圭介、冬のボーナス編 第4話 愛生と明宏と花音
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
里香と別れてからの道のりを、圭介は――覚えていなかった。
気が付いたら、自宅のソファに腰を落としていた。
「……あ〜、疲れた。心も身体もめちゃくちゃ疲れた……」
まるで全身のバッテリーが残量1%。
ポケ◯ンだったら今にも“ひんし”だ。
そこへ、すかさず飛び込んでくる影。
「圭ちゃん、なんか疲れてるみたいだね〜」
明宏が、まるで予約していたかのようなタイミングで肩を揉み始める。
中学生とは思えないゴッドハンドだが、今日はそれでも癒されない。
「今日はお兄ちゃんの大好物、愛生ちゃんがカレー作ったよ」
続いて愛生が、ピタッと隣に寄り添い座る。
満面の笑顔。
だが、圭介は知っている。
カレーは自分の好物ではない。
愛生が食べたいだけである。
「愛生ちゃん……ごめん……俺、なんか食欲なくて……」
圭介の声は枯れた草みたいだ。
しかし愛生はニコニコ。
「じゃあ、お腹空くまで愛生ちゃんが一緒にいてあげるね!」
ギュッと圭介の腕に抱きつく。
“1人になりたい”という圭介の気持ちは、この妹には全く届かない。
(……兄って、つらい……)
圭介の心の叫びは誰にも聞こえなかった。
――愛生と明宏にとって、圭介が里香と出かけた事実はどうでもよかった。
そんな事より明日のクリスマスプレゼントの方が100倍重要である。
だが、ひとりだけ違う子がいた。
部屋の入口に立つ花音。
腕を組んで、ふか〜く頷いている。
「圭兄ちゃん……里香ちんと何があったのか、大体想像つくにょん……
あんなに落ち込んで……お人好しすぎるにょん……心配にょん……」
愛生と明宏が“プレゼント脳”になっている中で、
花音だけは真剣な顔で圭介を見つめていた。
(ああ……優しい子だ……)
圭介は思わず胸が少しだけ温かくなる。
だが、腕にしがみついた愛生の重量でソファから身動きは取れない。
「……俺、ほんと疲れたな……」
圭介のぼやきだけが、静かなリビングに溶けていった。
「疲れたから、風呂入ってくるよ」
風呂へ逃げ込むように向かう圭介。
廊下で花音とすれ違った瞬間、その大きな瞳がじっと圭介を見上げてきた。
「……圭兄ちゃん、だいじょぶ……?」
声には出さずとも、表情で全部伝えてくる花音は、まるで天使である。
圭介は無理して微笑む。
「大丈夫だよ、花音ちゃん」
花音はまだ「心配にょん…」という瞳のまま立ち止まり、
圭介はその視線から逃げるように風呂場へ。
湯船に沈みながら、天井を見つめる圭介。
「俺……里香ちゃんにとって“お兄ちゃん枠”だったのか〜……」
湯に溶けるほどの脱力。
今日一日のハードダメージが、ジワジワと湯に溶け出す。
(デートじゃなかったのか……いや、そもそも俺、告白すらしてないのに何で“良いお兄ちゃん宣言”で終わってんの……?)
と、頭を抱えたくなる展開。
しかし、すぐに別の顔が思い浮かぶ。
愛生。
明宏。
花音。
自分を離してくれない弟と妹。
そして本気で心配してくれたいとこの花音。
「……そうだよな。俺は“兄ちゃん”なんだよな」
父親のいない家を背負ってきた実感が、湯気にまぎれて胸に落ちる。
「愛生と明宏の兄貴。花音にとっては頼れる従兄のお兄ちゃん。
俺がしっかりしなきゃな」
今日の“兄枠認定事件”で傷ついたはずなのに――
湯船の中で、圭介の背筋は少しだけ伸びていた。
「……花音ちゃん、あんな顔で心配してくれたんだ。
ちゃんと応えてあげないとな」
湯舟がぽちゃんと揺れる。
圭介の心の中にはまだ痛手が残っている。
でも、それ以上に“守りたい家族たち”の顔が浮かぶ。
兄は今日も強制的に立ち上がるのであった。
風呂から上がった圭介がリビングのドアを開けた瞬間――
「お兄ちゃん、おかえりなさぁい♡
お夕飯にする? お風呂にする?
それとも……わ・た・し・にする?」
と、愛生がツヤツヤ笑顔で迎撃してきた。
出た。
どこかで聞いたことある“お約束パロディ”。
「いや、今お風呂から出てきたんだけど……」
と圭介は力なくツッコむ。
「そっか〜♡ じゃあ、お夕飯と私にするねっ」
満面の笑顔で意味不明にまとめてくる愛生。
圭介はもはや反論すらしない。
返す言葉が見つからないというより、心が弱って反論能力が低下している。
「はいはい、お兄ちゃん座って座って〜」
と、愛生は圭介を半ば強制的に着席させた。
テーブルに置かれたのは――
愛生特製カレー。
「お兄ちゃんの大好きな甘口カレーだぞっ♪」
と胸を張る愛生。
(いや、俺は辛口が好きなんだよ……甘口は愛生の好みだろ……)
とは口に出せず、
「ありがとう……」
と弱々しく微笑む圭介。
「ん? 花音ちゃんと明宏は?」
と尋ねると、愛生はスプーンをくるくる回しながら言う。
「お兄ちゃんお風呂長いから、2人は先に食べちゃったよ〜。
花音ちゃんなんて、
『お兄ちゃん遅いにょん! 激おこぷんぷん丸だにょん!』
って怒ってたもん!」
「いやいや、絶対言ってない。完全に愛生ちゃんの創作だよね?」
と冷静に返す圭介。
「テヘッ、バレちゃった〜☆」
と舌をちょこんと出す愛生。
(激おこぷんぷん丸なんて今どきオッサンしか言わねぇよ……
愛生の前世は絶対オッサンだろ……)
と圭介は本気で疑い始めるのだった。
「では、お腹ペコリーヌのお兄ちゃん、
愛生ちゃんと一緒に“いただきます”を言いましょう♪」
やたらご機嫌な愛生が、にこーっと笑って手を合わせる。
「じゃあ……いただきま〜す」
圭介が普通に言うと、
「ダメダメ! まだだよ、もう!」
愛生が両手をぶんぶん振って全力否定してきた。
「えっ、いただきます言っちゃダメなの?」
圭介、完全に困惑。
愛生はくるっと圭介の正面へ回り込み、
右手をグーにして──そのまま圭介の頭の上に乗せた。
「……何やってんの?」
「しっ、見ててね? いくよ?」
愛生はグーを軽〜くコツコツと圭介の頭に当てながら、
「痛、痛、痛、痛……いただきますっ♡」
満面の笑顔。
小学生でもやらないレベルの幼稚ギャグ。
しかも“痛い”と言っているのは、どう考えても愛生の演技。
圭介は呆気にとられながら、
(……なんだよこれ。くだらなすぎるだろ)
と思うのだが、
胸の奥がじんわり温かくなるのを止められなかった。
今日は心が折れそうになるほど疲れた。
里香の言葉にぐったりして、帰り道も覚えていないほど落ち込んでいた。
だけど。
愛生のこういうくだらない優しさが、
圭介の心をそっと包んでいく。
「……いただきます」
今度はほんの少しだけ、あたたかい声で言えた。
「お兄ちゃんの、可愛くて愛おしくてたまらない愛生ちゃんが作った、ジャガイモゴロゴロ甘口カレーだよっ♪」
テーブルの向こうで、愛生が胸を張って自慢げに宣言する。
その笑顔はまさに天使――
だが、皿の上のカレーはというと……。
ゴロッ…ゴロッ…ゴロッ…
ジャガイモ、惑星サイズ。
しかも妙に白くてツヤツヤしているのが不穏である。
説明しよう。
愛生は普段、キャラクターがプリントされた幼児向けレトルトカレーを愛用している。
それを日頃嫌というほど食べさせられている圭介は甘口好き”という誤った思い込みを愛生に植え付けてしまっていた。
(いや俺、ほんとは辛口派なんだけどな……
言える空気じゃねぇ……)
と、圭介の心の声は虚しくこだまする。
「さぁ〜、た〜んと召し上がれ♪」
無邪気な天使の笑顔でスプーンを握る愛生。
逃げ場はない。
圭介は覚悟を決め、巨大なジャガイモをスプーンに乗せ――
ぱくっ。
――ガリッ。
……ガリッ!?
シャリッ。
(おいぃィィィィ! これ、絶対、火、通ってねぇだろぉおおお!?)
胃腸に不安が走るが飲み込むしかない。
だが、圭介は笑顔でごまかすしかない。
「どぉ? 美味しいでしょ? 我ながら自信あるんだよね〜♪」
(ジャガイモ半生だよ、とは言えねぇ……!)
「……う、うん! とっても美味しいよ。愛生ちゃん、お料理上手だね!」
「えへへ〜♪ やったぁ、お兄ちゃんに褒められた〜♡」
満面の笑顔で頬を緩ませる愛生。
その笑顔だけで、
里香にフラれてカチコチに冷えていた圭介の心は、
じんわり、ゆっくりと――
本当に温め直されていったのであった。
そしてその裏で、圭介の胃腸は静かに危険信号を灯し始めていた……。




