圭介、冬のボーナス編 第6話 またしてもピノノちゃん
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
次は愛生ちゃんのお買い物だよ
ショッピングモールに足を踏み入れた瞬間、
圭介は嫌な予感を覚えた。
その予感は――三歩も進まないうちに、的中する。
「お兄ちゃん、これ見たい!」
先頭を歩いていた愛生が、映画館の前でピタリと足を止め、
元気よく指差した先にあったポスター。
――
『ピノノちゃんと一緒♪ ママのいうこと聞けるかな』
――
「……あぁ、やっぱりか」
圭介の肩が、がっくりと落ちる。
昨日。
つい昨日。
里香と“デート(という名の財布行事)”で観たばかりの映画である。
デジャヴ。
いや、これはもう運命の悪戯だ。
「お兄ちゃん、ピノノちゃん可愛いよねっ♪」
「……うん、可愛いね(二回目)」
魂が一ミリほど抜けかけたその時。
「俺、ピノノちゃん興味ねーから、モール内ブラブラしてるわ」
明宏があっさりと言い放ち、
まるで“このイベントに関わると金運が下がる”とでも察したかのように、
そのまま人混みに紛れて消えていった。
「判断が早い!」
圭介がツッコミを入れる間もなく――
「かにょんもお買い物してくるね〜」
花音も、ひらひらと手を振りながら姿を消す。
「ちょ、待っ……!」
虚しく伸ばした圭介の手が、空を切った。
こうして残されたのは、
ピノノちゃん大好き妹と、
二日連続ピノノちゃん鑑賞確定兄の二人だけ。
「上映終わったら、ここで待ち合わせね!」
愛生は元気いっぱい。
一方の圭介は、静かに悟った。
――逃げ道は、ない。
「……わかったよ」
こうして圭介は、
人生で二度目の
『ピノノちゃんと一緒♪ ママのいうこと聞けるかな』
を鑑賞することになったのであった。
(俺、昨日も聞いたよ。ママの言うこと……)
圭介の心の中で、小さくため息が鳴った。
45分しかないはずの幼児向け映画が、なぜか体感45時間くらいに感じられた圭介だった。
愛生と並んで座り、スクリーンを見上げる圭介。
上映開始と同時に、場内はふわっとした幼児向けアニメ特有の優しい空気に包まれた。
「ピノノちゃ〜ん……!」
愛生は目をキラキラさせ、もはや祈るような姿勢でスクリーンを凝視している。
その横で圭介は、昨日まったく同じ映画を観たことは、心の奥底に封印した。
――そして、問題のシーン。
『あ〜、お風呂気持ちよかった〜』
画面の中で、ふわふわ白い羊のバニラちゃんがのんびり言う。
しかし――
積み木をカタカタ積み上げるピノノちゃんは、まったくの無反応。
『ピノノちゃんも、お風呂入りなよ』
『やだもん! ピノノは積み木で遊ぶもん!』
テンプレのような拒否。
圭介は心の中で頷く。
(うん、これは来るな……)
案の定。
『お外でいっぱい遊んだから、汚れてるよ?』
『いいの! ピノノは今が楽しいの!』
そこへ――
満を持して登場する、ピノノママ。
『ピノノちゃん。お風呂に入りなさい。ママの言うことを聞きなさい』
ピシッと空気が引き締まる。
その瞬間。
――現実世界。
愛生が、スクリーンに前のめりになった。
「……」
その目は、もはや鑑賞ではない。
教育番組を真剣に受講する幼児の眼差しだった。
「……ピノノちゃん」
小さく呟く愛生。
「……ダメだよ」
圭介は横目で愛生を見る。
(いや、君も昨日、風呂入るの渋ってたよね?)
だが、そのツッコミは心の中にしまっておく。
今の愛生は、完全にピノノちゃんと同じ土俵に立っている。
スクリーンの中で叱られるピノノちゃん。
スクリーンの外で、真剣に見守る愛生。
(……俺、今、幼児二人と一緒に映画観てる気がする)
そして物語のラスト。
スクリーンいっぱいに、どーん!と現れるピンク羊のピノノちゃん。
『おともだちのみんな~、えいがはたのしかったかな?』
館内に響く甘い声。
次の瞬間――
「はーい!」
チビっ子達に混ざって、誰よりも元気よく右手をピンと伸ばす愛生。
(……なぜ一番キレがいいのが高校生なんだ)
圭介は心の中で静かにツッコミを入れた。
続けてピノノちゃん。
『ママのいうこと、ちゃーんときけるかな?』
「はーい!」
再び全力挙手の愛生。
迷いなし。ためらいなし。
その素直さは、もはや才能である。
(……この素直さを喜ぶべきか、それとも将来が心配になるべきか)
圭介は人生について少しだけ考えた。
上映終了。
明るくなる館内。
「ねぇお兄ちゃん、ピノノちゃん可愛かったね!
ママの言うこと聞くのって大事だよね!」
キラキラした瞳で語る愛生に、
「あ、ああ……そうだね……」
と、魂の半分くらい抜けた相づちを返す圭介。
映画館を出ると、ベンチにちょこんと座って待っていた花音が立ち上がる。
「おかえりにょん。
……圭兄ちゃん、顔がピノノちゃんより真っ白だにょん」
「二日連続はさすがに効いた……」
そこへ、ご機嫌な明宏も合流。
大喜びな愛生、ご機嫌な明宏、冷静な花音、
そして魂を削られた圭介。
ピノノちゃん映画の余韻そのままに、一行が向かったのは――
ピノノちゃん、バニラちゃん、ハローニャンコなど、可愛いの暴力が陳列された公式グッズショップである。
入店した瞬間、
「ここは危険地帯だ」
と圭介の兄センサーが警告音を鳴らす。
案の定、愛生は入口でピタリと止まり、
ぬいぐるみ、キーホルダー、文房具、マグカップを前にして――
モジモジ、モジモジ。
(来る……来るぞ、これは来る……!)
圭介は身構えた。
しかしその時、圭介はふと気づく。
横にいる花音が、今日はやけに静かだ。
いつもの「にょんにょん」も控えめで、
テンションも若干、地面スレスレ。
(……気、遣ってるな)
圭介は屈んで、優しく声をかけた。
「花音ちゃんにも、クリスマスプレゼント買ってあげるよ。
欲しい物があったら、遠慮しなくていいんだよ。」
花音は一瞬だけ驚いたように目を見開き、
そして小さく――
「……にょん」
と頷いた。
花音は棚の前へ歩いていき、
少しだけ迷ったあと、
ハローニャンコのSサイズぬいぐるみを両手でそっと抱き上げる。
ふわふわ。
だが、サイズは控えめ。
値札には「2000円」。
花音はぬいぐるみを胸に抱えたまま、
上目づかいで圭介を見る。
「圭介お兄ちゃん……これにしていい?」
(やさしい……!
値段まで考えてる……!)
圭介の心に、
兄ポイント+500が加算された。
「もちろんだよ。
それでいいのかい?」
花音はもう一度、こくりと小さく頷く。
「……にょん」
高価な物じゃない。
でもその分、気持ちが重い。
(この子は……
俺の財布じゃなくて、俺を見てくれてるんだな)
圭介はレジへ向かいながら、
花音の優しさに、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。
一方その頃――
背後では愛生が、
等身大ピノノちゃんぬいぐるみと目を合わせたまま動かなくなっていた。
「お兄ちゃん、愛生はこれが欲しい!」
満面の笑顔で、愛生がビシッと指をさした先――
そこに鎮座していたのは、
3Lサイズ・特大ピノノちゃんぬいぐるみ。
存在感、圧倒的。
価格表示、30,000円。
「……は?」
圭介の思考が一瞬フリーズした。
(え、なにこれ。
ぬいぐるみって、こんな値段するものだっけ?
これ、もう“家具”じゃない?)
人生で初めて知る、
**「ぬいぐるみは巨大化すると急に凶器になる」**という真実。
「い、いや愛生……これはさすがに……」
全力で拒否の姿勢に入ろうとした、その瞬間。
ぎゅっ。
「お兄ちゃ〜ん♡」
――愛生、抱きつき攻撃発動。
「買って〜! 買って買って買って〜!
ピノノちゃん、愛生のお友だちになるんだもん〜!」
(ちょ、ちょっと待って!?
人前! ここ人前!!)
周囲の視線が一斉に集まる。
「あの兄妹なに…?」
「妹、めっちゃ甘えてる…」
「お兄ちゃん、完全にロックオンされてる…」
――逃げ場、なし。
花音は一歩下がり、
「……ご愁傷さまにょん」と小さく呟いた。
圭介は巨大ピノノちゃんと、
妹の潤んだ瞳と、
値札のゼロの多さを交互に見つめる。
(これは……戦いじゃない。
処刑だ……)
数秒後。
「……わ、分かったよ……」
その瞬間、愛生の顔がぱあっと輝いた。
「やったー! お兄ちゃん大好きー!!」
――こうして。
圭介は
3万円の巨大ピノノちゃんぬいぐるみを抱えてレジに並ぶことになった。
(俺のボーナス……
ピノノちゃんに転生したんだな……)
ぬいぐるみ用のレジ袋に収まった圧倒的存在感のぬいぐるみを見上げながら、
圭介は静かに悟る。
兄とは、戦う前から負けが決まっている生き物なのだ。
愛生は巨大なピノノちゃんを両腕いっぱいに抱え、意気揚々とショッピングモール内を行進していた。
……が。
「……前、見えない」
当たり前である。
3Lサイズのピノノちゃんは、愛生の上半身を完全に覆い隠し、視界ゼロという致命的デバフを与えていた。
「ピノノちゃん、ちょっとどいて〜」
もぞもぞ動くが、ぬいぐるみは微動だにしない。
完全に“持たれている”のではなく、“抱えられている”状態である。
「はいはい、こっちにょん」
呆れ半分の花音が、愛生の手を取り、誘導役に回る。
巨大ぬいぐるみ+高校生+冷静ないとこ、という謎パーティ編成で、なんとか駐車場へ。
一方その後ろで――
「……俺、財布、死んだ」
圭介は魂の抜けた顔でつぶやいていた。
⸻
車に到着すると、愛生は当然のように後部座席のドアを開ける。
「よいしょ……」
袋から出されたピノノちゃんは、
ドン
と座席に鎮座した。
「はい、ピノノちゃんもシートベルトつけようね」
カチッ。
……普通に締まる。
「シートベルト付けるくらいデケーな」 と、妙に感心する明宏。
花音はその光景を見て、深くため息をつき、 「……にょん」 と一言だけ残した。
圭介はというと、
もはや何も言えない。
通帳の残高が、頭の中で走馬灯のように駆け巡っていた。
そして自宅到着。
玄関で3Lピノノちゃんを目にした母親が、言葉を失う。
「……なに、この……ぬいぐるみ……?」
「えへへ〜、お兄ちゃんに買ってもらったの!」
胸を張って自慢する愛生。
その横で圭介は、視線を逸らしたまま無言で靴を脱ぐ。
一方、明宏はというと――
「よっしゃ、リールにライン巻くぞ!」
新品のミノーとハイギアスピニングリールを抱え、戦利品を確保した勇者の顔で自室へ直行。
すでに脳内は次回釣行でいっぱいだった。
リビングには、
・巨大すぎるぬいぐるみ
・満足げな妹
・静かに財布の死を受け入れる兄
という、なんとも言えない光景が広がっていた。
圭介は心の中で、そっと呟く。
(……今年のボーナス、どこ行ったんだろうな)
3Lサイズのピノノちゃんを抱えて、
「見て見てー!」
と家族全員に自慢して回る愛生は、もはや勝者の顔をしていた。
巨大ぬいぐるみはリビングの主と化し、
ソファの半分を占拠し、
存在感だけなら家長クラスである。
「ピノノちゃん、かわいいでしょ!」 と得意満面の愛生。
母親もさすがに驚き、 「……それ、ぬいぐるみよね? 人じゃないわよね?」 と現実確認をしてしまうほどだ。
そんな賑やかな空気の中、
花音は一歩前に出て、母親の前に立った。
「おばさん、いつもありがとにょん」
そう言って差し出したのは、
シンプルで上品なハンドクリーム。
「えっ、これ……私に?」 と母親は目を丸くする。
花音は、にょん、と小さく頷く。
「クリスマスプレゼント?」 「……にょん」
一瞬の沈黙のあと、
母親の顔がぱぁっと明るくなる。
「まあ! 花音ちゃんありがとう! 今日から使うわね!」
満面の笑みで喜ぶ母親。
それを見て、花音は満足そうに、にょん、ともう一度頷いた。
――この子、できすぎである。
そして次の瞬間、
花音はくるりと向きを変え、圭介の前に立った。
「はい、圭介お兄ちゃんにプレゼントだにょん」
「えっ、俺に?」
圭介は完全に不意打ちを食らう。
差し出されたのは、落ち着いた色合いのネクタイ。
派手でもなく、安っぽくもない、ちゃんと“大人用”。
(……ああ、俺と愛生がピノノちゃん見てる間に……)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「いつも一生懸命にお兄ちゃんしてくれてありがとう」 「かにょんは圭介が大好きにょん」
そう言い切ったかと思うと――
花音はためらいもなく、正面から圭介にぎゅっと抱きついた。
「……え?」
思考停止。
さらに次の瞬間、
花音は顔を上げ、ちょっとだけ背伸びをして――
圭介の頬に、ちゅっとキスをした。
「……っ!?」
完全フリーズする圭介。
脳内では
《理解》と《現実》が激しく衝突している。
「あらあら」 と、その一部始終を見ていた母親は微笑み、 「青春ねぇ」 などと、完全に余裕の表情だ。
一方――
3万円の巨大ぬいぐるみをおねだりしただけの愛生は、
言葉を失っていた。
(……あれ?
愛生、なんか……負けてない?)
花音の行動、
プレゼントのセンス、
そして最後の一撃。
勝敗は明らかだった。
愛生は何も言わず、
巨大なピノノちゃんをぎゅっと抱きしめたまま、
トボトボと自室へと消えていった。
固まった圭介、
満足げな花音、
微笑む母親、
そして圧倒的存在感の3Lピノノちゃん。
――その日、
圭介は「兄であることの尊さ」と
「お財布の限界」を同時に噛みしめるのであった。
めでたし、めでた……
とは、まだ言えない。




