋭く、2人の心にスパーンと直撃。
「さっきから、2人とも圭介くん見てる目が可愛いの。大事なお兄ちゃんなんだね」
優しい微笑みで言う。
花音と愛生は――
((な、なんか…ムズムズする!!))
2人とも胸の奥がざわつく。
“嫌な気持ち”ではない。
ただ…妙に褒められすぎて、逆にイラっとする感覚。
「べ、別にお兄ちゃんのことなんて見てないにょん!!」
花音の語尾が強い。
「お兄ちゃん見てたわけじゃないし!ただ……視界に入っただけで……!」
愛生もムキになる。
「ふふ、照れ屋さんなんだね、2人とも可愛いよ」
爽やかスマイルで返す沙代里。
……この爽やかさが、花音と愛生には一番キツかった。
「さよりさーーん!!今日は来てくれてありがとうございます!!」
明宏だけ嬉しそうに吠えるように喜ぶ。
「明宏くん今日はいっぱい釣れそうだね。頑張ろうね」
沙代里が優しく言うと――
「は、はいぃぃっ!頑張ります!!」
明宏、完全に犬。
花音(……餌付けされてるにょん……)
愛生(……明宏はわかりやすいな……)
沙代里と圭介はほのぼの会話。
「今日の重丹沢、少し暖かくなりそうですね」
「うん、晴れてるから気持ち良さそう」
ほんわか会話。
その一方で――
花音 → むぅぅにょん
愛生 → なんかモヤモヤ
明宏 → ウキウキ常夏
後部座席の空気だけ寒波が吹き荒れていた。
車は真冬の山道を、白い息を吐きながら
重丹沢トラウト釣り場へ向かっていくのだった。
キンと冷える1月の山の空気。
重丹沢トラウト釣り場に到着した圭介たち4人と、沙代里。
受付には、冷たい空気とは裏腹に“釣り人の熱気”がむんむん。
「4名と…あ、沙代里さんは5人目ですね」
受付のおじさんが笑顔で釣り券を渡す。
釣り券を受け取るなり、沙代里は売店の棚に視線を向けた。
「わぁ…これ、かわいい……。この丸っこいの、コラピーっていうの?」
ピンクの丸いルアーを指でつまみ、きらりと光を反射させる。
その瞬間――
どこからともなく明宏がスススッと出現。
「さ、沙代里お姉さん!!手に取ってるそのコラピー、めちゃくちゃオススメですよ!!」
目がキラキラし過ぎて、もはやライトの反射。
沙代里はクスッと笑って、
「そうなの?明宏くんがそう言うなら、買っちゃおうかな〜」
と、ほんのり頬を緩めた。
明宏、ここで勝負に出る。
(今だ……!ここで一押しすれば、俺は“お気に入り中学生”になれる……!!)
「沙代里お姉さん、可愛いから……ピンクのコラピーが似合うと思います!!」
沙代里は「はいはい、思春期男子の甘い言葉ね」という顔をしつつ、
「ふふっ、中学生に可愛いって言われるの、悪くないかも」
と、ご機嫌にピンクを握りしめた。
……が、次の瞬間。
「じゃあ私がピンクにするから、明 “ちゃん” には白いコラピー買ってあげるね。はい、どうぞ♡」
あっさりお返しまでしてきた。
明宏(……ん?いま“明ちゃん”って言いました?)
気付けば、呼び方がランクアップしていた。
・明宏くん → 明ちゃん
スピード進化である。
「えっ……あっ……えへへへ……あ、ありがとうございます、沙代里お姉さん!!」
明宏はコラピー(白)を宝物のように受け取った。
顔がニヤけすぎて、もう冬なのに頬が緩みっぱなし。
愛生(……ちょっと餌付けが早すぎる)
花音(……明ちゃん、チョロすぎるにょん……)
圭介(……まあ、明宏らしいな)
沙代里(うん、可愛い子だなぁ明ちゃん)
こうして――
沙代里 → 明ちゃん
明宏 → 尊いお姉さん
という関係が、売店の片隅で静かに確立されたのだった。
◆明宏、突然の「明ちゃん先生」就任
〜大人の財力(クランク1個)で全力に尻尾を振る〜
売店でコラピーを手に入れ、
“明ちゃん”呼びの甘美な響きを味わった明宏は、
テンションが天元突破していた。
冬の丹沢。
川は澄み切り、冷気が肌を刺すように鋭い。
そんな中で、釣り場の川を見下ろしながら
竿を握りしめた明宏は――
「よーしっ!今日は僕が……沙代里お姉さんに、エリアトラウトを教えちゃいます!!」
キリッと胸を張り、
自称“プロ中学生”オーラを全力で放ち始める。
沙代里はというと、
そんな明宏の張り切り顔を見て、ふわっと柔らかく笑った。
「え〜?明宏くんが教えてくれるの?」
「はいっ!!お任せくださいっ!!」
すると沙代里は軽く首を傾げて――
「じゃあ……明ちゃん先生、お願いします♡」
その瞬間。
明宏、完全に召される。
「はっ……はいっ!!す、すべては……姫君の仰せのままに!!」
※中学生の騎士、誕生。
愛生(……クランク1つで懐柔されとる……)
花音(明ちゃん、チョロすぎるにょん……)
沙代里(ふふ、明ちゃん可愛い)
そして圭介。
圭介は、手元のルアーケースを閉めながらボソッと呟いた。
「……クランク一つでここまでチョロいと逆に尊敬するわ……」
明宏(心の声:大人の財力……いや、沙代里お姉さん最高……!)
こうして、
“明ちゃん先生と沙代里お姉さんの川トラウト講座”
の幕が、勢いよく上がるのであった。
1月の重丹沢。
澄みきった空気は冷蔵庫より冷たく、吐く息は即座に白くなる。
キラキラと光る川面には、真冬とは思えないほど透明な流れ。川のせせらぎだけが静かに響く。
そんな中で——
「ほら明宏くん、足元気をつけてね。冷たいから、濡れたら本当に大変だよ」
沙代里が中学生の明宏にそっと手を添える。その仕草はやわらかくて、冬の空気よりもずっとあったかい。
(沙代里さん、優しすぎない……?天使なのか?)
そんな視線を向けながら、圭介は癒やされオーラを浴びまくる。
だがふと、沙代里の手元が目に入り——
(ん?……あれ、あのリール、まさか……)
圭介の心臓が跳ねた。
(最高級の“テスラ”じゃないか……!値段だけで胃が痛くなるやつ!
ってことは、上級者!?ガチ勢!?)
頭の中で警報が鳴り響いた瞬間——
沙代里がふとこちらを向き、ふわりと微笑む。
あの、女神スマイル。
「うっ……」
顔が一気に熱くなる圭介。
それを知らずに明宏は胸を張る。
「沙代里さん、今日は俺が色々教えますから!」
(おい待て明宏。上級者に“教える”とか言っちゃってるぞ……!
兄として恥ずかしい……!死ぬ……!!)
顔がトマトに変わる勢いで赤くなる圭介。
その様子を見た沙代里は——ぷっ、と吹き出してしまう。
「ふふっ、圭介くんかわいい……」
(だめだこれ死ぬ……!)
さらに追い打ち。
「……なにイチャついてんの?」
小声でぼそっと呟きながら、
花音が“コツン”と圭介の足を蹴った。
「いって!?」
普段おとなしい花音からのまさかの制裁に、圭介は二度見する。
花音はほんのり頬を膨らませて、川の方を向いたまま小さく言う。
「……デレデレしてると、蹴るよにょん」
(こわっ!?いや、かわいいけどこわっ!!)
真冬の重丹沢。
氷点下でも、彼らの周りだけは妙に温度が高かった。
真冬の重丹沢。吐く息は白いのに、明宏のテンションだけは真夏の太陽ばりにアツい。
「沙代里お姉さん! こうやってコラピーを投げて、こうやって巻きます!」
ドヤ顔でキャストのフォームを見せる明宏。
川の冷気をぶち破るくらい自信満々だ。
「わぁ〜明ちゃん上手ねぇ~」
沙代里は沙代里はぱちぱちと優しく拍手する。
「えへへっ」
明宏、秒で照れる。
ほっぺたがストーブみたいに赤くなる。
「じゃあ、私もやってみようかな〜」
沙代里は軽く構え——
しゅっ! ぴたり!!
見事すぎるフォームで、狙ったコースに鮮やかなキャスト。
続くリトリーブは流れの強弱を読み切った完璧な動き。
「沙代里お姉さん、上手です!!」
目をキラッキラに輝かせる明宏。
(いや、明宏……どう見ても沙代里さんの方が……いや、言わないでおこう)
圭介はそっと視線を逸らした。
「じゃあ明ちゃんもキャスト&リトリーブ、やってみて?」
沙代里が微笑みながら促す。
「はい! こうですね!」
明宏はさっきより明らかにフォームが良くなっている。
「そうそう、明ちゃん上手よ〜」
沙代里がやわらかくうなずく。
(あれ……?これって……)
圭介は気づいてしまった。
明宏先生——さっきから完全に沙代里先生の“生徒”ポジになっている。
「……明宏、完全に教わってるじゃん……」
つぶやいた声は冬の風に溶けていった。
でも——
楽しそうに笑う明宏と、優しく見守る沙代里を見ると、
それはそれでまぁ、いいかと思えてしまうのだった。
重丹沢の凍える川辺。
吐く息は白いのに、圭介の両隣だけはほんのり温かい。
右には妹の愛生。
左にはいとこの花音。
圭介、両側からガッチリ挟まれてお世話係スタートである。
「ふんふん♪」
愛生は慣れた手つきでタックルを組んでいく。
指先が器用で、動きに無駄がない。さすが釣り歴の長い妹。
一方——
「お兄ちゃん、かにょんの釣り具セッティングするにょん」
はい来た。
甘えん坊いとこ花音の“圭介専属スタッフ”要求である。
「ハイハイ」
圭介は苦笑しつつロッドを受け取り、花音のセッティング開始。
最近の花音は以前にも増して、いや……
“更に更に”圭介にベッタリ甘えるようになっていた。
(お兄ちゃんにばっかり甘えて……)
愛生は横目でその様子を見て、ぷくっと頬をふくらませた。
「自称・私のお姉ちゃんなのに……」
愛生は呆れたように小声でつぶやく。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんって、これじゃあまるで妹じゃないの……」
でも。
花音のプロフィールを思い出すと、愛生も複雑だ。
(……まあ、両親と離れて暮らしててさみしいから、お兄ちゃんに甘えちゃうのも仕方ないんだけど……)
だが次の瞬間、愛生の頭の中に鋭いツッコミが走った。
(……って、推し活のために両親と離れて暮らしてて、さみしいってどういうことなの!?)
愛生の心の中でだけ、ツッコミ用ボードが全力でひっくり返される音がした。
「できたよ、花音ちゃん」
圭介が優しくロッドを手渡す。
「ありがとにょん、お兄ちゃん大好きにょん〜」
花音は満面の笑みで圭介にすり寄る。
(……甘えレベル高いなぁ)
圭介はやれやれと苦笑する。
そんな3人の横で、川は今日も変わらずさらさらと流れていた。
澄んだ冬の川面へ、愛生のお気に入り——
アザラシルアーがぽちゃん!
愛生がリトリーブを始めたその時。
「キャー! アザラシルアー、かっわいい〜!」
背後から、透き通るような“沙代里ボイス”が飛んできた。
愛生、びくっと振り向く。
「えへへ、ありがとうございます……」
「しかもね、私もアザラシルアー持ってるのよ〜」
沙代里は嬉しそうに、色違いのアザラシをひょいっと掲げる。
「わっ、お揃いだ……!
沙代里さんも持ってるんですね」
愛生はほんのり胸が温かくなる。
推しルアーを共有できる人には、自然と親近感が湧くのだ。
「愛生ちゃんはピアノちゃんが好きな、かわいい大好き女の子なのね〜」
「えっ!? どうして私がピアノちゃんファンってわかったの!?」
愛生は本気で驚いた表情。
その答え——説明しよう。
愛生の釣りコーデは上下ピンク。
帽子はピアノちゃんの“羊耳もふもふキャップ”。
どう見てもピアノちゃんガチ勢である。
だが当の本人だけが、自覚ゼロだった。
(私の趣味を一瞬で見抜くなんて…… 沙代里さん、なかなかの……曲者ね……!)
愛生、なぜか探偵ドラマみたいな思考になる。
そんな愛生を見て、沙代里は微笑む。
「ふふっ、愛生ちゃんって……なんか…… ゆるキャラみたいで可愛い〜!」
「ゆ、ゆるキャラ!?」
驚きつつも、褒められてちょっと嬉しい愛生。
アザラシルアーをきっかけに、
ゆるふわ女子・愛生と爽やかお姉さん・沙代里の距離は一気に縮まったのだった。




