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第一章 中富川合戦 頁一

 十河存保は阿波の名族三好家に生まれた。

 父は三好(みよし)義賢(よしかた)といい。その兄で、存保の伯父にかの三好(みよし)長慶(ちょうけい)がいる。

 次男坊である存保は七つのころに、讃岐の名族十河家に養子に入り、若い殿様となった。

 先代の一存(かずまさ)は勇敢な人で、人は畏怖と尊敬の念を持って彼を鬼十河と呼んだ。しかし惜しいかな、落馬事故によりこの世を去ってしまった。

 かの人もまた養子であるので、十河家は二代にわたり養子が後を継ぐこととなった。

 もちろん、そこに来て他家から嫁をもらっていては十河の血は絶えてしまう。ということで、十河家に血縁のある者に、丁度存保と同い年の娘がいるということで、それを室に迎えようということになった。

 お燕のことである。

 婚礼の宴の祭に、人々がこの若い夫婦を指して「夫婦雛」と呼んだかどうかは、さだかではない。

 ふたりが最初に交わした会話はというと、

「お燕。つばめ? 変な名だ」

 と存保がその名を少しからかったことから始まった。

 それを聞き、お燕は頬を膨らませ、

「そう言われましても、仕方がございませんもの。母からいただいた名をどうして捨てられましょう」

 と抗議した。

「わたくしが生まれるころ、母のいたお部屋のそばの屋根に燕が巣を作って、子育てしたとお伺いしました」

「それで、つばめか」

「はい。母はつばめの子育てを見るにつけ、我もこうありたい、また我が子もそうなってほしいとの願いをこめたそうでございまする」

 この話をするとき、お燕は少し涙ぐむ。

「でも、母は私をお生みになった少しあと、病で……」

 必死に涙をこらえていた。

 下唇を、上唇に押し付け、声をも押し殺していた。

 そうかと思うと、涙目を存保に向け、

「母の思いを受け継ぎとうございまするゆえ、たくさんややを生みとうございます」

 と、まじまじと存保を見やった。

 存保、その言葉にはさすがにやや困った顔をした。


 時は戦国。

 四国にも戦国の嵐が吹き荒れていた。

 土佐(高知県)より旭日のごとく興った長宗我部家の当主、長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)は、四国を支配し、さらには京に上り天下に号令することを夢見て、四国に戦火を広げていた。

 兵も強い。

存保はその長宗我部と真っ向と対決せねばならなくなった。

 かつては将軍を追い、殺し、天下をほぼ手中におさめた三好家だが、三好長慶の死後は旭日の勢いがうそのように衰えを見せはじめ、新興勢力として台頭してきた織田信長によって四国に追われた。

 泣き面に蜂と言わんがばかりに、南の土佐より長宗我部が興った。

 織田信長は長宗我部元親を「鳥なき島の蝙蝠」、つまり、たいした武将のいない島で、いっぱしの武将を気取っている、と軽く見たが。三好家もその中に含まれているかもしれない。実際、三好家は織田信長に負けた。

 そうかと思えば、長宗我部元親との対決のため、織田信長に庇護を求める有様だった。

 そこから、織田信長は四国を鳥なき島と見たのかもしれない。

 落ちるときには、とことんまでに落ちるものだ。

(おのれ)

 三好一族の者として、存保は無念を噛みしめながら思う。

(今に見ておれ)

 今でこそ四国に閉じ込められてしまったが、いつかきっと、盛り返してみせる。

 まず、長宗我部を叩き潰す。

 存保は讃岐・阿波の戦場を駆け巡った。

 それを見送るたびに、お燕は昔のことを思い出すのだった。

 

 居城である十河城のある、十河の郷。

 子供のころ、存保と一緒に城の外へ遊びに出かけた。

 のどかで広々とした大地に、あぐらをかいて居眠りするような、小さな山。そこでの穏やかな人々の営み。淡くも青い空には、風になびくほのかな白い雲が浮かぶ。よそから来たものが見れば、そこは極楽かと思わせるほどに、居心地のよい郷だった。

 その十河の郷で、若い殿様とおひい様がかけっこをしている。

 存保は足が速かった。お燕はいつも置いてけぼりだった。

「存保さま、お待ちを」

「遅い遅い」

 存保はかまわず駆けてゆく。

 お燕はいたたまれなくなって、ついには地べたにへたりこんで、

「存保さまの意地悪」

 と泣き出してしまった。

 そこでようやく、

「泣くなお燕。今度はゆっくり歩くから」

 と言って、慌てて慰めるのであった。

 郷の人々はそれを笑いながら眺めていた。

 その時は、何故笑っているのかわからず、郷の人々たちも意地悪だと思ったが。今思い出してみれば、

「うふふ」

 と自分でも笑ってしまう。

 われながら、かわいらしくもあり、ほほえましくもあり、まだあどけない日の思い出のひとつであった。

 遅い、といえば、ややはまだだった。

(わたしが遅いのは足だけではなかったのかしら)

 と思い悩むこともあった。

 それを思うと、存保の武運を祈らずにはいられなかった。

 存保あっての、ややだから。

 

 長宗我部の興隆にともない、阿波・讃岐の混乱の度合いは増した。阿波国主であり三好家当主であった存保の兄、長治(ながはる)が死んだ。戦死だった。

 弟の存保はお燕と讃岐の家来たちを伴って、三好家の本拠地であった勝瑞の地に入り。実質的な阿波・讃岐の国主となった。

 勝瑞の地での風流踊りは、そのころのことだった。

 平和な時代ならともかく、今は戦国である。

 重荷を背負わされた、と言ってもよかった。阿波も讃岐も、長宗我部の侵攻により乱れているのだ。

 家来たちにすれば、よくもまあこんな時に踊りなど、と思ったであろうが、存保にすれば今の状況に甘んじてうじうじするのは嫌いだった。だから、ぱっと踊りでも踊って景気づけをしたかったのだろう。

 その甲斐あってか、どうにか阿波・讃岐を死守できていた。

 が、風流踊りより四年。決戦の時はやって来た。

 庇護してくれていた織田信長が明智光秀の謀反、本能寺の変により死んだ。

 これにより、十河存保は後ろ盾を失った。

 この機を逃すなとばかりに、長宗我部元親は阿波の完全制覇を狙って二万三千の大軍を動員し、勝瑞の地に攻め込んで来ようという。

 対する十河軍は、五千。

「来たか」

 家中の誰もが、恐怖のどん底に陥った。

 今まで散々抵抗してきて、許してくださいとも言えない。

 ではどうするか。

 城に篭るか、逃げるか。

 幸いにして、明智光秀はすぐに羽柴秀吉に討たれ。その羽柴秀吉と誼を通じることが出来たので、後ろは気にしなくてもよい。

 淡路島には秀吉の家来、仙石(せんごく)秀久(ひでひさ)が控えて。四国の動向に目を光らせて、いざとなればすぐに出陣が出来るように態勢を整えている。

「やるか」

 軍議で存保は言った。

 一同驚いた。

「土佐勢は二万を超えると言うのに、こちらは五千。ここは城に篭って秀久殿のご出陣を待てばよろしいかと」

 と言う様な、援軍を期待して篭城しよう、という意見が多かった。が、存保は受け入れない。

「おれに、鳥なき島の蝙蝠になれと言うか!」

 怒号が響いた。

「そんなことだから、本州の者どもになめられるのだ。お前たちはそれが悔しくはないのか」

 長宗我部元親もまた、織田信長と誼を通じ、長子には信の一字と左文字(さもんじ)の太刀が送られたと言う。

 信の字を与えられたのは元親の自慢の息子、長宗我部信親(ちょうそがべのぶちか)のことである。いまその子は成人し、左文字の太刀を腰に、父と共にここに攻め込んで来ている。

 信長の節操のなさはともかくとして、その際に信長は「鳥なき島の蝙蝠」などとからかったのだが、そのことを知った存保にも、こたえた。

 名誉も誇りもずたずたに引き裂かれる思いだった。

「この、四国の山猿どもめが」

 という、信長の嘲りが聞こえてきそうだった。本州から見れば四国は田舎であった。

 土佐などは鬼国と言われ、人の住むところではないとさえ言われて、政争で敗れた者や罪を負った者たちの流罪の地とされてきた歴史がある。

 四国における戦国は、信長から見れば、山猿の小競り合い程度にしか思えなかったのだろう。

 本州よりの援軍を期待して篭城、それは、信長の言うことを自ら実証するようなものであった。存保には、それが我慢ならなかった。

 もしそんなことをすれば、淡路いる仙石秀久が四国に上陸する際に、

「さて、四国の山猿どもの顔でも拝みにゆくか」

 などと、鼻糞でもほじりながら言いそうだった。

「お前たちはそれでもよいというのか」

 名誉の問題だった。

 家来たちは押し黙った。

 三好家は一時は天下をほぼ手中に治めた。それからひたすらの転落である。もはや気力も萎えて、戦うことを放棄しがちな者が多かった。

 広間の沈黙に、存保は歯軋りする。

(なんと不甲斐無い者どもよ)

 その時、沈黙に耐えられず、若い家来が顔を上げた。

(おっ)

 存保はそのほうを見た。

(ほほう、孝康め)

 それは、讃岐方の家来、安宅(あたぎ)孝康(たかやす)であった。

 目を鋭く光らせて、うつむき加減な家来たちを睨みまわしている。

 年は存保より二つ下。

 父は三好長慶と義賢の弟、安宅(あたぎ)冬康(ふゆやす)。存保とはいとこの関係にあたり、それとともに、家来でもあった。

 三好家は他家に自分の子供を送り込んでいるが。存保が十河家に行った様に、冬康も淡路の安宅家に行った。

 冬康は兄である長慶、義賢を助け三好家を支えていたが、無残なことに謀殺されてしまう。それが、三好家衰退の引き金になったという。

 その後安宅家は(のぶ)(やす)が跡を継いだものの、織田信長に降った。孝康は冬康が侍女に産ませた私生児であったためか、家の事にはあまり関わらずに自由奔放に生きてきた。

 その自由奔放さは、冬康の死後顕著となり。浪人して四国に流れた。その時、讃岐の十河の郷が気に入り、そこに住み着いてしまった。

 それを知った存保、最初はさほど気にも留めなかった。家を捨て、この郷で隠棲しようとするのはいとこ自身が決めたことだ。

 いちいち人の人生に割りこむ野暮はしない。が、争乱が讃岐、十河の郷に及んでくるにつれて、

「家来にしてほしい」

 と突然自ら仕官を願い出た。

「郷のために?」

「家は捨てた、が」

「が、どうした」

「左様。所詮それがしは私生児、いたところでやくたいもない。だから捨てた」

「それと郷と何の関係がある」

「家を捨て、郷を拾った。いや、家に捨てられたそれがしを、郷が拾ってくれた。その恩義に報いたい」

「……」

 余所者ながら、孝康は郷の者たちと仲良く暮らしているのは知っていた。慎ましい生活ながら、本人もそれで満足そうだった。

「郷の人たちは、皆良い人たちだ」

 それが全てであった。

 武士が土地を守るといっても、それは財産を守ることで、人まで助けるという意識はとぼしい。ゆえに、孝康は武士としては珍しい意識を持っていた。

 存保は、そんな彼の気持ちを受け入れることにした。存保も、同じように余所から来た者だから。


 孝康は言う。

「それがしは殿と同じ。打って出ます」

 さらに、

「皆が城に篭るというなら、一騎でも、出ます」

 とまで言う。

 今彼の脳裏に、十河の郷と、郷の人々のことが浮かんでいた。

(土佐の鬼ざむらいどもは、郷には一歩も入れぬ)

 という並々ならぬ気迫が、その肩よりかげろうのように昇っているのが見えそうだった。

「しかし負ければしまいじゃぞ」

 と別の者が言えば。

「ならばそこもとは荷物をまとめさっさと淡路の仙石秀久殿でも頼られればいかがか」

 と、軽蔑するように言う。

 かつての故郷は、仙石秀久が治めている。仙石秀久は四国方面の担当官で、つねに四国の動向をうかがい、機会あらば出陣もありえた。が、孝康にはもはやふるさとのことも、仙石秀久のこともどうでもよかった。

 大事なのは、十河の郷であった。

「なんじゃと」

 孝康の言葉に腹を立てた者が、脇差を手に立ち上がれば、孝康も同じように立ち上がる。

「うぬは新参のくせに、我らに楯突くか」

「待てい!」

 咄嗟に存保が間に入る。いつの間にか、手には太刀がにぎられている。

「この大事に仲間割れをしてどうする。孝康、むやみに血気にはやるな!」

 怒号が響く。それから双方を睨む。

「どうしてもやるというなら、存保が相手するぞ。じゃがお前たちが斬りたいのは、どこの誰じゃ、それを履き違えるな」

 緊張が張り詰められた糸のように、広間の者たちにからまりつく。

 そのとき。

「申し上げます」

 と言う声。皆その方を向けば、小者が広間の前で片ひざをつき、

「長宗我部より使者!」

 と叫ぶ。

 存保はうなずき、

「通せ」

 と言えば、片膝をつく小者のわきを使者らしき武士がひとりずかずかと広間に入り込んで、一応の礼をして、小者と同様に片膝をつく。

 存保と孝康らも元の位置にもどり、使者の口上を耳をすませて聞けば。使者は不遜な態度で言う。

「我が君、長宗我部元親公よりの言伝を申し上げまする。城を開け、我に降れば十河の郷だけは残してやる、とのことでございまする」

 十河の郷を残してやる。

 使者の言葉に、広間はざわつきはじめた。なんとも人を見下げたことを言うではないか。

 戦の前に使者を出し、相手の動向をうかがうというわけか。

「降らねば、どうする」

「討つ、との仰せでございまする。ここにある皆々様の血をもって、勝瑞の地を流れる川という川を真っ赤に染めると申しておりまする」

 使者はにやりとして言った。

 五千相手に、こちらは二万三千。造作もない、と言いたそうにしている。

「そうか」

 言いながら存保は立った。手には、さっきと同じように太刀をにぎって。

 広間の一同は固唾をのんで、様子を見ている。孝康は使者の武士を睨みつけている。

 使者は、想定内と言いたげに、しっかと存保を見据えている。こういう仕事を引き受けるだけに、肝も据わっているようだった。

「帰って元親に伝えよ」

 と言い、切っ先を使者に向けた。

「これがわしの答えじゃ」

 言葉とともに、太刀の一閃。

「あっ」

 と誰かが声を上げた。孝康は黙って成り行きを見守っている。

 使者の髷が、ぽとりと落ちた。その髪がばさりとたれ落ちる。

 使者は落ちた髷を拾ってかかげ。

「よくよく心得て候」

 と言って、退去した。

 戦いは避けられぬものとなった。

   

 持ち帰られた使者の髷を見て、元親は馬上にて膝をたたき。

「でかした」

 と大笑した。

 長宗我部勢二万三千は阿波に入り、一路勝瑞の地を目指していた。

 旗印であるかたばみの旗が、阿波路になびいている。

 それを指揮する元親は、存保の答えに満足そうだった。

 たくましげに髭をたくわえた四十三歳の働き盛り。四国を征して、天下をも狙おうとする野望を燃え上がらせていた。その踏み台として、勝瑞の地を落とし、阿波を占領する。余力をもって、讃岐も占領する。

 ちなみに伊予(愛媛県)は土佐西部の家来の率いる別働隊が攻めている。元親率いる本隊は京への足がかりとなる阿波・讃岐というわけだ。

(生意気な若造) 

 というのが、元親の存保への印象だった。下手に降られても、あとあと面倒そうなことになるかもしれない。たとえば、あとで謀反を起こすとか。

 そんなことになるくらいなら、討ち滅ぼした方がいい。存保のような誇り高く意気盛んな男を家来にするのは、火種に藁束をおっかぶせるようなものだ。

 誰しも、藁の下でくすぶる火種の心配などしたくないものだった。

 いやそれよりも。

(十河存保という男、生意気ではあるが骨のある男よ。そのおかげでどのような戦ぶりを見せるのか、楽しみが増えたと言うものだ)

 などと、胸のときめきすら覚えて。髷を握り締める。まるでそれが存保であるかのように、握りつぶそうとする。

 自分の四国征服事業に服することなく、ことごとく抵抗して前途を阻む。憎たらしいが、手ごたえもある。

 元親は存保を思う時、敵将としてよりもひとりの男として、武士として、純粋な闘志を燃え上がらせていた。

 強い者を求め、戦う。それこそ、武士の本懐というものではないか。

(さて存保、どのようにして我が前に立ちはだかるか)

 心を弾ませ、駒を進める。

 かたわらにて、十八になる長子信親がそんな父を眺めている。腰には織田信長より拝領された左文字の太刀。

 色白く柔らか、まるで貴族のようでもあり、美少年といってもいい。でありながら、父同様一軍の将としての素質も十分に備えている。

 色白ながら精悍な面持ち。引き締まった口元に、高い鼻、みやびた涼やかな眼差し。

 家来の中には、元親よりも信親に対し信仰ともいえるほど心寄せている者まであった。

それ以上に、女たちが騒いだ。

 征服者の軍勢を、阿波の人々は複雑な気持ちを持ってひれ伏して見送るが、信親がゆくとなると、その阿波の女たちが信親に対してはさらりと憧れの念を抱き。なかには自ら陣中の夜伽を買って出る者もあった。

 慎ましやかな信親はそれを全て断っている。が、かえってその慎ましやかさが、

「さればこそ、なおいとおしい」

 とその心の火に油を注ぎ悶えさせる、ということもあったようだ。

 さて、その罪作りはさておいて。

(十河存保。どのような将であるか。是非手合わせしてみたい)

 と、信親もまた父同様、敵将十河存保にかける少年らしい期待を胸に秘め、駒を進めていた。


 城の奥の間にて、お燕は甲冑に身をつつんだ存保を見て、その胸に飛び込んだ。普段は館で生活をしているが、いまは緊急時である、お燕をはじめ家中のものたちは皆、小ぶりながら守りの堅固な勝瑞城に篭っていた。

「はしたないぞ」

 と言いながらも存保は、その細い肩に、そっと手を触れる。

 小刻みに震えていた。

「ご武運をお祈り申し上げておりまする」

 ぽそっと、つぶやきが聞こえた。

 二万三千の軍勢という、四国では聞いたこともないような大軍がこちらに向かっていると言う。それを、五千で迎え撃つというではないか。

(無茶だ)

 とお燕は思った。が、武人の妻である。そんなことは言えない。

(ややはまだだというのに)

 ともすれば、存保の妻となった幼き日よりの願いは絶たれてしまうかもしれない。が、それでも、見送らねばならない。

 存保があってこそ、願いを叶えられると言うのに。生むのであれば、いとおしいと思える人の子がよいではないか。

 神仏は、我が声を、我が願いを聞かれなんだか。

 お燕は今さらながら、今の戦乱の世に生きているのだということを、まざまざと思い知らされる思いだった。

 存保は震える肩に語りかけるように、そっとささやいた。

「留守をたのむ。そなたがいればこそ、ゆけるのだ」 

 お燕は顔を上げた。涙をこらえ、口をつぐんでいた。その口と、存保の口が、触れ合った。

 その心地をかみしめる間もなく、存保は背中を見せる。

 お燕は床に指をつき、無言でその背中を見送った。


 かたばみの旗が、阿波の三角州の南側、中富川の南岸の線に沿ってなびいている。

 対岸には、十河家の旗印である公饗(くぎょう)檜扇(ひおうぎ)の旗がなびいている。公饗とは神や貴人などに食物を饗する際に用いる器で、穴のない三方をいう。

 その公饗の上に開かれた檜扇が描かれている。それが公饗に檜扇の紋である。 


陣太鼓の音が空に届けとばかりに高らかに鳴る。

 中富川を挟んで、双方にらみ合う。

 長宗我部勢二万三千、十河勢五千。

 土佐より興り四国各地を制圧した勢いに乗り、それにともない動員できる兵数も増えた、いわば絶好調の最中にある軍勢ともいえた。

 それに対し、十河勢は没落一方の三好家の軍隊である。人も、人の心も、散り散りになり、かき集めるだけかき集めても、五千の兵数を動員するのがやっとで。四倍以上の軍勢を前に、ひるむ者も多かった。

 陽は中天に昇り、下界を照らしつける。絶好の戦日和であった。

 存保、孝康ら気合いのこもった者たちは太鼓の音を耳にしながら馬上より、

「臆するな。我らの存亡はこの時にあると思え」

 と喝を入れようと兵たちに怒鳴りつける。

「我が郷を土佐の鬼ざむらいどもに踏みつけにされたくなければ、死力を尽くせ」

 槍をかかげがなり立てる孝康。軍勢の中には、十河の郷の者もいる。孝康はとくにそれらを叱咤した。

 ちらちらと土佐軍を横目に見ながら、郷のことが頭に浮かんでくる。

 郷の景色。世話好きで心優しく、働き者の郷の人たち、孝康をおもちゃにする無邪気な子供たち、好きであったが振られてしまった女もいる。だが素直にあきらめ、その女の幸せを、いや郷の人たちみんなの幸せ祈りながら、今は槍をにぎって馬上の人となる。

 私生児ゆえに家に捨てられ、浪人して各地をさまよってたどり着いた、もうひとつの故郷、十河の郷。

(土佐武士なにするものぞ)

 槍をにぎる手に力がこもる。

「音が小さい。太鼓を叩け、太鼓を叩け」

 相手の数にひるむ心を、太鼓の音で鼓舞させようと、存保はそう叫んだ。太鼓の音はさらに高くなり、聞くものの心を打つ。

 ちら、と勝瑞城に思いを馳せた。

 歯を食いしばる。 

(己は十河存保であるぞ)

 と自分に言い聞かせる。

 勝てるかどうか、わからない。だが、退く事は出来ない。

 意地がある。

 その意地を見せるのだ。

 太鼓が響き、心を打つ。

 存保の心臓も、太鼓のようにどんどんと響いていた。

 中富川は両軍に挟まれながらも、滔滔と流れていた。


 対する長宗我部勢は気合十分。

 対岸の十河勢を見て、お預けを喰らった猛犬のように地団太を踏んでいる。 

 陣太鼓の音がこちらより大きく、がなり声がこちらにまで聞こえてくる。向こうはかなり必死の様子だ。

「勝ったな」

 元親は余裕しゃくしゃくでつぶやいた。

「異議なし」

 かたわらの信親はうなずいた。

 元親は叫んだ。

「者ども、存分に励め。この戦に勝てば褒美は思いのままぞ」

 途端に、わっ、という歓声が沸き。一斉に槍、太刀がかかげられ林立した。

 二万三千丁の刃物である。それが日に照らされてきらきらと、まるで突如地上に現れた天の川のように、光り輝いて見えた。

 皆狂ったように大声出をあげて、血走った目をしている。阿波、讃岐、伊予の人々が鬼と恐れる土佐の鬼ざむらいそのものの迫力であった。

 土佐勢の歓声は(くう)を揺るがした。

 その揺らぎは、十河勢の陣太鼓の音まで掻き消した。

「首を洗うてまっちょけやー」

 と言う様な、荒い土佐言葉が対岸に向けられた。

 土佐軍は中富川南岸にあってまだ三角州には入っていないというものの、気勢は三角州にまで届き、城に残っているものを恐怖に陥れ。

 お燕も土佐軍の気勢に耳を塞ぎ目を閉じた。薙刀を持った侍女があわててかけより、

「お気を確かに」

 と身を挺して土佐軍の気勢からその身を守ろうとするも、お燕は恐ろしいばかりに身を震わせ、武将の妻としてはいささか気が弱すぎるところを見せていた。

 それよりも、存保のことが気がかりでならなかった。

 あの恐ろしいまでの気勢の前に存保が立ち向かおうとしていると思うと、彼女は身が引き裂かれそうな思いに駆られるのだった。

 閉じられた目の中では、存保が槍を振るい、血戦の中を戦っていた。

 今まさに、それが行われようとしていた。

 突然、彼方より凄まじいまでの轟発音が響いた。城が揺れたようだった。

「はじまったようでございます」

 侍女がおそるおそる言った。お燕はおそるおそるうなずいた。

 双方の鉄砲が轟然と火を噴いた。

 それを合図に、両軍一斉に川に飛び込みまさに血戦が展開された。

 存保は先頭に立って槍をかかげ、激しく水しぶきを上げながら長宗我部軍に向かって猛然と馬を走らせた。

 太鼓の音が一段と高く鳴る。

「ゆけ、ゆけゆけゆけっ!」

 自軍にも自分にも、そう叱咤する。

 孝康以下十河軍五千がそれに続いた。が、軍勢中盤から動きは鈍くなっていた。

 が、かまわず突っ込んだ。

「やつらの血で川を赤く染めてやれ!」

 元親も槍を手に川に飛び込んだ。総大将がゆくとなれば士気は一段と激しさを増し、獲物に飛びつく猛犬そのものの勢いで相手を喰らおうとする。

 信親は颯爽と馬を走らせ、かるく一騎討ち取った。

「どうした、阿波讃岐の衆はこんなものか」

 叫びながら、またかるく一騎討った。

 その動き、まさに舞うように戦場を駆け巡り、馬脚のはねる水しぶきさえ優雅に宙に舞っているようで。その優雅さ、まこと土佐の育ちとも思われぬほどであった。


「固まれ。散るな、固まれ」

 咄嗟に存保は我が槍を目印に自軍にそう呼びかけた。数の上では不利なのだ、ここはひと塊になって、敵軍の中を突破し大将元親の首を狙うのが得策であろう。

 存保の槍を目印に十河の兵たちがあつまってくる。が、長宗我部軍まで集めようとしていた。

「あれが大将ぞ」

「それ討ち取れ」

 と存保に飛び掛かる。だが存保もさるもの、それらを片っ端から返り討ちにする。伊達に大将はつとめていない。

「うぬら雑魚に用はない」

 槍、太刀が繰り出され、存保はそれをかわしながら、相手を突いた。

 やがて存保のまわりを自軍が囲む。無論その中に孝康もいた。

「いやあ、邪魔が入りましたが、存外早うつけましたな」

 などとおどけてみせる。

 皆同じように敵をしとめながら存保のもとに集ってきた、強豪たちであった。

 ふと、

「あれは、香宗我部親泰(こうそがべちかやす)でござる」

 という声が上がった。

 皆一斉にその方を向いた。

「ほう、あれが元親の腑抜けの弟か」

 存保はにやりと笑う。見れば、周囲を家来たちに守られながら、槍をやたらとぶんぶん振り回す武将がいる。

 その男が元親の弟であるという。聞けば内政向けの男で戦は苦手だというそうで、明らかに浮き足だっている様子だ。

 ちなみに弟でありながら姓が違うのは他家に養子に行ったからであった。

「まずやつから仕留めてやる!」

 存保は馬を駆って親泰の方に向かった。孝康らも続く。

「やばい」

 親泰はこちらにむかってくる一団があるのに気付き狼狽し、馬を返そうとする。家来が、

「あれは総大将十河存保でございまするぞ」

 絶好の機会がむこうからやってきた、丁度良い、討ち取ってやろうと家来は気色ばんでいるのに、親泰は慌てふためきうまく馬を動かせないでいる。それどころか逃げようとする。

 呆れる家来。

(せっかくの好機を)

 苦く思いつつ、やむなしと親泰のそばにつく。

(だからわしは戦は苦手じゃと……)

 それでも兄はゆけと無理やり引っ張った、おかげでこれだ。

「逃げるか、見苦しいぞ」

 追撃を邪魔する者をなぎ倒しながら、存保は駆けた。 

 ひと塊となった十河軍が、長宗我部軍二万三千の真っ只中を突っ切ってゆく。

 親泰の背中は徐々に徐々に大きくなってきている、追いついている。

(あと少し、あと少し)

 存保は駆けた、遮二無二に駆けた。

 もう少しでその背中に槍が届きそうだ、というその時。

「待った!」

 ぱん、はじける様な張りがあり、それでいて透き通るような澄んだ声。

 長宗我部信親であった。

「叔父よりおれの方が楽しめるぞ」

 と突然存保に横槍を入れた。


「なんじゃあうぬは!」

 信親の横槍を、孝康が止める。

 存保は突然のことに少し驚いたが、

「殿は親泰を!」

 と言う孝康の言葉に咄嗟に頷き、そのまま親泰を追った。

「長宗我部信親である。邪魔立ていたすな」

「なに、長宗我部信親!」

 名を聞き、孝康の血がたぎる。元親の御曹子ではないか。なるほどよく見れば、うわさどおりの気品ある貴公子風の顔立ち。

「我が名は安宅孝康!」

 好機と、孝康は槍を構え信親に挑みかかろうとするが、

「その名は知らぬ。小者、下がれ」

 つれない返事。戦は大将や名のある者を討ってこそ手柄となり勝利となる。名もない小者や雑魚ををいくら討ったところで何にもならないのだ。

 ましてや孝康は三好一族とはいえ、私生児である。長宗我部方でその名を知る者はなかった。

「いいや、下がらぬ」

 叫びながら槍を繰り出す。

 二、三合槍をあわせて、信親はその腕前を少し知った。そうすれば、

「面白い、腕前に免じて相手をしてつかわす」

 と、孝康の挑戦を受け取った。

「助太刀無用ぞ」

 互いにそう叫んで、合戦の真っ只中で、突然の一騎打ちがはじまった。周りのものは戦闘の手を休め、固唾を飲んで一騎打ちの行方を見守っていた。

 

 存保は親泰を追ったが。しかし、親泰と入れ違いに、次から次へと人の波が押し寄せて、行く手を阻む。

 それでも、

「ひるむな。押し返せ」

 と叫んで、先頭に立ち、目の前の騎馬武者を討った。まず総大将である自分から示しをつけねば、下の者は着いて来ない。

 この奮闘の甲斐あってか、長宗我部方はやや崩れたかに見えた。四分の一という相手の兵力に油断を生じていたのかもしれない。

 総大将の弟が敵に背を見せて逃げていることが、長宗我部方の兵、軍団の大多数を占める下級歩兵団を狼狽させた。

(まさか負けているのか)

 と慌てた。気合にほころびが生じた。

 川を越えようかというところまで迫った土佐軍だが、親泰に合わせて後ろに後ろに下がってゆく。

(いけるか)

 存保の胸に、一筋の希望の光が灯った。

 このまま相手方を引っ掻き回し、分断し、散り散りばらばらに敗走させてやる、と。

「何事」

 事態ををすばやく察した元親は、すぐに態勢を立て直そうとした。

 数はこちらが多い。相手がどのように足掻こうとも、冷静に対処すればどうということもない。

(親泰め)

 弟の不甲斐無さに呆れながらも、すぐに近侍の武士たちを伴ってそのそばに駆け寄った。

「弟よ、安堵せよ。わしが来たからには、もう十河の好きにはさせぬ」

 兵をもって親泰のまわりをぐるりと囲み、その一団をもって存保の、ひと塊となった十河軍の一団とぶつかった。

 数に勝る長宗我部方である、元親あるところぞろぞろと土佐武士が集まりだし、それは雪だるま式に増えて。

 その様は存保からも見て取れた。家来が、

「元親でござる!」

 と声を張り上げるとともに、

「数は向こうの方が多うございます。このまま行けば……」

 取り囲まれて、殲滅させられるかもしれない。

 だが存保はもはや己の命に執着はしていなかった。そうでなくてなんで四倍の兵力に立ち向かえるであろう。

「面白い」

 と言って、さらに駆け出す。

 だが、後ろの動きが鈍ってきている。

 存保がゆけばゆくほど、後ろから細くなってゆく。

(えっ)

 その気配を察して、さすがに踏みとどまった。このままいって討たれても、犬死にがおちである。一団を維持できてこそ、元親に突っ込め、元親を道連れにできるというのに。

(臆したか)

 やむなしと、

「退け」

 と後退の下知を下した。


 下知を下せば早いもので、

「待ってました」

 と言わんがばかりに十河勢はさっと逃げてゆく。

(これは……)

 存保は己ひとり先走っていたことを痛感せざるをえなかった。心配したとおり、ほとんどのものは相手方の数に臆病風を吹かせていたのだ。

 槍をにぎる手からするりと力が抜けそうなのをこらえ、自身も勝瑞城へと退いてゆく。

 十河勢が退くにつれて、土佐の長宗我部勢はさらに勢いをまし、川を、倒した敵兵の屍を踏み越えてゆく。

 そのころ、一騎打ちとなった信親と孝康であったが、孝康は全身に傷を負い、肩で息をしながらどうにか馬にしがみつくようにして乗っかているという有様であった。

 信親には傷ひとつも無い。

 それでも、孝康は目だけはらんらんと光らせ、信親を見据えていた。

「少しは期待をしたが、たわいもない。が、その一念は敵ながら天晴れなるかな」

 余裕しゃくしゃくで、まるでうたでも詠うようにつぶやく。

周りの者たち、土佐の衆たちは、さすがは我らが信親様と嬉しそうにし、阿波讃岐の衆は孝康同様悔しそうだった。

 そこへ、十河勢の敗走がはじまった。周りの者は何事かと思ったが、事態を察し、逃げる者、追う者、留まる者、孝康を討とうとする者……。

「手を出すな!」

 信親の一喝。

「助太刀無用といったはずだ。破るものは斬る」

 それは、(くう)を響かせる一喝であった。一喝をくらったものはまるで金縛りにでもあったかのように、身動きをしなくなった。

 いやそれよりも、まるで孝康と信親の周囲には結界でも張られているかのように、人をよせつけることがなかった。

 孝康はそれをよそに悔しさをかみしめ、歯を食いしばる。歯の間から、血が滴っていた。その首に、槍が突きつけられる。

「辞世の句でもあらば、聞いておこう」

 だが、孝康無言。悔しさのあまり、句など吟じられない様子だった。

 ただひとこと、

「無念」

 とだけ言った。

「……」

 信親、それをじっと聞いた。すると、何を思ったか、槍を下げて腰の左文字の太刀を抜いた。織田信長より拝領された名刀である。

 まばゆいばかりに陽の光りを受けて輝きを放ち、それが、孝康に突きつけられる。

「せめてもの情け、織田信長公より賜ったこの太刀で、逝かせてやろう」

「待った」

 信親の秀麗な眉が少し動いた。この期に及んで命乞いかと、やや軽蔑の念が浮かんだが、違った。

「ひとつ、願いを聞いてほしい」

「その様で、おれに命令をするか」

「そのとおり、命令する。でなければ、孝康怨霊となりてうぬを呪い殺すぞ」

 また、信親の眉が動いた。この男、何を考えているのか、少し興味を持った。

「いいだろう。言ってみよ」

「では」

 すると、孝康の目に涙がうかび、流れ落ちて頬の血を洗い流してゆく。

「十河の郷」

 ぽそりと、言った。そのまま続けた。

「讃岐に来ても、十河の郷は、安穏のままに……」

 次から次へと涙があふれてゆく。脳裏に、十河の郷が浮かんでいた。

(なに?)

 これは予想外だったようで、信親も少し呆気に取られていた。武士が郷の安穏を敵に乞うなど、聞いたことがない。だが、武士としての面子など、とうに捨てた孝康である。

武士としての面子など、糞喰らえだった。

 いや、孝康は姓を安宅と名乗った。安宅といえば淡路の者ではないのか。それがなんで、讃岐のことをいうのか。

「お主、安宅孝康というたな。安宅といえば、淡路ではないか」

「あっははは。家などとうに捨てたわ。いや、おれは私生児ゆえに、捨てられた。それを十河の郷に拾ってもらった。おれは、淡路人にあらず、讃岐人としてこたびの戦に馳せ参じた次第」

 強がりに笑って、こうして信親と対峙し、討たれようとしているのも、すべては郷のためだった。

 それは、生まれながらにして貴公子として生きている信親には、やや理解しかねるものだったが、孝康の目を見て、郷によほど愛着があるのはわかった。

 頭上の青空がにくたらしいほど青く澄んで、白い雲が浮かび、風に乗って泳ぐようにして流れてゆく。出来ることなら、鳥となって、郷に飛んでいきたかった。

 信親は孝康の目を見据え、やや黙って、

 黙ったまま左文字の太刀を一閃させた。

 周りのものが「あっ」という間もなく、孝康は水しぶきを上げて、中富川に沈んだ。

 それと同時に張り詰められていた糸が急にゆるんだようにして、結界も消えて、信親はふたたび戦場を駆け巡った。


 中富川に多くの屍が沈み、血は川面を真っ赤に染めた。

 存保はそれを背にして、無念を噛みしめながら勝瑞城へと逃げ込んだ。

(負けた)

 負けだった。言い訳のしようのない、完全な負けだった。こうなれば、城に篭り命尽きるまで徹底抗戦をせねばなるまい。いや、それならばあのまま突っ込んでもよかったのではないか。

 それを思うとさらに地団駄を踏みたくなる気持ちに駆られて、意を決した存保は、

「館に火を放て」

 という下知を下した。

 家来たちは、畏れ多いと嫌がったが。

「もはや命は捨てた。残すものなど無い」

 存保の凄まじいまでの気迫に押され、家来たちは館に火を放った。

 三好氏の栄華を象徴していた勝瑞館は、こうして火に包まれて、灰となって消えてゆこうとしていた。

 燃え盛る紅蓮の炎を瞳に映し出し、存保はこの世との別れを思い描いていた。

 が、ただやけになっているだけではない。

「逃げる者は逃げよ。望む者のみ共をせよ」

 無用の道連れをさせまいと、もとい戦意のない者を叩き出すため城の中吼えて回り、必要最低限の冷静さは失っていないところ、存保もただの貴公子でもなかった。

 その言葉通り、逃げる者は逃げ、残る者のみ残った。

 数もだいぶ減ったが、城の規模を思えば丁度良いくらいだ。

 そう言えば、

「孝康はどうした」

 姿が見えない。

「それが……」

 近くに、たまたまその様を見届けた者があり、信親に言ったことをも含めて、すべてを存保に話せば、

「馬鹿な」

 と家来にに向かって一喝した。家来はまるで自分が言われたかのように身を縮めた。

「敵に郷の安穏を乞うなど、あいつを見損なった」

 もはや死を決した存保には、郷などなかった。いや十河存保として生きはじめたそのときより、もとより故郷など無きに等しい。

 戦いこそが、存保の故郷であり、帰るべき場所のようなものだった。

(やはりあやつは武士ではない。これでは私生児でなくとも捨てられていたであろう)

 それ以前に、あの鬼ざむらいどもが、そんなお願いを聞くとも思えず。よくよく孝康の愚かさというか、単純さに憤慨していた。

 そうこうしているうちに、勝瑞城は長宗我部方に包囲されていた。


 元親は勝瑞の地に踏み込み、燃え盛る館を目にし、

「十河存保、覚悟を決めたか」

 と城の囲みを固めさせた。長期戦になると見た。

 そこで血気にはやるまねをせず、まず周辺の家屋は兵の寄宿舎として活用した。

 もし無用の破壊を行えば、その後の復興に莫大な費用と労働力が必要とされるだろう。自分で壊したものをまた作り直すことほど馬鹿馬鹿しいことはない。

 そこで血気にはやって火を放つようなまねをせず、人々が逃げ出し無人の町となった勝瑞の町そのものをそのままのっとり、城攻めの拠点として活用するのだ。

 また阿波の地を征服したときに、そのまま阿波支配の拠点としても活用できる。

 という風に、町の状態をなるべく維持させて、自身は勝瑞の町で大きめの館に入り城攻めの指揮を執った。

 勝瑞館は断末魔の悲鳴をあげるがごとく炎に包まれ燃え盛っていた。それは館からも見え、元親にも、三好氏の終焉を思わせた。

 思えば天下をほぼ制した三好が、土佐の一群より興った長宗我部にここまで追い込まれるなど、一体誰が想像しえたであろうか。

 信親は元親のゆるしをえて、数名の家来をともなって館の外に出、燃え盛る勝瑞館を見守っていた。

(儚いものだ)

 少し吐息をつく。

 三好のその繁栄ぶりは信親とて知っている。それを自分たちの手で終わらせようとしている。そこに、そこはかとない感傷だか感慨だかを覚えて、血が鬱勃とするのを禁じえなかった。

 今夜は夜伽のために連れて来ている侍女を抱こうかと思った。

 ふと、孝康のことを思い出した。

 彼は十河の郷がどうのと言っていた。

 そう、阿波を落としてもまだ讃岐がある。さて存保は讃岐のことをどう思っているのだろうか。

(このまま血気にはやってここで滅ぶか。いや、そうはなるまい……)

 外から見る勝瑞城はまるで通夜のように静だ。が、中は今ごろ嵐のような騒々しさで篭城の準備がされているだろう。

(十河存保を討つのはおれだ。それまで生きていてほしいからな)

 口元にうっすらと笑みを浮かべた。眉目秀麗な顔立ちなだけに、それはどこか冷たさと鬼気たるものを感じさせるに十分であった。

 何かを思い出したように、さっきまで激戦を繰り広げていた中富川の方を振り返った。

 そこから、何かが出てくるのを期待しているような眼差しだった。

 空を見上げた。空はさっきまでの青空から一転、今にも泣き出しそうな曇り空になろうとしていた。

「やあ、空までが三好の滅びを泣いておるわ」

 と冗談めかしく言い、館に戻っていった。

 勝瑞館の炎は、曇天の空に向かって火の手をあげて、もくもくと黒煙を吐き出していた。


(死せるものが郷を愛し、生けるものが郷を捨てるとは)

 お燕はそう思った。

 篭城の備えの間を縫って、少し奥の間に姿を現し、存保お燕と向かい合った。

 お燕は、悲壮な存保の、その目の奥の闇の深さを見た

 互いに、あまりものを言わず、押し黙ることが多かった。

 その間を縫うように、一言二言、言葉を交わすだけだった。そこで、少し孝康への不満をお燕にもぶつけた。

 十河家の血を引く彼女もまた十河の郷が故郷であり、十河の郷を思う孝康の心情を思うと、そこまで、とその心情に感謝したい気持ちだった。

 そして、同じように、できるならば長宗我部に郷の安穏を乞いたい気持ちになる。

 讃岐の十河より阿波の勝瑞の地に来て何年になるのであろうか。

 にわかに、望郷の念が浮かぶ。

 が、存保はそのかけらも持ち合わせておらず。

「おれは死ぬ」

 というようなことばかり言っている。

 家中の者たちに、逃げる者は逃げよ、と言って回っていたとき、それをお燕にも言った。

「そうおっしゃられるのはお燕にとって不名誉なことでございます。どうか、おそばにいさせてくださいますよう……」

 と、震えながら言っていた。

 中富川で激戦が繰り広げられていたとき、お燕は城の奥の間で震えていた。そばの侍女はそれが気の毒でしかたなかった。

 天然なたおやかさと、少し甘えん坊なところのある奥方であった。それが、戦におびえ震えていたと聞いたときは、存保も気の毒に思わないでもなかった。

 だが、彼女の方で「おそばに」と言ってしまっては「逃げよ」と言えなかった。いや、むしろお燕ゆえに、震えながらでも、そばにいて、夫婦として、存保と運命を共にするか。

(結局、ややの顔は見れずじまいであった)

 幼き日に夫婦となって、気がつけば共に二十八になる。なのに、子宝には恵まれなかった。ということは、後継者がないということだ。

(所詮、滅ぶ運命だったのだ)

 子があれば少しは考えたろうが、無いものねだりというものだと、己を戒めた。

 重い沈黙が、奥の間を包む。

 存保も、お燕も、そばの侍女たちも、沈黙に身をゆだねていた。

「存保様」

 ぽそっと、つぶやくように夫を呼ぶ声。

「なんだ」

「覚えておいでですか。昔、外に遊びに出て、存保さまはわたくしを置いてけぼりにして、たたた、とおひとりで走ってゆかれましたことを」

 それを聞き、記憶の糸を手繰り寄せ、はっと思い出して、頷いた。

「おお、覚えているぞ」

「存保様の意地悪と、わたくし、泣いてしまいましたね」

「……」

 そういうこともあった。ふと、脳裏に十河の郷が浮かんだ。

 お燕の声は震えていた。それでも、搾り出すように言葉を続けた。

「でも、今度は、意地悪をされぬと、安堵しておりまする」

「お燕」

「存保様とともに、逝けるのですね」 

「……」

 再び、沈黙。

 そうかと思えば、侍女のすすり泣きが聞こえる。

 お燕は、笑顔だった。

 笑顔で存保と向き合っていた。

 でもよくよく見れば、肩の辺りはすこし震えているようであった。それでもお燕は、存保とともに逝くと、笑顔で言った。

(許せ)

 その笑顔に、心の中で詫びた。

 荒んだ気持ちが、徐々に和らいでくるのを覚えるとともに。

 その笑顔を、道連れにしようとする己の不甲斐無さに、打ちのめされる思いであった。

「そうそう」

 お燕は、何かをまた思い出したように、言った。

「泣いたわたくしを、存保様は、それはそれは、一生懸命になってお慰めになっておいででしたね」

「そうだったかな。いやまあ、まさか泣くとは思わんかったのでな。慌てたぞ」

「郷の人たちの目の前でしたものね。郷の人たちは『あれ、若殿がおひい様を泣かせたもうたぞ』と、くすくすと、笑っておりましたよ」

「うん、そうだったな。懐かしいな……」

 存保の胸に、郷への懐かしさがこみあげてくる。生まれこそ阿波であったが、幼い日に讃岐十河の郷にうつっている。

 覚悟は決めている。もう郷に帰ることは、叶わない。

 でもせめて、次は鳥に生まれ変わって、十河の郷に帰りたいと、心の中で密かに思っていた。

 それと、人のことは言えぬと、孝康に許せと、心の中で密かに詫びた。

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