あなたは誰ですか(カールライヒ視点)
手が震えて、治らない。
けれど、それでもリリアの手をぎゅうと握った。
「アルコールを飲んでしまった事については、大丈夫でしょう。水で薄まっていましたし、量も少なかったのが幸いでした。恐らく、ご本人も随分お酒を嫌厭して長かったこともあり、すごく効いてしまったのと、ショックで気を失ったのでしょう」
助産師の言葉にホッと胸を撫で下ろす。
「ですが…倒れた時に頭をぶつけたみたいですね。無意識にお腹を庇ったのでしょう、後ろに倒れたことで頭にコブができていますから、最低丸一日は様子を見てください。目が覚めてもなるべく起き上がらぬ様お伝えくださいませ。目が覚めたら私から奥様に説明しますか?」
「いや、いい、私から説明しよう。もう遅いから帰って結構だ、飛んできてもらって助かった。どんなに心強かったことか」
助産師はため息をつくと、柔らかな笑顔になる。
「伯爵様もあまり思い詰められませんよう…今奥様が頼りにされているのは、伯爵様ですから。念のため明日も様子を見にきますね」
と言い、帰って行った。
(我ながら情けない)
寝ている君を見ていることしかできない。
君は不安の中目が覚めるだろうから、目が覚めたらすぐに大丈夫だと伝えてやりたい。
(まだ、手が震えている)
腹が立って涙が溢れてくる。
これは自分に対しての怒りだ。
兄が脚を悪くしたのは、私のせいである。
8歳ごろだったと思う。ほんの出来心で、兄が乗る馬の鞍を緩めたのだ。
今思えば大馬鹿だと思うが、確か玩具を壊されたのが原因の腹いせだった。
乗る前、或いは乗った瞬間に鞍がズレて気づくと思った。
そのまま馬が歩き出したらちゃんと言うつもりでもあった。
ただ、驚いてくれれば良かったのだ。
愚かな子供の私はもちろん事故になるなんて思いもよらなかった。
兄は騎乗しても気付かなかったので、私は鞍が緩いと言ってやったんだ。
そうしたら、兄は殊の外驚いて、驚いた兄に対して今度は馬が驚いて、嘶き兄を振り落とした。
まだ走り出す前だったので、死亡事故にはならなかった。
誰も私を怒らなかった。兄も、両親も。
「いやあ、良かった、命まで取られなくて」
と、兄は安堵さえしていた。
以来、兄は杖なしでは歩くことが困難になった。
私がこの家を継いだのだって、あの事故で兄を不自由な身体にしてしまったことが原因なのだとしたら
兄から「返せ」と言われれば喜んでこの家を渡すつもりなのだ。
兄は自身を卑下することはない。むしろ何故か大変な自信家であり、過剰に私に期待を寄せ、他人に対して尊大な態度を取る様になった。
「んっ……」
リリアが目を覚ましている。
「! リリア!!ああ、良かった。お腹の子は大丈夫だから安心しなさい」
「………?」
彼女は不思議そうな目で私をじいっと見つめている。
「どうしたんだ?どこか痛むのか?助産師が頭を打ったと言っていた、動かない方がいい」
「………あなたは、誰…ですか?」
「えっ……?なにを、言っているんだ?リリア…」「お腹の子?何を仰っているのですか?」
「リリア……」
「なぜ私を名前で呼ぶのですか?夫は…ヴァンルード侯爵は?」
私は恐ろしくなって、つい、握っていた手を離した。




