誰も来なかったらどうしよう
ため息混じり、サロンの扉の取手に、ついっと触れる。この扉を開ける勇気がない。
本来であれば、今日は『趣味の会』の日である。
ただただ気が重い。
カストローザ様を『貴婦人ノ会』に入会させない為に開いた『趣味の会』だったけれど、いつの間にか私自身が心から楽しくなっていた。私が楽しそうなのに釣られて旦那様まで参加する日もあった。
とても充実した、楽しい日々。
人に教えるなんて大それたこと、と思ったけれど、ご婦人方はみな一様に瞳を輝かせて、久方ぶりの"学び"に、はつらつと参加していたと思う。
(きっと、誰も来ていない。あんなことがあったんだもの)
誘拐された我が子が被害者だとはいえ、子を攫う者が一時でも働いていた屋敷に、誰が趣味を学びに来るというのだろう。
はあ、ともう一つため息をついて、扉を開ける。
(…やはり、誰もいらっしゃっていない)
がらん、としたサロンには以前の輝かしさの残り香すらない。
ただ寂しく椅子とテーブルが置いてあるだけ。
ふと、フラワーアレンジメントがテーブルの上に一つ置かれているのに気がつく。
「あら、フラワーアレンジメントを習っている方が、誰か忘れて行ったのかしら?」
置いて行ったのなら、日にちが経っているはずなのに、随分と瑞々しいので疑問に思って近づくと
「まあ!」
『リリア・カールライヒ伯爵夫人へ 趣味の会一同』
と書かれている。
「まあ!まあ!!なぜ?どなたが?」
バタン!
閉じられていた扉が開く。
「リリア様!三十回目の『趣味の会』開催おめでとう御座います!!」
たくさんの声が重なり合った、厚みのある歓声が背中から響き聞こえた。
振り向けばそこには、たくさんのご婦人方がいる。
後ろの方に、旦那様も目を細めてその様子を見守っている。
「皆様…?ど、どうして?」
カストローザ様から、ふふ、と笑みが漏れた。
「三十回目の開催祝いなんて中途半端でしょう?でも、笑わないでくださいませ。私たち、ここがないと困りますから、ねえ?皆さん?」
「本当に」「通うのが楽しみなのですから」「最近ではうちの主人も行きたい、なんて言ってますの」「私たち、『趣味の会』がなくなったら、楽しみがなくなってしまいますもの」「ねえ」
口々に声が上がった。
カストローザ様は私の前に立つと、手を取ってぶんぶんと振るった。
「驚かせたくて!これが、私たちの気持ちですわ!なんだか、リリア様がそっと会を閉じてしまうのじゃないかって思ったら居ても立っても居られずに…」
「あっ」
ポロッと流れた涙が、風に連れ去られる。涙が辿った筋が冷たい。
ああ、窓が開いている。
見れば窓の向こう、執事や侍女たちがいつもの様に仕事をこなしていた。
日常に戻ったのだ、そう感じる。
「いいの、ですか?私がここで『趣味の会』をやっても…皆様来てくださいますか?」
「もちろんですとも!!」
「ベントーナ夫人なんて早々に三人の子どもを預けていらっしゃったわよ」「やだ!だって早く続きがやりたいじゃない」「ほほほ」
どっと笑い声が起こる。皆心から楽しそうだ。心が充実している笑顔だ。
「ねえ、リリア様、私このお屋敷を描いてみたいわ。建物って難しいですか?」
「きちんとパースを取れば、大丈夫ですよ、カストローザ様」
扉の前にいる旦那様に目を向けると、声に出さず口だけが動く。
『よかったな』
と言っていた。
私は大きく頷いた。




