本当の家へ帰してちょうだい(カールライヒ視点)
頭を打ったことによる、一時的な健忘だろうとレンダーは言った。
いつとは断言できないが、記憶は戻るだろうとも言った。
けれど、もし戻らなかったら?
いや、それよりも
かつて君が愛してやまなかったヴァンルード侯爵から放り出される記憶を思い出した時、君の心はどうなってしまうのだろう。
今君は、あの時の君なのだから。
「まあ、本当にカールライヒ伯爵様ですか!?姿が違うので、分かりませんでした。取り乱し申し訳ありません」
私は君になんと言えば良いのか分からず曖昧な笑みを返すばかりだ。
それでも君は質問をやめない。
「お姉様は?いらっしゃるのですよね?姿が見えないですが…」
「ああ、フォレスティーヌは…いない」
「?そうなのですか?どこかお出かけに?…それよりも、私はなぜカールライヒ伯爵邸で横になっていたのでしょう…大変失礼を…すぐ帰りますね」
「あ、いや、動かない方がいい。君は頭を打っている。医師から暫く横になっている様に言われているのだ」
「え、ですが……。夫に何も言わない訳には」
(君の夫は私なのに…)
私は唇を噛み締めて言った。
「遣いの者を出させて伝えてあるから、気にしないで良い」
「それはお気遣い痛み入ります」
バンっと扉が開いて、リリーがずかずかと入ってきた。
「リリア、いたいいたい、だいじょうぶ?よしよししてあげるね」
「まあ、かわいい。あなた、お名前はなんて言うの?」
「?リリーだよ」
「私はリリアというの。名前が似ているわね、リリー」
「おかあさんと、おとうさんが、リリアからもらったんだよ」
「あら、あなたのお父さんとお母さんは私を知っているの?」
「…しってるよ。へんなリリア」
リリアが眉間に皺を寄せている。
困惑して混乱している。
今自分が置かれている状況が不可解でならないのだろう。
すぐにバタバタと足音が迫ってきた。
「リリー!奥様はお身体が優れないのだから、こっちに来ていなさい!…失礼しました」
「マイ…ロ…?あなた、その子のこと知っているの?どうしてあなたまでここにいるの?」
「…あの……」
マイロは私とリリアを交互に見ている。
リリアは急に顔が綻んだ。
「良かった!マイロがいて。私、どうしようかと思って…。明日には帰れるんでしょう?」
「えっ……」
「それまでマイロは私のそばにいてくれる?」
「それは……」
今度はマイロが困惑した。
だから、私は
「いや、良い。ヴァンルード侯爵夫人の側にいてあげなさい」
と言い、マイロの耳元で「リリーのことはこちらに任せろ」と言った。
彼女は小さく頷く。
リリーの手を取って部屋を出ようとした。
「やだ!リリー、おへやいる!」
「こっちへおいで」
「やだ!!リリアといる!」
「リリー、お父さんのところへ行こう」
「や!!おかあさん!!!おかあさぁぁん!!!うわああああん!カイザルのばかああああ!!!」
私はゆっくり後ろを振り向いた。
リリアはこちらをじっと見ている。
それから、マイロを見た。
「お母さん?マイロ、あなたをそう呼んだわ。何が、どうなっているの?」
「あ、奥様…」
「やっぱり変だわ!!私、帰ります!!!」
リリアはベッドから降りると裸足でずんずんと進んだ。
この屋敷に来た時と同じ裸足で君は、ヴァンルード邸に戻ろうとしている。
「待て!待ってくれ!」
私は彼女の手を掴んだ。
彼女はそれを振り解く。
「やめて!!!やめてください!」
玄関ホールまで辿り着くと、リリーが玄関の扉を押さえている。
「リリア!だめだよ!」
「リリー、どいてちょうだい。夫の元へ帰らなくては」
「リリアのおうちは、ここだよ!」
「たくさん遊べなくてごめんなさいね、リリー。私を本当のお家に帰してちょうだい」
リリーは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をもっとぐしゃぐしゃにして叫んだ。
「あかちゃん、かわいそうだよ!」
「そう、赤ちゃん。カールライヒ伯爵様もそう言ったわ。ねえ、何のこと?」
「リリア、あかちゃんいるよ」
リリアはにっこり笑った。
「ううん。いないわよ」
その異様さに、リリーは遂に何も言えなくなった。
「大変お世話になりました」
と言ってお辞儀をした君は、外へ歩いていってしまった。
私は堪らずその後を追った。
「ヴァンルード侯爵夫人!」
今はそう呼ぶしかない。
呼ばれた君は緩りと振り向く。目に光が宿っていない。
「客人を裸足で、しかも歩いて帰らせるなど、ご主人が知ったら激怒するだろう。我が家の馬車をお使いください。靴もすぐ用意します」




