リリアはやらねぇよ
「むぐっ!!!」
骨っぽい手で口が塞がれる。
(こうなったら…!)
ガリッ!!
「!!!!」
塞ぐその手を思いっきり噛んでやった。
「このっ!」
センドリヒは思わず手を庇って怯んだ。
その隙に、私は扉へと走り出した。
ぐんっと手を掴まれる。
「助けて!!誰かっ…旦那様!!!アッ…!!!!」
床に倒され、のしかかられた。
月明かりに反射する瞳が、タイを緩めるその手つきが、思い切り見下すその表情が
(怖い!)
腕がギリギリと締め上げられる。
「離して!!!旦那様!!旦那様ぁぁあ!!!!」
がちゃり、寝室の扉が開く。
廊下から漏れた光が細く筋となる。それはやがて恋焦がれた貴方を連れてくる。
「何を、している」
「旦那様!!!」
掴まれた手はするりと抜け、その胸に飛び込んだ。
しっかりと私を抱き返してくれる。
「兄上?何をされているのです?」
「…っっ!!お前の妻は淫乱だなぁ!夫が仕事で遅いからと、俺を誘って来やがった…!!」
旦那様は私のはだけた衣服を見るなり、目の色がさっと変わった。
「お、お前、騙されているんだよ!そんな女、追い出してしまえ!」
「許せないな…」
「えっ…」
旦那様は私の肩を押し返した。
センドリヒは歪んだ笑顔で、両手を広げる。
「カイザル、お前もまだまだ未熟だ。なに、俺が手伝ってやる。二人でこの地を治めようじゃないか!」
「消えろ」
「は…?」
バキッと重い音がした。
旦那様の右拳は、センドリヒの顔を歪ませながらめり込んでいく。
ガシャン!!と派手な音がして、床に伏した。
「兄上、私はリリア以外、何もいらないのですよ。だからこの家が欲しいのなら兄上が住めば良いし、爵位が欲しいならくれてやりましょう。…でも、リリアは駄目だ」
膝をついて、倒れた兄の胸ぐらを掴んでいる。
背中が弓形に沿っていて、苦しそうだ。
「カイザルッッッ!貴様!!俺の足だけでは物足りぬか!!」
(あっ!!)
「旦那様!!センドリヒ様の足はとうに治っているみたいです!!普通に歩いておりました…!!」
旦那様はぴくりと反応する。
「…私は何十年も…馬鹿にされたものだ」
「くっそ…だまれ!!悪女め!!」
「兄上、なぜ足が悪いふりを続けていたのか訳をお聞かせください」
「ハッ!別に。お前が気に食わなかっただけだよ、カイザル」
指を胸元に突き刺してそう吐き捨てた。
嫌な笑顔で、つらつらと饒舌に語る。
同じ顔の、双子の弟。いつも比べられていた。
将来爵位はカイザルに、そう話しているのを聞いてしまった。どうせ自分が継ぐんだろうなどと思い
そう振る舞っていた俺は、一気に羞恥心に苛まれた。
馬の鞍が緩んでいたことは初めから気づいていた。
足が悪くなったことで、両親の気持ちは自分に向いた。カイザルがいつも俺を見るたびに罰を与えている気分になれた。
なにより、足が悪ければ、爵位は弟に譲られるのは当然だと皆に思ってもらえた。
と、そんなようなことをぽつりぽつりと話した。
旦那様は黙って聞いていたが、やがて
「足はいつ治りましたか?」
「ただ骨を折っただけだからな、ほんの3ヶ月で治った」
「…リリアは関係ないでしょう」
「お前が離縁してくれたら、囲ってやったのになあ。いつもお前ばかり良い思いをしてずるいじゃないか。双子なんだから少しくらい分けろよ」
旦那様はもう一度兄をぶん殴って、思い切り酷い口調で言った。
「やらねぇよ」
✳︎ ✳︎ ✳︎
嵐のような兄君はその日のうちに叩き出された。
何回転かしながら門までよたよた走り、こちらを振り返りもせず去って行った。
旦那様と律儀にそれを見送った。
「リリア、本当に申し訳ない」
「いいえ!旦那様が助けてくださいましたし…」
すり、とお腹に顔を埋める。
「お前も驚いただろ、怖い思いをさせてごめんな」
その頭を撫でる。
「お父さんが守ってくださいましたわ」
今度は肩に頭が乗る。
「どうしました?」
「どこを、どうされた?」
「あ、あの…いえ、ボタンをいくつか外されただけで」
「それから?」
「ごめんなさい、寝ぼけていましたので、多分髪を触られて」
と言うと、私をお姫様抱っこして大股で歩き出した。
「だ、旦那様!?」
「湯浴みをしなさい」
「えっ!?」
「私以外の男が触れたなど、到底許せない」
私を浴場前のスツールに腰掛けさせると、自身の靴を脱いで、それから私の夜着を脱がせた。
「えっえっ!!?旦那様?旦那様が!!?マイロ!!マイロ!!!!」
叫ぶ口に、人差し指が添えられる。
「私がちゃんと丁寧に洗う」
軽々と持ち上げられて、旦那様は何の躊躇いもなく着衣のまま大きな浴場に張った湯に入っていく。
服を着た旦那様が歩むたびに、ジャブジャブと重たく水の跳ねる音がした。
見れば、シャツが肌に張り付いている。
「そんなに濡れたら風邪をひいてしまいます」
けれど、旦那様はそんなことお構いなしに、腕まくりしてまで、私を丁寧に洗ってくれている。
「あ、あのう…自分でやりますから」
と言っても、全然やめてくれない。
しゃかしゃかと頭まで。
誰に習ったものか、これが結構上手である。
ついうっとりと目を閉じた。
「旦那様にこんなことをさせてしまって…申し訳ありません」
ぴたっと手が止まる。
「もう、鍵でもつけて閉じ込めておきたくなる」
濡れた私をぎゅうと後ろから抱きしめてくれる。
「旦那様がそう望むなら、喜んで」
「何を言う。自分でも愚かだと分かっているんだ。だが、私は今嫉妬に狂っている。これでも必死に自分を抑えているんだ。本当を言えば、誰の目にも触れないように、そっと隠しておきたい」
「あなたがそうしたいなら」
振り返ると堪らないという顔をしていたので、そっと頬に触れた。
熱のこもった手が、私の手を包んで、甲にくちづけされる。
「ヴァンルードと何もなかったことを、心の奥の奥では喜んでいたような男だ。何のことはない、ただ、そうは思いたくないと自分を偽り、必死に抑えていただけ。リリアが可哀想だって?正真正銘私だけしかリリアを知り得ない悦びに満ちた。私の本心はこんなにも…醜い」
これは独占欲なんて優しいものじゃない、君への酷い執着心だ。と、そう耳元でつぶやいた。
泣きそうになっている旦那様の顔を両手で包む。
「あなたは、なぜ寂しそうな顔をしているのですか?」
「……なぜだろうな」
無言で立ち上がる私を、タオルで優しく包んでくれ、丁寧に丁寧に新しい夜着を着せてくれた。
「怒っている?呆れているのか?それとも、気味が悪くなったか?」
「いいえ。…私だって同じようなことを考えていました」
薄暗い夜の廊下を、またお姫様抱っこで部屋に戻る。
「へえ、どんな?」
「知ってますわ、私。旦那様、色んなご令嬢から言い寄られているんでしょう?」
「興味がない」
「でも私は嫌なのです。私の旦那様だわ」
「リリアが望むなら、喜んで閉じ込めてもらおう」
「結局似たもの夫婦なんですね、私たち」
「そうかもしれないな」
くすくすくす、
どちらともなく、微笑みが漏れる。
その夜、私が眠るまで旦那様は手を繋いでいてくれた。




