些細な出来事からの孤立
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
翌日、月曜日。
明宏はいつものようにカバンをを背負い、普段通りの足取りで通学路を歩いていた。
少し先に辰夫、哲也、学の3人が見え、思わず駆け足で近づく。
「おはよう!」といつも通りに声を掛けた明宏。
だが――
「……チッ」
振り向いた辰夫は舌打ちをして、わざと視線を逸らす。
哲也も学も、顔を見合わせてから無言のまま歩調を速めていった。
取り残された明宏は、その背中をただ見つめるしかなかった。
教室に入ってからも、状況は変わらない。
休み時間になっても、3人は机を寄せ合い、笑い声を立てて話している。
だが、その輪の中に明宏の居場所はなかった。
鉛のように重い沈黙が、明宏の胸にのしかかる。
ショックのあまり、明宏はその日一日中、机に突っ伏すように下を向いて過ごした。
ガックリとうなだれた姿は、クラスメイトから見ても明らかに元気がない。
だが、沈んだ雰囲気をまとった明宏に、誰も気軽に声をかけられなかった。
結果として、周囲から孤立しているように見えてしまう。
(……僕、クラスのみんなからも嫌われちゃったのかな)
心の中で、明宏は勝手にそう思い込んでいた。
バス釣りで竿を折り、辰夫たちに笑われた“カッコ悪い自分”のことが、
クラス中の噂になっているのではないか――そんな妄想が頭から離れない。
実際には、クラスメイトの誰ひとりとして釣り竿の件を知ってはいなかった。
だが、自分自身を責め続ける明宏は、ますます殻に閉じこもっていくのだった。
その日を境に、明宏は朝なかなか布団から出られず、学校に遅刻を繰り返すようになった。
遅刻が続けば、登校してもすでに授業が始まっているため、クラスメイトと交わすちょっとした挨拶や雑談の機会もなくなる。
気づけば休み時間も机に突っ伏して過ごすことが多くなり、次第にクラスメイトたちとの距離は広がっていった。
(……僕なんか、いなくてもいいんだ)
そう思い込むようになった明宏は、自分から話しかけることもなくなり、孤立の悪循環に飲み込まれていった。
同じ中学に通う愛生は、そんな弟の変化にいち早く気づいていた。
以前のように元気に「愛生、今日一緒に帰ろう!」と声をかけてくることもなく、
下を向いたまま一人で帰る後ろ姿が、愛生の胸に重くのしかかる。
(明くん……大丈夫なのかな)
心配になった愛生は、何とかして弟を助けたいと考え始めるのだった。
愛生は思い切って母と圭介に、弟の様子がおかしいことを打ち明けた。
母は少し驚いたように目を見開き、そして真剣な表情でうなずいた。
「……そうだったのね。ごめんね、私、仕事ばかりで気づいてあげられなくて。でも、なるべく明宏と話す時間を作るようにするわ。夕食の時でも、休日でも……ちゃんと顔を合わせて過ごす時間を増やすから」
圭介は腕を組んでしばらく考えたあと、
「なら俺は――明くんをエリアフィッシングに連れて行ってやるよ。自然の中で魚釣れば気晴らしになるし、自信も取り戻せるかもしれない」
と提案する。
母と兄の前向きな答えに、愛生は胸を撫で下ろした。
(……よかった。私一人じゃない。家族みんなで明くんを支えられるんだ)
けれど愛生の心には、もう一つの思いがあった。
(でも、学校のことは……やっぱり私がフォローしてあげなきゃ)
弟が孤立してしまったのは学校の中での出来事。
同じ中学に通う自分だからこそ、できることがある。
愛生はそう決意し、翌日から明宏の様子をさりげなく見守ろうと心に誓った。
昼休み時間。
校内のベンチで、ひとり俯いて座っている明宏。
そこへ愛生と里香がやって来た。
「明くん、一緒にお昼食べよ!」と愛生が元気に声をかける。
「……いいよ。僕なんかと一緒に食べなくて」 明宏は目を逸らした。
「いいから、いいから!」 と有無を言わさず愛生は明宏の隣に座る。
里香も続いて腰を下ろし、両手に花のような状況になってしまう。
明宏は隣の里香にドキドキしながら弁当箱を開く。
そこには少し焦げた玉子焼きと、足が開かないタコさんウインナー。
「今朝、早起きしてね、愛生ちゃん頑張りました!」
と照れ笑いしながら自己申告する愛生。明宏は思わずほのかに笑みをこぼす。
すると里香が小さなタッパーを差し出してきた。
「……あんた、顔が暗いから。これ、食べて元気出しなさい」
中には一口サイズの可愛いハンバーグ。
「えっ、いいの……?」
「勘違いしないでよね。別にアンタのために作ったんじゃなくて、余ったから分けてあげるだけなんだから」
言葉はツンとしているのに、その声色はやさしくて。
明宏は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じながら、二人に囲まれてお弁当を頬張るのだった。
休日には圭介が明宏をエリアフィッシングへと連れて行き、
帰宅すると母が目を輝かせて 「すごいじゃない!」 と釣果を一生懸命に褒めてくれる。
そうして明宏は少しずつ自信を取り戻し、鱒釣りに夢中になっていった。
愛生や里香との信頼関係も深まり、3人で並んで笑い合う時間も増えていく。
――だが。
学校では相変わらず遅刻が絶えず、とうとう休んでしまう日まで出てきてしまった。
母も圭介も、そして愛生も頭を抱えるばかり。
どうして家では元気なのに、学校となると足が止まってしまうのか……。
そのとき、愛生はふと 「あること」 に気づいた。
明宏は学校へ行く日には布団からなかなか出られない。
遅刻続きで母に叱られても、どこか上の空だ。
――だが。
釣りに行く日だけは、まだ空が白む前からシャキッと起きて圭介を待っているのだった。
「……明くん、本当はやればできるんだよね」
そんな弟の姿を見ながら、愛生は胸の奥でひとつの決意を固める。
――高校生になったら、鱒釣り部を作ろう。
通っているのは中高一貫校。
もし中等部から続く既存の部活だったら無理だけど、高校だけで立ち上げれば、中等部の生徒も活動に参加できる。
そうすれば、明宏を堂々と 「部活」 として釣りに誘えるのだ。
愛生はそのアイデアを抱えて、早速里香に相談する。
「ねえ里香ちゃん、もし私が高校で鱒釣り部を作ったら、どう思う?」
里香は一瞬きょとんとした後、クスっと笑いながら答えた。
「……バカじゃないの? そんなマニアックな部活、誰が入るっていうのよ」
でも、その声はいつもより少し優しくて。
「……でも、明宏くんが楽しめるなら、悪くないかもね」と小さく付け足すのだった。




