15 侯爵夫人は腹をくくる
コンコン。夫である侯爵の居室をノックする。
「わたしです」
「いいぞ、入ってくれ」
「折り入って、お話があります」
「ああ、なんだ」
「今日、侍女を一人、雇い入れました。名前はブルーベルです」
「そりゃあいい。これでマーサの負担が減るな。使える娘なんだろうな」
「とんでもなく優秀です」
「ほぅ、一度、会ってみたいな。で、何か問題でも?」
「それが、ねえ」
口調を変える。
「大ありなのよ。先ず出自だけど、ストッコランド王家の末娘なの。いいえ、正確にいうと、さらにその娘ね。末娘自体はスンフラ国の貴族と一緒になったけれど亡くなっているそうよ」
「おいおい、なんだって! 本当か?
大問題だぞ。スンフラの王族全てが根絶やしにされた中で、一人だけ生き延びたっていう娘だよな。王家に知られたら大事だぞ」
「ほら、我が家で長姉のオルガを匿ったでしょ。結局、王家にバレて捕縛され、処刑されてしまったのだけれど、そのとき、オルガに頼まれたの。末の妹をよろしくって。確か、駆け落ちして、いなくなっていたのよね。
で、見分け方を教わったの。ストッコランド王家の人間は、瞳の色が独特なのですって。ちょっと見みには解らなくて、誰も知らないけれど、身内が見たら判るって。それであのとき、私と侍女二人でオルガで確認させてもらったの。一人は今の侍女頭のマーサなんだけれど、もう一人は結婚して辞めたクララね。そのクララは、ほら、職業紹介所を任せているでしょ。彼女が受付をやっていて、見つけたのよ。その娘を。
マーサに連絡がきて、我が家で引き取ることにしたの。侍女として雇えば怪しまれないはずよ」
「あー、頭が痛い。あのとき我が侯爵家は、匿った咎で領地を減らされたんだ」
そうなのだ。私が王女、現グインランド王家の娘ということもあって、それくらいで許された。
「瞳の秘密を知っているのは、私を含めて女三人だけね。娘本人も知らないみたいよ」
「じゃあ、隠し通せ。お前ら三人が墓石の下までもっていけ。それで終いだ」
「それがね。そうもいかないのよ。その娘がね、スンフラ国のスパイなのよ。スパイとして送り込まれているのよ」
マーサが、一緒に付いて来た男の後を追わせて突き止めてくれた。家族については確認中だ。恐らく、ブルーベルの足枷せになっている。どうにかして憂いを取り除いてやりたい。そしてクララには、あの男関係の紹介先を思い出すようにも頼んでいる。
あの眼には、自分の身体を捨てる覚悟を宿している。現状はとんでもない危険人物なのだ。
「なんだってえ。なんで、そんなことに……。
そりゃあ、まずいぞ。スンフラとは、いつ、ドンパチが始まってもおかしくない情勢なんだ。おいおい、どうするんだ。始末するわけにはいかないし、放逐するわけにもいかない。うぅぅん。弱った。
あっ、逆に、あそこのスパイ網を根こそぎ潰すチャンスか」
「お悩み中のところ、申し訳ないけど、もう一つ、悩ましい問題があるのよ」
「なんだ?」
「私たちの自慢の、奥手でヘタレな一人息子がね。その娘に惚れたの」
「ええっ? なんだって?」
「だからね。あの堅物がね。その子にゾッコンなの」
「ぎょえー、色気が出てきたのか。そりゃあ目出度い。めでたいが、どうなるんだ?」
「その、娘の所作が、もう生粋の王女様なのよ。母親の仕込みよね。命を削って躾けてあるっていう感じ。初対面の私に向けたカーテシーなんて、出会ったこともない見事さだったわ。朴念仁がコロリと参るわけよ。あなたと同じかしら。ふふふ」
夫は頭を抱えている。我がダレーラ家は実のところ、現グインランド王家に征服されたウルズ王家の末裔なのだ。ストッコランドとは異なり早くから恭順の意を示して血筋を永らえてきた。直系ではなく家名も異なるからウルズとは関係ありとは認識されていない節もある。
夫は、ブツブツ言い出した。独り言だ。でも、私が聞いていることを意識している。聴かせて、一緒に考えてもらいたいのだ。
「平民との婚姻は王家が認めないか。愛妾扱いでもいいか。いや、王家を滅ぼすチャンスか、分離独立するか……」
などと不穏なつぶやきを繰り返している。
今の王家は失政続きで民心が離れているから、我がダレーラ侯爵家にとって悲願達成の好機ではある。軍務大臣を任せているのは、王家が軍を率いる自信が無いからだ。もちろん警戒していて、私を嫁がせた。この家にとって私は仇の子女という出生だけれど、身も心も夫と一心同体で、夫とは信じ合っている。
そういうわけで我等が一人息子は、夫のウルズ王家と、私のグインランド王家の血を引いている。そこへ、ブルーベルのストッコランド王家が加わった孫が生まれたら、テンブリ島の真の統一王朝だ。天地がひっくり返える事態なのだ。夫は、それくらいの連想をしている。楽天家だからほんと、おっ始めるかもね。
それにしても、あの娘一人で、国の命運がガラッと変わるってんだから恐ろしいよね。
すると突然、立ち上がった。
「ヨシ、決めた。まずはマゴだ。孫。それから行動を起こす」
たぶん、男の子か女の子かで選択が別れるということなのだろう。まるでコイントスだ。それにしても今から孫とは気の早い話である。頭の中では既成事実になっている。孫が成人して統一王朝の国王に即位するあたりまで妄想が膨らんでいるかもしれない。あれ? 私も、かな? 似た者夫婦か? ただ、息子のオッチョコチョイの性格は、この人の遺伝だからね。これで家系を永らえているのだから不思議なことである。
そうと決まれば、あの娘を徹底的に鍛える必要があるな。私は決意した。そして、私をここまで仕込んだ義母のことを思った。
貴種流離譚は毛嫌いしていたのですけれど、歴史モノはどうしても生まれの身分が重要になってくるので、一度、挑戦してみた、ということです。
御愛読くださった皆さんに感謝申し上げます。事情により再開に日数をいただくことをお許しください。




