さよならを告げるのは
リリーは、可愛い箱に詰められたファーストシューズをしげしげと眺めている。
「ほら旦那様と奥様にお礼を言いなさい。あ、り、が、と、う」
「あぁーっとぅ」
ぺこりと頭を下げたリリーに、わぁっと歓声が上がる。
上手にプレゼントを受け取って、みんなから拍手が贈られた。
「リリーが一歳だなんて、感無量だわ」
「そうだな…」
「旦那様、今日くらいお酒を飲んでも良いですわよ」
「…じゃあお言葉に甘えて」
侍女に「ウィスキーとチョコレートを頼む」と言って、私に向き直った。
「リリア」
「どうしたんです?改まって」
「後で話したいことがあるんだ」
私は微笑みを返す。
「…奇遇ですわ、私もです」
私は最後になるかもしれない夜の宴を楽しんだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
楽しい時間はあっという間に過ぎ、すっかり夜も更けて屋敷中が静かだ。
私は応接間に旦那様と二人向かい合ってソファに座っている。
「このチョコレート、リリアが好きだと思って買っておいたんだ」
ぱくりと頬張ると、中にはドライフルーツを刻んだものがクリームに包まれて、噛むたびに色んな味わいがある。
ふふふ、と思わず笑みが溢れてしまう。
「君のその顔、好きだなあ」
そんな、しみじみとした声が私の心を寂しくさせた。
意を決して旦那様を見つめる。
旦那様も居住まいを正す。
「リリア、君の意見も聞くべきかもしれないが…」
(ああ、聞きたくない…)
私は込み上げてきたものを堪えきれず、ぽろぽろと涙が溢れた。
それを見て旦那様がギョッとする。
「リリア!?そんなに嫌だったか?泣くほど?」
「嫌です!…でも……旦那様と夫婦になって間も無く三年、子宝に恵まれないのは事実ですから…」
「そうだろう?なら、もう…」
「旦那様は嫌じゃないのですね」
おろおろとしている。
私が泣いているからなのだろうか。そうなのだろう。
でも、後継が産まれないのは大問題である。ましてや代々続いた伯爵家。旦那様もそんなに若くない。
私より若くて綺麗な女など掃いて捨てる程いる。
知らないふりをしていたけれど、痩せて魅力的になった旦那様に言い寄る令嬢が何人かいることくらい、とうに知っていた。
ならば--
身を引くしかないじゃないか。
「もう良いです、旦那様。私たちはお互い別の道を歩む時が来たのです」
旦那様は少し考えて、首を傾げた。
「何を言っている?なぜそうなった?」
(ん?)
私も首を傾げる。
「後継が産まれない以上、離縁して新しい奥様を迎えられるという話ではないのですか?」
ぽかんと口を開けた旦那様は、「うーん」と言って頭を掻いた。
「私がそんな薄情な男に見えるのか?」
「…えっと…」
「言っておくが、私はリリアと離縁するつもりなど、毛頭ない」
驚いて目を見張った。
「そ、それではカールライヒ家は…」
言い終わる前に、奪うように口付けされた。
「リリア」
「…はい」
「聞いてくれるか?」
「もちろんですわ」
私をぎゅうと抱いたまま、話し始めた。
「私はな、このまま子どもが産まれなくても良いと思い始めたんだ」
「えっ!?」
「それよりも私はリリアとの未来の方が重要だ。…君、無理してないか?」
「無理など…」
「していないと言い切れるか?」
「でも…旦那様と触れ合うのは好きですわ」
「うん、だから無理して子どもを作ろうと躍起にならなくても良いんじゃないか?自然なまま、触れ合えば良いじゃないか」
「…旦那様が話したいことって、それですか?」
「そうだ。リリアが話したかったことというのはまさか」
「うっ…」
離縁話だ。図星である。
「…それは許せないなあ」
荒い吐息が耳にかかる。
アルコールの匂いと、チョコレートの甘い香り。
長いまつ毛が伏して、綺麗な瞳を隠す。
「また夜の散歩をするか?」
「いいえ、飲んで良いと言ったのは私ですから…」
旦那様は私を軽々と持ち上げると、膝の上に乗せた。
まるで初めてみたいに、ゆっくり、少しずつ近づいて口付けする。
お祝い事でアップヘアにしていた髪が解されていく。
首元に落とされた唇を這わせて少しずつ下がる。
それだけで息が止まりそうだ。
いつか旦那様が言っていた、感情の名前の答えは「恋」じゃない。
これは「情欲」だ。
そんな思いを秘めていたなんて、恥ずかしくて死んでしまいそう。
旦那様は知っていて、わざと「恋」なんて言ったのかもしれない。
見透かされている気がする。
心も全部読まれている気がした。




