04 女スパイは御挨拶する
「これから奥様のところへ御挨拶にうかがいます」
ああ、侍女は御家族のお世話を担うからなあ。それにしても侯爵夫人とは畏れおおい。
重厚な扉をノックして、「マーサです。お連れしました」と声掛けする。すかさず「はいってちょうだい」と応答があった。マーサさんがギギギーと開ける。中は荘厳な造りだ。装飾が施されたガラス窓を背にして、気品にあふれる貴婦人が座っていた。
とっさに私は母の言いつけを思い出した。「位の高い人に会ったら、カーテシーをしなさい」と言われていたっけ。落ちぶれても元貴族の端くれ。いろいろと仕込まれている。
私は貴婦人の前に進むと片膝を曲げて屈んだ。目線は俯き加減に……。
えっ、無言? 静寂が続く。間違えたかな。不敬だったろうか。もう、頭の中はぐちゃぐちゃだ。足が痺れてきた。やっと奥様が口を開いた。
「直していいわよ。それ、誰に習ったの?」
直立して、ほっと息をする。気後れして声が出てこない。
「答えなさい」、マーサさんから指示が出る。唾を呑み込み言葉を絞り出す。
「母でございます」
「そう。お母さまはお元気?」
「いえ、一年前に亡くなりました」
「それは大変だったわね。
兄弟姉妹はいるの?」
「はい。弟と妹が一人ずつ。
ただ、母の子は私だけです」
「少し、ストッコランド訛りがあるわね。まあ、そのうちに自然と消えるでしょ」
「ありがごとうございます。気を付けます」
「こちらに来なさい。もっと近く」
おそば近くに寄っても、もっと近くと手招きされた。もう触れんばかりの位置まで進むと、いきなり顎を摘ままれた。顔中を満遍なく点検される。下瞼を押し下げられて、眼球をのぞき込まれた。なんだこりゃ。トラコーマの検査か。ソバカスが少し出ていたかな。ニキビは無かったはずだけれど……。
「マーサ、面接はどうだったの?」
「はい。
加減乗除は全問正解でした。スピードも適切です。
書き取りについては、スペルミスは皆無でした。癖のない綺麗な筆跡です。理解度も申し分ありません。
身体では、ご覧のように背が高く痩せ気味です。柔軟性と筋力は平均以上です。ただし、栄養状態が悪く、回復には数か月を要すると思われます。仕事に支障するほどはありません。厨房には特別メニューを頼むつもりです。
具体的な数値などは後刻、報告書をお持ちします」
「それはよかった。だいじょうぶよね。
しばらく大変だけど、辛抱なさい。
マーサ、頼むわね。ありがとう。下がっていいわ」
なんなんだ?
その後、補佐のイレーネさんに居室へ案内された。二人部屋だ。
「ここで寝起きをしてね。いろんなことは同室者が教えてくれる。
これ、中身を改めさせてもらったわ。お返ししますね」
といって、持参した巾着袋と着てきた衣類を返される。疑いは晴れたのかな。
徹底しているなあ。流石は国防の要の御屋敷だ。