鱒釣り部 顧問誕生
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
やがて愛生と里香は高校生へ。
家族の助けや里香の協力もあり、どうにか明宏は中学2年生へと進級した。
だが依然として遅刻や不登校が続き、母や圭介のため息は深くなる一方であった。
そんな中、愛生と里香の胸に宿る想いは一つ。
――明宏の大好きな鱒釣りを部活にしてしまえば、登校するきっかけになる。
そして、自分たちも楽しい学園生活を送れる。
「先ずは、顧問の先生を見つけなくちゃね」
放課後の図書館で並んでノートを広げながら、愛生がぽつりとつぶやく。
「……でも、そんな都合よく先生が釣りに詳しいとは思えないし」
里香は冷静に眉をひそめる。
「それに、教師ってただでさえ激務でしょう? マニアックな鱒釣り部なんて、余計に面倒がられるんじゃないかしら」
愛生は机に突っ伏して唸った。
「うーん……やっぱりハードル高いよねぇ」
二人で顔を見合わせ、同時にため息。
だけど――諦める気はなかった。
「でも、どこかに絶対いるよ。鱒釣りが好きな先生、きっと」
「……そうね。少なくとも、探す価値はあるわ」
二人は顔を上げ、顧問探しの作戦を練り始めるのだった。
放課後、担任の女性教師の机の前に並ぶ愛生と里香。
「先生、ご相談がありまして、今お時間よろしいでしょうか」
大人びた言葉で切り出す里香に、先生は目を瞬かせた。
「まぁ、里香さん。どうぞ、何でも聞いて」
「愛生と2人で、新しい部活動の立ち上げ計画をしておりまして」
「……新しい部活?」 先生が少し身を乗り出す。
「はい。計画としては、こんな感じです」
里香は用意してきたノートを開き、淡々と指を折る。
①顧問になってくれそうな先生を探す
②簡単な企画書の提出
③部活動立ち上げに必要な最低人数の把握
「第1段階としては、ここまでを考えています」
高校1年生らしからぬ冷静な口調に、先生は思わず感心してしまった。
「……すごいわね、あなた。よくそこまで整理して考えられるじゃない」
「えへへ……」 愛生は隣で頷くだけ。
「フムフム、なるほど〜って思ってるんですけど……実は、まだよくわかってなくて」
「ちょっと、愛生!」 里香が小声でつつく。
先生は思わず笑ってしまった。
「でも、2人で力を合わせて動き出してるのね。いいことだと思うわ」
「どんな部活を作るつもりなの?」 先生が首を傾げる。
マニアック過ぎるその計画に、愛生は途端に顔を赤くしてモジモジしてしまう。
しかし里香は違った。
「鱒釣り部です」
物怖じせず、堂々と胸を張って答える。
先生は思わず絶句した。
「……そ、そうなんだ……」
少し気を取り直し、先生は口を開く。
「でも、まずは顧問の先生を見つけなくちゃね」
「誰か、顧問になってくれそうな先生は居そうですか?」 と里香。
先生は数分間考え込んだ後
「ハッ」としたように目を瞬かせる。
「そうね……国語の寺ノ沢先生なら可能性があるかも」
「寺ノ沢先生……!」 里香が頷く。
先生はにっこりと笑った。
「思い立ったら吉日よ。ちょうど今、職員室にいらっしゃるはず。一緒に行ってみましょう」
「失礼します」
里香がノックして扉を開ける。愛生は緊張で少し縮こまっていた。
中では一人の男性教師が、分厚い本を机に広げて読んでいた。
丸眼鏡の奥で目を輝かせ、ページをめくる手つきは異様に丁寧だ。
本の表紙には大きく《鱒の森林・最新刊》の文字。
「寺ノ沢先生、こちらの二人がご相談があるそうです」 担任の先生が声をかける。
「ふむ?」
顔を上げた寺ノ沢は、穏やかそうな口調だが瞳の奥がきらりと光る。
里香が一歩前に出る。
「私達、新しい部活を立ち上げたいんです。その顧問になって頂けないかと」
「新しい部活……?」
寺ノ沢が眼鏡を押し上げる。 「どんな部活なのかね」
一瞬ためらった愛生を横目に、里香が堂々と答える。
「鱒釣り部です」
「……なんと!」
次の瞬間、寺ノ沢は机をバン!と叩いて立ち上がった。
「君たち、今……鱒釣り部と言ったか?!」
「は、はい……」愛生が小さくうなずく。
寺ノ沢は本を両手で掲げると、まるで布教するかのように語った。
「これがわかるか? 《鱒の森林》――昭和から続く我らが鱒釣りの聖典だ! 最新刊が出るたびに私は必ず予約し、発売日には書店に並んで手に入れてきた! それを読むのが、何よりの楽しみなのだ!」
愛生はポカンと口を開ける。
一方で里香はニヤリと微笑んだ。
「つまり、先生は……興味があるどころじゃない、ということですね?」
「興味どころではない!」
寺ノ沢の目は、もはや少年のように輝いていた。
「私にその顧問をやらせてくれ!」
愛生と里香は顔を見合わせ、同時に声をあげた。
「やったぁ!」
「しかし、何故、鱒釣り部を立ち上げたいと考えたのかね」
寺ノ沢が腕を組み、静かに問いかける。
すかさず里香が一歩前へ。
「淡水ルアーフィッシングにおいて、ブラックバスと人気を二分するトラウト。私達はそのトラウト――つまり鱒のルアーフィッシングを通じて自然への敬意を学び、さらに釣った鱒を美味しく調理し食すことで、命を頂く尊さを学びたいのです」
堂々とした答えに、寺ノ沢の目が一瞬きらりと光る。
「……確かにブラックバスは美味しくはない。だが鱒は美味い」
「虹鱒、美味しいですよね」 里香が相槌を打つ。
その瞬間、寺ノ沢はフッと鼻で笑った。
「虹鱒……? フッ……虹鱒はな、成長すればスチールヘッドになる。あれは更に美味い。だがな、君たち――」
寺ノ沢の声は次第に熱を帯びる。
「憧れてやまないのは桜鱒! そして皐月鱒だ! これこそが、鱒釣り人の夢であり、男のロマンなのだ!」
勢いに圧され、思わず一歩引く里香。
(……ちょっと濃い)
咳払いひとつ。
「す、すまなかった。つい熱くなってしまった。君たちは女の子だったな」
突然、横で大人しく聞いていた愛生が口を開いた。
「……あの、中学に無い部活なら、中等部の生徒も参加してもいいんですよね?」
寺ノ沢は一瞬、きらめく鱒オタクの顔を消し、きちんと教師の顔になって頷く。
「もちろん、中等部の生徒も参加可能だよ」
愛生は意を決したように続けた。
「私の弟、中等部の二年生なんですけど……。毎日のように遅刻したり、休んじゃったりしてて」
静かな職員室。寺ノ沢は机に肘をつき、穏やかな眼差しでじっと耳を傾ける。
「でも、弟は鱒釣りが大好きなんです。だから……もし鱒釣りの部活があったら、楽しいことが増えたら、きっと喜んで学校に通ってくれるかなって、それに私もトラウト大好きです。」
声が少し震えた。
先ほどまで桜鱒だ皐月鱒だと熱弁を振るっていた寺ノ沢の表情が、ふっと和らぐ。
「……そうか」
深く頷いた彼は、満面の優しい笑みを浮かべて言った。
「六十のおじいちゃんですがね。私にできることなら、精一杯お手伝いをさせてもらいますよ」
その言葉に、愛生の胸が熱くなる。
「……ありがとうございます……」
嬉しさのあまり、ほんの少し涙が滲みそうになってしまった。
顧問がすんなり決まり、愛生は満面の笑みで里香に飛びつく。
「やったね!先生が引き受けてくれるなんて、本当に夢みたい!」
「ふふん、私達のプレゼンが完璧だったから当然よ」 口調こそツンと澄ましているが、里香の頬もほんのり緩んでいる。
しかし次の瞬間には、すぐに真顔に戻った。
「でも……最低でも、もう一人部員を集めなくちゃ」
「えっ?でも明宏がいるよ」 愛生が首を傾げる。
「中等部は正式な部員としては認められないはずよ」 淡々と里香。
すると、これまで静かに二人のやり取りを見ていた寺ノ沢が補足する。
「その通りです。中等部の生徒は“準部員”という扱いになりますね。本部員としてカウントはできません」
「そ、そんなぁ……」 と肩を落とす愛生。
里香は腕を組んでスッと息を吐く。
「つまり、私達はもう一人――同級生の仲間を探さなくちゃならないってことね」
肩を落としかけた愛生の前に、思わぬ出会いが訪れる。




