第二章 本貫の地 頁一
十河城は讃岐の中央部よりやや東、十河の郷(香川県高松市十川東町)の小高い丘の上に建つ。
さほど大きいというわけではないが、讃岐争乱にともない堀と土塁を何重にも築き、西に池、東は断崖、南にはさあ来いとばかりに大手門が構えられている。
その中で、存保らおよそ一千の兵たちが守りを堅めていた。
無論、城にはお燕もいる。腹も大きくふくらんできている。
数ヶ月前に阿波で破れ、洪水のどさくさにまぎれて脱出し、山野を越えて讃岐まで落ち延びて、十河氏の本貫の地である十河の郷に入った。
身重となったお燕を、存保は子供を背負うようにして、おんぶして歩いた。
まさか家来に背負わせるわけにもいかなかったとはいえ、お燕は、存保の背中が大きく感じられた。
城に入ったとき、故郷にようやく帰り着いた感慨にふける間もなく、後を追うように長宗我部軍が攻め込んできた。
存保ももちろん黙っているわけもない、各地で家来たちと必死になって抗戦したが、とうとう十河城まで追いつめられてしまった。
その十河城を取り囲む長宗我部軍、三万五千。
阿波制覇の余力を駆って讃岐に攻め入り、そこに長宗我部軍に降った阿波讃岐の豪族たちも加わり、中富川の時よりも多くの兵力が、十河城へと動因された。
「よう集めたのう」
孝康が鼻息も荒く、吐き捨てるようにつぶやいた。
その通り、城周辺にはおびただしい人数があつまり、目を血走らせて城攻めの合図を待っている。
郷は、蹂躙されてしまった。
先に「長宗我部が来るぞ!」と言ってまわったものの、怒涛のような長宗我部軍にまたたく間に飲み込まれてしまい、殺された者もあった……。
それこそ孝康は、
「おのれ!」
と槍をひっつかんで城から飛び出そうとした。
それを周りの者はようやく止めた。気持ちはわかる、城の者たちとて、同じように飛び出したい。しかし、だからと言って算を乱して突っ込んでも勝ち目はない。犬死にがおちだし、それこそ長宗我部軍の思うつぼだ。
孝康をはじめ何人かの者が土に額をこすりつけ、郷の有様に涙して。復讐を胸に誓った。
が、しかし、三万五千を相手に一千で、どうするのか。
存保は顔をしかめ、やむなく本土の羽柴秀吉の後援を乞い、そこで淡路の仙石秀久が援軍に駆けつける段取りになった。
仙石秀久が応援に駆けつけるまで、なんとか持ちこたえるしかない。
城を囲む長宗我部軍の陣容が整ったか、暁が昇るとともに突如としてほら貝が鳴り太鼓の音が響いた。それを飲み込まんがばかりに、土佐武士たちの吼える雄叫びが城を揺るがした。
幾重にも築いた土塁も堀も、土佐軍の人海戦術によって壊され埋められしてしまい、そのほとんどがあっけないほどの勢いでその姿を消し去った。
「来たぞ!」
という城兵の声とともに、火矢が飛び、鉄砲の弾丸が土塁を砕き始めた。城兵たちも矢や鉄砲のみならず、丘や断崖、高塀をよじ登る攻め手に岩も投げつける。
だが迫り来る兵を斃しても斃しても、次から次へと、まるで荒れた海の白波のごとく押し寄せる。
城全体で血戦が展開されていた。
攻め手は特に南側の大手門に集中し、門を叩き壊そうとしている。存保はすぐさまそこへ駆けつけ、城の兵力も集めさせた。
「門を開けろ!」
その言葉に門の城兵一同、殿は何を考えているんだと驚いたが、
「開けろと言ったら開けろ」
存保槍を突き出しがなって止まらない。門の前に、数十丁の鉄砲隊も集まってくる。おそらく、何かお考えあってのことと、城兵はやむなく門を開けた。その刹那、一斉射撃の、破裂するような大音響が響きわたる。
攻め手はわっと声を上げ驚き、一瞬算を乱す。その隙を逃さず、存保咄嗟に門より出て、長宗我部兵を槍で突き倒し始めた。
「つづけっ!」
孝康以下百余の城兵も負けじと飛び出し、長宗我部方の兵を刀や槍で屠る。
突然のことに驚いた長宗我部兵は慌てふためき、さらに算を乱した。
まさか向こうから門を開けて攻めてくるなど思わず、意表を突かれ、攻め手の詰まり具合にほころびが生じ、逃げ出す者もあった。
「退け!」
存保その隙をうかがい、家来たちと共にとっさに城内に逃げ込む。深追いはしなかった。高塀のくり抜き穴よりの鉄砲の援護射撃も功を奏し、南側大手門の長宗我部方はやや混乱に陥っていた。
が、すぐに後ろから迫ってくる後続部隊の将が、
「なにをたじろぐか」
と一喝をし、なんとか体勢を整えなおし、再び大手門を打ち壊そうとする。すると、
どおん
という、まるで空より地に至るまでの激しい落雷でもあったかのような大音響が空を揺るがしたかと思うと、また、
どおん
という爆音と共に地が揺れて、長宗我部方の陣地がひとつ爆裂した。
「何事」
と、皆突然のことに驚き、いつのまにか上がる煙に度肝を抜かれていた。これは天魔の業なのか、と。
「大筒」
誰かが言った。一同なんじゃそれはと、おろおろとどよめいた。
十河城には、大筒があったのだ。
「こんなこともあろうかと、用意していたのよ」
存保はもくもくと空に昇る煙を眺め、得意げに吼えた。城兵たちもわっと吼えた。城内にあっても、角度をあわせれば高塀も超えて攻め手のど真ん中に的中する大筒の威力に、驚きと嬉しさを発散させる。
もちろん大筒はとても高価な兵器で、土佐の長宗我部ごときに買えるしろものではない。
四国で大筒を持っている大名は、おそらく十河家だけであったろう。伊達に三好につながっているわけではなかった。
十河城には、軍資金も豊富に貯蔵されていた。が、戦の真っ只中では、残念ながら役には立たない。役に立たせたければ、勝利を掴み取るしかない。
が、しかし、果たして勝てるか。三万五千相手に、一千の城兵で。
金も威力のある武器もある、しかし、前線ともいえる阿波勝瑞で敗れたのは致命的であった。この敗戦により、集められる兵が減り、長宗我部に降る者たちが増えた。
「なんの、最後っ屁よ」
元親が吼えた。
元親とてそれは心得ていた。なにより十河城攻めを急ぎたかった。
最近本土では織田信長にかわり、羽柴秀吉が猛威を振るうようになった。うかうかしていると、羽柴秀吉に背中を突かれてしまうかもしれないのだ。
すでに淡路の仙石秀久に十河救援を命じているという情報も入っている。
「たとえ藤目城二の舞になろうとも、なんとしても押して、落とせ」
元親は猛攻を命じた。ちなみに藤目城二の舞とは、かつて讃岐の藤目城(香川県観音寺市)という城を攻めた時、城将新目弾正という者の猛反撃をくらい、大損害を出しながらもようやくにして全滅させて落とした。
数にして、城方は五百、元親側は五千。で、損害は相手方より多い七百。
そういうことがあった。が、その二の舞になろうとも、元親は十河城攻めを急ぎたかった。
その元親の言葉を真っ向に受けすぎた者があった。
周囲が止めるのも聞かず、ひとり若武者が十河城めがけて馬で駆け出そうとしていた。
信親であった。
「若、なりませぬ。抜け駆けの功名は手柄になりませぬぞ」
「お立場をご自覚あそばされよ」
馬の口を取って止める家来たちを、
「邪魔するな」
と左文字の太刀を振るい振り払おうとする。
信親の脳裏に、小雨より伝え聞いた存保の言葉が反芻される。いわく、遠慮は無用、男同士堂々と渡り合おう、と。
恩を売りつけず、武士として男として戦おうという存保の心意気に応えようと、信親は必死だった。
「大手門より十河存保が一時出てきたという、なら、また出てきたところをおれの手で討つのだ」
そう言って聞かない。
家来の中でとくに大柄なものが、やむなしと信親の身体にしがみつき、
「ごめん」
と馬上より引き摺り下ろした。
大柄な信親の身体が、どさりと地面に叩きつけられる。
「無礼者」
信親はとっさに起き上がり、左文字の太刀を振り上げ家来に斬りかかろうとする。それを止める家来たち。信親の陣は大騒ぎとなった。
その騒ぎは元親の本陣にまで聞こえ。
「どうした」
馬を駆って信親のもとまで来れば、あろうことか信親は数人の家来とつかみ合いの喧嘩をしているではないか。
周囲は呆然と成り行きまかせに見守っている。
元親は馬を降り、大股で信親のもとまでゆくと。
「たわけ」
拳をその頬にくらわせた。この大事な時に何をしているのか。怒りがそのまま拳に出た。
その衝撃強く、信親はどさっと地に伏し殴られた頬を赤くして、父を睨みつける。
(小僧)
その言葉を吐きそうになり、あやうく喉もとで止めた。さすがに家来の前で信親を必要以上になじるのは、はばかられたが、どうも、勝瑞攻めのころから信親の様子がおかしい。
元親は眉間にしわを寄せて、信親と睨みあった。
一瞬、空気が凍りついたようだった。城攻めの轟きがあたりを包みこむも、父と子は対峙したまま動かない。
そのころ土佐の長宗我部氏の居城、岡豊城(高知県南国市)の一室で、小雨はひとり濡れ縁にて空を見上げている。
真っ青な南国の空は、突き抜けそうなほどの陽光を地上に降りそそいでいる。
小雨はその空の向こう、土佐の国に壁のように立ちはだかる山々の向こうにある讃岐の、お燕や十河家の人々のことを思っていた。
勝瑞攻めでのこともあり、今回はさすがに土佐にとどまっているが。勝瑞城でのことが、脳裏をよぎる。
自分の言ったこと、お燕の言ったこと、存保の言ったことが、何度も反芻されて。我知らず瞳を閉じて、手を合わせる。
いま、讃岐の十河城で繰り広げられているであろうことを思い浮かべて、身が振るえ、涙も落ちた。
(どうか、どうか、健やかなややさまをお産みくださいますよう)
すがる思いで空に向かって祈っていた。
そのお燕は、奥の間で、数人の侍女とともに篭城戦の中にいる。
腹に手を当て、篭城戦の轟きになんとか臆せず、静かに上座敷に座している。
(わたしが怖がれば、ややも怖がるかもしれない)
そう思って、なんとかふんばっていた。
それを気遣い、たすきがけの侍女たちは薙刀をもちながら、守りを固めていた。いざとなれば、この身を挺してもお燕を逃がす決意でいる。
薙刀を持つ手に力がこもる。
だが、篭城戦の轟きは獣たちの叫びにも聞こえ、心をゆすぶった。普通なら脱兎のごとく逃げ出してしまいたくなるほどの恐怖だった。侍女たちはおろか、男たちでさえ、本音は逃げたかった。
先の中富川の合戦で、お燕は恐怖のあまり目を閉じ耳を塞ぐ有様だった。それが、腹のややを怖がらせまいとこらえている。
構え、撃て。という掛け声のあと。
炸裂する轟発音が響いた。
大筒が火を噴いたのだ。
だが、篭城戦の轟きはやまず、ますます激しさを増してゆく。
激しさを増す城攻めの轟きにつつまれ、元親は信親の目を見据え、
「好きにしろ」
とだけ言うと、馬にまたがり本陣へと引き上げてゆく。
若を説得してくれるであろうと思っていた家来たちは、口をあんぐりと開けて元親の背中を見送る。
それとともに信親は飛び起き愛馬にまたがり、十河城めがけて駆け出してゆく。
「ええい、若につづけ」
やむなしと、家来たちも後につづく。
(困った奴だ)
と思いつつ、元親は信親の好きにさせることにした。あの様子では言っても聞かないだろうし、三万五千の軍勢の総大将の親子が無駄に争えば、軍勢の団結や戦意に障る。それは信親の抜け駆け以上に影響が大きい。
ここはひとつ、賭けではあるが、信親の好きにさせた。もし討たれれば、それまでのことだということだ。
(わしにはまだ、子がおるわ)
ぽそっと、心の中でつぶやいた。
城攻めの軍勢の中を、疾風のごとく駆け抜ける一陣の風があった。
信親であった。
さきの勝瑞攻めで、血気盛んな若武者らしく、十河存保をみずからの手で討つことを望んでいた。
中富川の合戦で自らを讃岐人と称する妙な淡路人、安宅孝康を討たなかったのも、賭けではあるが、もし生きていれば存保をかついででも讃岐へ落ち延びさせるかもしれないと考えたからだった。
戦況からして、手柄を他に獲られそうだったからだが。その思惑はあの洪水でひっくり返されてしまった。
小雨を助けられなかった不甲斐なさや、死んだと思っていた小雨は生きていて敵方に助けられたことと。
小雨より伝え聞いた存保の言葉。
若い心に強い衝撃を与えるに十分なものだった。
(十河存保殿、ただいま長宗我部信親参上つかまつる)
愛馬を駆けさせ、全身で風を打ち砕いてゆき、風が頬をなでてゆく。槍をにぎる手に力がこもる。その若殿の疾風のごとく駆け抜ける雄姿に、
「若につづけ」
と攻め手の戦意がいやがうえにも昂ぶった
その様子を、遠目の利くものが見、存保に知らせた。
「なに、信親」
存保も馬に乗り、城を出ようとする。
それこそ家来たちは止めたが、存保は出ると言って聞かない。
(健気なるかな、長宗我部信親)
小雨はたしかに信親に言伝を伝えてくれたようで、それこそ信親は存保の言葉に応えようと槍をひっさげこちらめがけて駆けている。
なら存保もそれに応えねばなるまい。
ただ城から出れば大軍に包囲され殲滅させられる。そこで、存保は一計を案じた。
大手門が開かれた。
孝康以下家来たちを率いて、存保が城から飛び出す。と同時に、大筒が火を噴いた。その大筒の弾は轟音を発し、存保の行く先に着弾し地を響かせ爆裂した。
十河城目掛けて駆ける信親は行く先を砲撃されて馬の足を止めた。周囲は砲撃をうけ、大騒ぎで浮き足立っている。
わずか一千の兵しかいない十河城だが、この大筒の砲撃のおかげで長宗我部軍は予想以上に攻めあぐねている。
(卑怯)
自分に気付き、砲撃をくわえたのか。あの言葉はうそだったのかと、信親は天に向かい昇る煙をうらめしげに見据えた。
その時、わっという叫び声がしたかと思うと、煙の向こうから一騎駆けの武者が信親に向かって突っ込んできた。
「十河存保、見参!」
はっと、信親は槍をかまえ、そのまま激突し、一騎打ちとなった。
双方激しく槍を繰り出す。
「よう来た、信親」
「十河存保殿でござるか、お会いしとうござった」
言葉にこそ親しみに溢れているものの、槍を激しくぶつけあった。
それが、武士というものだった。
が、混戦である。今度は信親の「手出し無用」も通じなかった。十河方では信親に手を出さないものの、長宗我部方では存保を討とうとする者があった、それを孝康が討ってゆく。
「男同士の一騎打ちを邪魔するな」
存保と信親の周りを駆けてまるで審判のように勝負を見守っている。さらにその周囲に砲撃がくわえられた。
それこそが存保の案じた一計であった。
大筒という武具の利を生かし、誰からも邪魔されず一騎打ちをするのだが、その目論見は成功した。
地を揺るがす着弾の爆音と爆風につつまれながら、混戦の中、存保と信親は男同士、正々堂々と渡り合っていた。
激しい槍の応酬が繰り広げられる。
隙あらばとすかさず打ち込み、止められ、打ち返して。
ふたりとも、笑顔だった。
この一騎打ちを楽しんでいる。
一騎打ちが烈しさを増すにつれ襲いかかる者も少なくなってゆき、砲撃や孝康らの働きの効果もあってか、やがて存保と信親を中心にして人は輪になって広がり、黙って一騎打ちを眺めるようになっていた。
一打ごとに「おおっ」という声も聞こえる。
「やっとるぞ!」
城からも一騎打ちが見える。攻め手も突然はじまった一騎打ちが気になるのか、知らないうちに攻めの勢いがゆるくなり、やがて波がやんだ。
皆石のようになって、存保と信親の方ばかり見ている。
激しく打ち合う槍の音と、激しい怒号があたりに響く。攻め手も守り手も固唾をのんで見守っている。
信親は若さにまかせ竜巻でも起こしそうなほど槍を振り回し、存保は竜巻の中をかいくぐり時に槍を打ちかえし、防戦一方のようだった。
十河方の兵たちははらはらし、長宗我部方の兵たちは信親の勝ちを信じ相手を討ち取るのをいまかいまかと楽しみにしている。
(やるもんじゃ)
信親に気圧されつつ、その強さに感心する存保。ごくりとつばを飲み込む孝康。中富川でいやというほど思い知らされたその強さが、存保に迫ってくる。
(やばいかもしれん)
そう言えば、信親の母親は美濃(現岐阜県)の名門斉藤家の出で、当主利三の妹だそうだ。
斉藤家は明智光秀に仕えていたが、明智光秀が羽柴秀吉との戦いに敗れ当主利三が処刑されてから、遺族は長宗我部家を頼り土佐に身をよせている。その中に、後の春日局となるお福もいるが、今は誰もその将来を知らない。
ともあれ、その良質の遺伝子を受け継いでいることは、この働きひとつを見てもよくわかる。
だが孝康はそれ以上に、ふたりの目に釘付けになっていた。
殺し合いをしているというのに、目に憎悪の色は微塵もない。むしろ生き生きとしている。追いつめられているはずの存保ですら、まるで悪餓鬼のように楽しそうにしていた。
その時、一瞬、信親と存保のまわりの空気がかたまったようだった。その刹那、信親の目の輝きが増し、槍が電光石火の勢いで存保に迫った。
「やった!」
誰かが叫んだ。だが、
「いや、まだまだ!」
孝康は言い返すように叫んだ。その通り、まだ存保は討たれていない。だが、手ににぎるはずの槍がない。
槍は弾き飛ばされてしまった。信親の攻撃を防ごうと槍を繰り出して、そのまま弾かれ、天に向かって飛んだかと思うと、地に突き刺さった。
「おお!」
という大歓声。
「えやあっ!」
すかさず、信親は掛け声をかけ二撃目を繰り出す。存保は無手、太刀を抜くひまもない。だが目は槍を凝視して。
咄嗟にかわし、その槍の長柄をひっつかんだ。
それから、綱引きならぬ槍引きの力比べになった。
周りのざわつきも一段と高くなる。
信親はこの存保の行動に意表をつかれやや面食らったようだったが、すぐに気を取り直し槍を引くが、存保は存保で、すごい力で槍を引っ張り奪おうとする。力は存保がまさっているようだった。
ともに歯を食いしばり、全身に力を込める。
(これはいかん)
力比べでは敵わぬとさとり、信親は槍を引くよりもむしろ持ち上げるように上方向に力をかけた。
そうすれば槍はみしみしと音を立てゆがんできて、やがてひびがはいり、
べきっ!
という大きな音を立てて真っぷたつに折れてしまった。槍の長柄も頑丈につくられている。それを折るふたりの腕力はいかばかりか。
「おのれ」
存保は叫び。折れた槍をすて、今度は双方太刀を抜く。
「ええい、若をおつれしろ」
という声が聞こえるや否や、長宗我部方の兵らは信親と存保のもとに迫ってくる。孝康も咄嗟に、
「殿を城へ!」
と叫ぶ。
放っておけばいつまでも続けそうだったこのふたりだが、これは合戦である、決着がつくならまだしも、そうもならなさそうにない、ならいつまでもふたりのために止めるわけにはいかない。
動きのやんでいた波が、また動き出した。
波は存保と信親を飲み込み、双方帰るべき場所へと連れて帰ろうとする。
(これまでか)
これでは一騎打ちなどできず、やむなしとふたりは離れた。離れ際、お互い目配せして、笑った。
「楽しかったぞ」
と視線で語り合っていた。
城へ退き返して行く存保ら。だがすんなりと相手が逃がしてくれるわけもなく、十河の郷を埋め尽くす長宗我部軍がよってたかって存保を討ち取ろうとする。
それを孝康らが存保を囲んで討ち返してゆくが。討っても討っても果てがない。それどころかこちらの数が減ってゆく。
「ええい、邪魔くさい鬼どもじゃ!」
苛立ちながら槍をふるい、孝康は叫んだ。
一度はやんでいた砲撃も一騎打ちが終わってまたはじまり、追いすがる土佐勢を吹き飛ばしてゆく。さすがの鬼ざむらいらもこの大筒は苦手そうで、苦い顔をして砲弾から逃げてゆく。その隙に存保らは城に入った。
信親も自陣に引き上げてゆく。周りを囲む家来たちは御曹子が無事でほっと一息であった。
元親はしかめっ面で我が子を出迎えた。
一騎打ちの間一時とまっていた合戦も、信親の聞き分けのなさのため、元親がやむなく命じたものだった。
「気は済んだか」
元親は言った。
信親は、すっきりしたというような、さわやかな顔をして、頷いた。元親はそんな息子の顔を見、顔を硬くしたまま言う。
「たった今、淡路より羽柴秀吉配下の仙石秀久という者が讃岐に向かっているという報せがあった。すぐ讃岐東方の守りを固めよ」
一瞬信親の顔がくもったようだったが、すぐにさっきのさわやかな笑顔に戻り、
「承知しました」
と言って、讃岐東方へゆく支度に入った。
(父はおれを十河城から引き離したいらしい)
やむをえないかもしれぬ。十河存保の近くにいれば、どうも落ち着かぬ。それを察してのことだろうし、もちろんそれだけでなく、信親を信用してのこともあるだろう。
が、誰かに十河存保を横取りされるという心配は、なかった。それは、一騎打ちをしたからこそわかる。
存保は、むざむざと討たれるような男ではない。
仙石秀久という者を追い返し、また戻ってくるまではもってくれるだろう。そういう確信が、自分でも不思議なほど胸にあった。
存保は信親が城攻めから外れたことを知らず、篭城の指揮を執った。
城から打って出て信親と一騎打ちをしたのが効いたか、すこし波は弱まったようだった。
気がつけば数日の日数が経っていていた。
この数日の間の長宗我部方の動きの変わりように存保は気付き、何かあると察した。
(もしや、仙石秀久が動いたか)
そうかもしれない。挟撃を恐れ、一時守勢に専念しようとしているのではないか。
(たのむぞ)
存保は天をあおいで、祈るように心でつぶやいた。
そんな存保の心境など知らず、仙石権兵衛秀久は讃岐東部にある引田(香川県東かがわ市)の引田城に入城していた。
率いる兵は二千。長宗我部軍三万五千に対しあまりにも少ない兵数だが、当の秀久はさほど気にしている様子ではなかった。
仙石秀久が背後を突いて存保が城より打って出て挟撃、というのを考えていたが、秀久は背後をつく気はなく、長宗我部軍を牽制するのが目的で引田城に入ったようだった。
引田城は海に面した小高い山の上に建てられた城で、城から周囲の風景を眺められ見晴らしもよい。
秀久は同じように城から海を眺められる淡路の拠点、州本城(兵庫県淡路島洲本市)の風景と引田の風景を見比べ、何か思案でもしている様子だった。
「一句、できそうだが」
なかなかできない。家来たちも和やかに笑っていた。まるで物見遊山のようで、十河城で戦っている存保のことなど、頭にないようだった。
存保は器用に矢竹の節をとってゆく。燭台の火の灯る城内の一室、山のように矢竹が盛られている。
矢竹とは、節が低く節間が長く、茎の断面が真円に近い。和弓の矢の材料に使われることからこの名が付いた。
深夜敵の攻撃がやまって、鬼のいぬ間の洗濯とばかりに、孝康や家来、侍女たちと矢作りに専念している。矢にしても鉄砲の弾にしても数に限りがあるのはもちろんだが、矢の場合は完成品のみならずこうして材料も集められるのが利点であった。
篭城戦前に、城下に生えていた矢竹を採れるだけ採ってきていたのだ。
存保の作った矢はきれいに節が取れて、孝康は、
「さすが、十河の節かげ」
と言って褒めそやす。事実、存保は矢を作るのが上手かった。
節のきれいに取られた矢竹の真っ直ぐさは、見ていて惚れ惚れするほど真っ直ぐで、矢にして飛ばすのがもったいなく思われた。
ちなみに、孝康は不器用にも節をうまくとれず、でこぼこで矢のようなものばかりが出来上がってゆく。それを見た存保、
「下手糞め」
とつぶやき、孝康に矢作りをやめさせた。下手に頑張られて矢竹を無駄にされてはたまらない。
「はあ、左様で……」
傍らにいる家来や侍女たちは笑いをかみころし、頭をかきながら部屋を出て警備に向かう孝康の背中を見送って、矢作りにはげむ。その時、突然鬨の声が響いた。
長宗我部方への夜襲か、途端にどたんばたんという孝康の足音が大きく響き、鬨の声の中に溶け込んでゆく。
存保は動かない。黙々と矢作りにはげんでいる。家来や侍女たちは一斉に存保に目を遣ったが、主は知らぬ顔であった。それを見て、自分たちも矢作りにはげんだ。
「おお、やるかやるか!」
孝康は槍をかつぎ叫んで、夜陰に乗じて長宗我部方に奇襲をかけた城方の小隊の中に駆け込んでゆく。
城方とて黙って引き篭もっているわけではなく、隙を見ては奇襲をかけ攻め手を悩ませた。
乱戦の中、孝康は槍を振るう。
眠っているところを突然攻められ、敵は慌てふためき、面白いようにばたばたと斃れてゆく。
そもそも長宗我部方は三万五千の大軍とはいえ、すべてが土佐武士というわけではなく、最近降ったばかりの阿波讃岐の兵もかなりあった。そのため団結力にいまひとつ堅さがなく、まとまりに欠けた。
大筒に驚きてこずり、背後を心配し、そこへきてどこかで隙を作って敵に見せてしまい、突っつかれて慌てる。ということもしばしばあった。
「またか」
元親は歯がみし使番(伝令将校)を各所に放って、軍をまとめさせた。
わずか一千の兵しかいない小城にてこずるとは、苦虫をかみつぶしたような顔で、月明かりに照らされる十河城を睨んだ。
その中で、存保はこつこつと矢を作っていた。
その一方で、お腹の大きくなったお燕は布団にくるまり、暗闇の中眠れぬ夜をすごしていた。
片手を腹に当て、もう片手は片耳をふさぎ、もう方耳はまくらに押し付け。目を閉じ、なんとか眠ろうとしたが、眠れなかった。が、鬨の声が聞こえ、さっと布団を跳ね飛ばして起き上がった。
すぐに侍女が手燭をたずさえてやってきた。
「お方様」
お燕の様子を見、侍女は声をかけたが、目はうつろでそっぽを向いたままだ。それは、常人の眼差しではなかった。
「ご安心くださいませ、あの声は城方が長宗我部方に夜討ちをかけた声でございます」
もうひとりの侍女が飛んできてそう伝えるも、お燕は心ここにあらずで、無表情にうなずくだけであった。
侍女は何も言えず、重い沈黙だけが部屋の中にのしかかった。
それからしばらくして、
「ご安心くださいませ、夜討ちが成功したとのよしにございます」
満面の笑みをたたえた侍女がやってきて、夜襲の成功を伝える。しかし、お燕は布団の上に座り込んで、黙って頷くだけだった。
身ごもった女性が、戦そのものを喜ぶだろうか。侍女たちはそのことに思いをめぐらせて、切ない思いにかられた。
(いけない、なんとかしなければ)
腹の子に障る。
お燕とて悩んでいる。せっかくの子宝なのに、こんなことで万一のことがあっては。
(仙石秀久殿はいつ来られるのやら)
侍女は引田で遊んでいる仙石秀久にぶつけようのないもどかしさを感じてならなかった。
そんなことがあったかと思えば、存保が盆いっぱいに握り飯を持ってきたかと思うと。
「食え」
とにぎり飯をひとつつかんで差し出した。
お燕は黙っている。
「食わねば、家中の者たちの心遣いを踏みつけにすることになるぞ」
城中の家来たちが自分の食べる分を、
「お方様に」
と言ってみんなお燕に差し出してしまった。お気持ちだけを、と断ろうとしたが、聞き入れてもらえない。
お燕はやむなく、にぎり飯を存保から受け取り、静かにほおばった。
(皆様、私や腹のややのことを心配されて……)
篭城戦である。兵糧も少なくなってきている。にもかかわらず、自分たちは飢えをしのび、お燕を思って飯を差し出した。
存保はにぎり飯をほおばるお燕を見て、家来たちの顔を思い浮かべた。頬もこけ、腹をすかしているのにそれを隠し、
「腹が減りませなんだでな」
と笑っていた。孝康でさえ、
「土佐の鬼ざむらいをたらふく食ったので、にぎり飯などいりませぬ」
などと言って、にぎり飯を盆に置いた。
(苦労をかけるな)
この様を三好長慶が見ればどう思うだろうか。
かつて京を支配していたのが、いまや讃岐の小城ひとつを守るのに精一杯。これが存保の頭領としての器だということだろか。
そう思うと、己の不甲斐無さを感じてならなかった。にもかかわらず、十河城の讃岐武士たちは存保とともに懸命に戦ってくれている。
ふとお燕を見れば、涙がひとつぶ流れ落ちていた。
米が、甘くしみた。
「美味しゅうございます」
にぎり飯を食べ終え、笑顔でいった。
しかしさすがに全ては食べきれないので、のこりはお燕みずからがにぎり飯をくずし、またにぎり直して、盆をかついで家来たちに分け与えていった。
「お方様みずから、もったいなや」
と家来たちはそれをお燕よりの心配りであると感謝し、にぎり飯をほおばった。
かっこつけたことを言っていた孝康はにぎり飯にがっつき。存保はあきれて、蹴りを入れた。
「あいた」
と、どたっと倒れる孝康を見て、みんな、「わっははは!」と笑っていた。とぼけた孝康だが、そのとぼけっぷりが今は面白い。よくもまあこんな時にもとぼけられるものだと、みんな大笑いに笑った。
その笑い声は城外にまで響き、攻め手の長宗我部方は、
「大軍に囲まれてなぜ笑っていられるのだ」
と、烏合の衆では理解できぬことに悩んでいた。
背後に警戒しつつも、長宗我部軍の城攻めはつづく。
十河城の城方も粘り強く抵抗した。
十河の節かげの矢が飛び、鉄砲や大筒が火を噴き、攻め手をなぎ倒す。
攻め手が爆音に驚きひるんだその隙に、存保は門を開けさせ大筒が火を噴くと同時に城から飛び出し、土佐方を血祭りにあげてゆく。
孝康もこのときばかりは真剣そのもので、槍を振るう。
獣かと聞き違えるような怒声を喉よりしぼり出しながら、小粒ながらもひと塊となった十河の軍勢が郷を埋める長宗我部軍を引っ掻き回してゆく。
「当たらぬように当たらぬように」
冷や汗をかいて、つぶやきながら大筒の砲手が存保や孝康らのそばに弾を撃ちかける。ただ出るだけではあっという間に殲滅させられてしまうから、自分たちの近くに狙いを定めて打つよう存保が指示を出したのだった。
十河軍のあるところ、常に爆音と爆風が吹き荒れ、長宗我部軍も容易に近づけず、取り囲みかねていた。
存保もうまいもので、着弾地点から着弾地点へと、点と点を結ぶように戦場を駆け巡っていた。着弾地点なら確実に隙間が出来る。が、もちろん危険もある。もし砲手が目測を誤って存保に当ててしまったら、一巻の終わりである。
(そのときはそのときで、おれはそれまでのことだということだ)
そう己に言い聞かせて割り切っている。
天運に身を任せる、というのはあまり好きではないが、今はそうも言ってられない。
しかし、城の中のお燕はそうもいかない。
腹にややを宿しながらも、恐怖に押しつぶされそうなのをかろうじてこらえている。女性の妊娠はただでさえ危険をもはらんでいるというのに、その身で篭城戦の中に身をおくことの心労はいかばかりか。
鉢巻を巻き、たすきをかけ薙刀を持った侍女がお燕のそばに数人。息を殺して外の様子に思いを馳せているようだった。それが、緊張感をさらに高め、空気を堅くしてお燕を締め付ける。
侍女たちもそのことはわかっている。なんとか、少しでも緊張をほぐせたらと思うものの、どうしたらよいのか、いい考えが浮かばない。
そんな女たちのことを思い浮かべて、存保はひたすら槍を振るった。
(おれはどうなろうとも、お燕だけは)
死なないでほしい。
お燕の中には、希望がある。存保や孝康ら家来たちは、その希望のために戦っていると言ってもよかった。
(存保様)
お燕も、存保のことを想った。
できるならば、ともにややの顔を拝みたいではないか。それができてこその、夫婦であろうに。
存保らが、腹の中のややのために死に物狂いで戦っていることが、ただ悲しかった。しかし、自分たちはどうなるのであろう。
(小雨どの、もしかしたら、あなた様の願いは叶えられないかもしれませんね)
はるか山の向こうの土佐にいる小雨に心で語りかけた。失望が藍染のように、徐々にお燕の胸の中に広がってゆくのをおぼえた。
ふと、懐に手を入れて、自害用の短刀に触れた。堅く冷たい感触を、指を通じておぼえた。
「お方様!」
侍女が慌てて懐に入った手を掴んで、引っ張り出す。
「早まってはいけませぬ。仙石秀久殿が来られるまでのご辛抱です」
はっと、お燕は我を取り戻した。自害をするつもりはなく、ただ短刀に触れただけであったが、侍女にすれば早まったと思って慌てるのも無理はあるまい。
ぽとりと、お燕の手を掴む侍女の手に、涙がこぼれ落ちた。
お燕は泣いていた。
(私はどうなってもいい。でも、ややには生きてほしい)
しかし、いまだ腹の中にいてはどうにもならぬ。身重の身体が、恨めしかった。侍女は手を離して、何と言ってよいのかわからず、黙っているだけであった。
「そうだ」
ひとりの侍女が、なにかを思いついたように「ぱんっ」と手を叩いたかと思うとどこかへとゆき、しばらくして、鞠を持ってきた。
「おそれながら、泣いたり怖がったりされては、ややさまに障ります。ここはひとつ、ややさまのために鞠で遊んで、お気持ちを軽くされてはいかがでしょう」
と、お燕の前に鞠を置く。
城外からは、間断なく戦の轟音が飛び込んでくる。それに揺らされるように、丸く赤い鞠が、ゆらっと、すこし揺れた。
(まあ、なんて不謹慎な)
男たちが命がけで戦っているときに鞠遊びなど、と思う者もあった。しかしお燕は涙をぬぐい、
「それはよい考えですね」
と笑顔で鞠を手にとって、鞠をつきはじめた。
お燕が鞠をつくのに合わせて、侍女は手まり唱を唄う。最初呆気にとられた他の侍女も、いつしか一緒に手まり唄を唄い、手拍子もとっていた。
お燕も、唄った。
腹のややに聴かせるように、優しい声で唄った。その唄声は、城外の轟音など掻き消して、奥の間に朗らかな空気を運んできているようだった。
唄ううちに、誰かが涙声になりつつあったが、かろうじて落涙はこらえ、声を明るくして戻して唄い出す。ここで泣けば、長宗我部に負けてしまいそうな気がした。
(我ら讃岐の女たちをあなどるでないぞ)
唄いながら、土佐の鬼ざむらいどもに心でうったえる。
お燕の番が終わり、次の侍女へと鞠がまわる。ひとりひとり、それぞれ手まり唄を唄いながら、鞠をついてゆく。
すべては、お燕のお腹にいるややのためだった。この篭城戦で怖い思いをさせないために、ややの安らぎのために、女たちはこの奥の間を戦場とはまったく別の空間へとつくりあげたのだった。
城の外で男たちが命のやりとりを繰り広げる一方で、城の中で、命の中にある命を守るために、女たちは手まり唄を唄いながら、鞠をついていた。
城の中ことなど知らず存保は戦場を駆け巡っていたが、はっと気付いたことがあった。
珍しく孝康も同じことに気付いたようだ。
「殿、信親がおりませんぞ」
ともに槍を振るいながら、大声で存保にそう呼びかける。
(まさか)
救援に駆けつけた仙石秀久を追い返しに行ったのではないか。
それは、ずばり当たっていた。いま信親は仙石秀久の篭る引田城にいる。
ごう、ととどろく大筒の爆裂音と爆風が頬をなでてゆく。
大筒の援護を受けながら城外に打って出て攻め手を撹乱させているが、いかんせんやはり数が違った。
討っても討ってもきりがない。後から後から湧くように土佐軍は群がり出てくる。おかげでこっちの数も減る一方だ。
その中でひとりでも有力な指揮官でも討てれば違うのだが、なかなか向こうもしたたかで、これといった大物は来ない。
それでも相手方をなぎ倒しながらあちこち駆け巡ったが、ついに信親は見つけられず。
(やむをえん)
「退け!」
槍をかかげ、城へともどってゆく。
孝康も信親がいないことに不審がっていた。あの気性の若様が存保を見逃すなどありえなさそうだが、どうしたのだろう。
(仙石退治に行ったか)
どうもそのようだった。かつての故郷を支配しているその男がどんな男か知らぬが、たとえ羽柴秀吉配下の本土の将校でも、信親にはかなうまい。
その強さは、孝康も己自身で確かめている。
(しかし、よく気付いたものだ)
忌々しげに、ひとり敵を槍でほふった。もしその通りなら、もはや絶望的ではないか。ここでいくらちょこまかと攻め手を撹乱しても、何の意味もない。本土よりの救援あっての篭城戦であるというのに。
やり場のない怒りを敵にぶつけながら、存保と孝康ら家来たちは追撃を振り払い十河城に入ってゆく。
そしてその通り、讃岐東方引田の引田城の城下において、仙石秀久は信親のためにほうほうの体で逃げ惑うという醜態をさらしていた。
あろうことか、秀久は引田の港にわずかばかりの兵しか置かずに、ほとんどを陸に上げて城下に待機させていた。完全に四国をなめきっていた。
「この引田には清少納言伝説があるそうな。幽霊でもよい、ひと目、清少納言にお目にかかりたいものだ」
と、海に向かい出べそのようにでっぱている小山に建つ引田城でそんな戯言を言って家来たちと談笑して、緊張感のかけらもない。信親に攻められたのはそのときだった。
上陸の際、もちろん引田城に兵はいたが、あっさりと撃退できてしまった。それが油断を生んでしまったようだった。
引田にたどり着いた信親がまず密偵を放ち、状況を探らせて、その報せを受けて、
「まことか」
と、咄嗟には信じられなかった。仮にも一軍の将が、まるで物見遊山のように城で遊んでいると。兵数も二千と少ない。
信親は元親より五千をあずかっている。
そこで、まず港を攻め舟を焼き、海路で淡路へ逃げられないようにする。それから、一気に城を攻める。舟を焼かれた仙石勢は狼狽し、城下を逃げ惑い統率もなく四国で迷子になる。
それが、信親自身が驚くほどに、あっけなく当たった。
(ほんとうに、羽柴秀吉配下の本土の将なのか?)
自分でも信じられなかった。勝てないまでも、せめてもの抵抗をしめして意地を見せようともしない。
(こんな男が淡路の主? それならあの安宅孝康の方がよほど主として良いのではないか)
そのあまりにも甲斐性のない逃げっぷりに、信親は秀久を軽蔑し、知らずに秀久と孝康とを比べていた。
勝っているのに、嬉しさよりも馬鹿馬鹿しさの方が大きくて。仙石勢が完全に引田から逃げ出したのを確認すると、さっさと十河の郷へと引き返してゆく。
秀久は秀久で逃げながら。
「なんじゃい。この世は生き残ったもん勝ちじゃい」
と、とても一軍の将とは思えないような捨て台詞を吐いて逃げていた。
篭城戦の攻防戦はつづく。存保は貝のように城門を閉ざし城に篭っていた。
だが、もうそろそろ限界そうだった。
矢や鉄砲は容赦なく十河城にふりそそぎ、城の壁や柱を削り、ひとり、またひとりとその命まで削っていった。
城内各所をまわり、存保は声を励まし家来たちを叱咤し、鼓舞し、必死の抵抗をこころみようとする。しかし、長宗我部方はそれを嘲笑うかのように、容赦なく攻め続けてくる。
奥の間でお燕たちは、負けじと鞠をついている。
攻防戦の轟音など意に介さず、女たちの手まり唄の調べがその美しい歌声に乗って奥の間に流れている。
しかし流れ弾が、窓から、ひゅん、という風切り音がしたかと思うと柱に当たって、ひどく削られるようにえぐられた。
「きゃっ」
黄色い声が悲鳴となってひびき、鞠をつく手が止まった。
お燕は鉄砲の飛んできた方角に目を遣った。
(もはやこれまでか)
知らずに、お腹に手をやった。
(もしこの世に生まれることが出来なかったら、母としてややに詫びのしようもない)
しかし、
「まだまだ」
とひとり鞠を拾い上げ、ぽんぽんと鞠をつきはじめる。
その姿にお燕ははっとした。
(そうだ、ここでやめたら負けてしまう。かくなるうえは、最後の最後まで、意地を貫き通そう)
と、銃声など意に介さず手まり唄をうたう。
もしあの世にいったとしても、
「母は武家の妻として、最後まで戦い抜きましたよ」
とややに言うことが出来る。
存保は奥の間の手前で、その様子を聞いていた。
もはやこれまでと、勝瑞の時同様お燕に覚悟の程を聞きに来たのであった。
長宗我部に負けに負け、追いつめられて。望みの糸も絶ち切られた。あとは滅びを待つのみである。
だが、そんなときになってもなお、女たちは戦いをやめない。大軍が十河城に雪崩れこもうかという今になっても、鞠をついている。
(女は、強いのう)
拳を握りしめ、存保はそのまま奥の間から遠ざかってゆく。しかし、どうしてそうなってしまったのだろう。
勝瑞での負け戦から、わずかな望みをもってこの讃岐の十河城まで落ち延びたのではないか。
いや、言うまい。
「ゆくか」
雑念を払って覚悟を決め、家来達と共に城を出て、死に花を咲かせようと思った。
孝康も覚悟を決めて、槍を力強く握りしめている。
(いずれにしても、ここで土に還るなら本望というもの)
空を見上げた。
空にはほのかな雲が、まるで空に川を描くようにして流れている。日差しは瀬戸内ならでは、穏やかだった。
その空の下で、城の者たちは死を決していた。
存保が馬に乗れば、孝康らも馬に乗る。
「門を開けよ」
と叫び、さあ行こうかという時。攻め手に変化があった。
怒涛のように押し寄せていたのが一変、さっと引いてゆくではないか。
「な、え?」
孝康などは見切り発進をして、攻め手の様子に驚いて、慌てて馬を止めた拍子に体勢をくずして転げ落ちそうになる。
(こいつは……)
あいもかわらずその間抜けっぷりを見せてくれ。
「な、なんじゃ、なんで引いてゆく」
と攻め手に怒鳴り散らす。しかし、たしかに孝康の言うとおり、このまま攻め潰せるのにどうして引いたのだろうか。
「ええい、知ったことか。ゆくぞ」
存保は先頭にたって、長宗我部軍に向かい駆け出してゆく。体勢を直した孝康や城中の者たちもあとにつづく。
しかし、鉄砲のひとつも撃ってこない。
(どうした?)
さすがに不気味に感じた。そのとき、長宗我部軍から若武者が一騎で存保らの前に立ちはだかった。それは信親であった。
信親は槍をかまえ、存保を見据え、じっとたたずんでいる。かと思ったら、槍をぽいっと地に捨て。
「十河存保殿に申しあげる!」
と大喝した。