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フォレスティーヌの咆哮

包帯が取れたので、久しぶりに机に向かった。

そろそろインクが無くなりそうだな、と思っているとノックが鳴ったので慌てて紙の束を机の引き出しに隠した。


「奥様、絵師が完成した絵を、それから宝石商が旦那様の指輪を持って参りました」

「あら!それは楽しみねえ!」


この日をどんなに待ち侘びたことか!

(旦那様のアドバイスがどんな風に絵に活かされているのかしら!そして指輪をはめて二人で並ぶ日が訪れたのね!)


心を躍らせながら足早に階段を下り、応接間にたどり着くと、絵師と宝石商が振り返る。

そこには既に旦那様がいた。

そして

「あ」

目線を上げた先には、あの日の私がいた。

「これは…私だわ…すごい、なんて迫力でしょう」


旦那様が微笑んでいる。

「絵の具をわざと垂らしたり、弾いたりして君の髪の輝きを表現してもらったんだ。それから絵の具が乾いてから、透明感のある絵の具で塗り重ねてもらい、透き通るような肌を表現してもらった」

「あのう…旦那様も絵に興味がおありなのですか?」

「ああ、絵は好きだ。10代の頃はよく描いた」


(ああ、そんな一面を知ることができるなんて!)


「素敵な絵をありがとう」

まだ若い絵師は照れながら頭を掻いた。

「いやあ、本当に素晴らしい」

それまでにこにこしていた宝石商が「ぜひこちらも開けてご覧ください」と言って箱をこちらに差し出した。

「君が開けてくれ」

と言われたので、ドキドキしながら蓋を開けた。

そこには、私の指輪のガーネットと同じくらいのサイズ感のサファイアが美しく輝きを放っていた。

「指にはめてくれないか?リリア」

「え、中を確認しないのですか」

「君が付けてくれることに意味があるんだ。君が良いと思ったならそれ以上の確認はいらない」


恐る恐る取り出して、旦那様の薬指にはめた。

「君とお揃いだな」

私の左手を取って躊躇いもなく口付けされた。

恥ずかしさに、思わず顔を背けると、若い絵師もさらに顔を真っ赤にして帽子を目深に被った。


(もう、旦那様ったら人前なのに)



和やかな雰囲気は突如として暗転した。

まるでホーローの鍋を四階から落としたような破壊音と、何人もの悲鳴、ワイン樽が転がりこちらに向かってくるかのような低い音が続いた。


「な、なんだ…一体」

宝石商が持っていたカバンをがっちり抱え込んだ。


どかどかと無数の足音がこちらに近づいてくるのが分かる。

絵師はソファから腰を浮かせて、オロオロした。


旦那様はしっかりと強い意志のこもった瞳で扉を見つめた。

空気がピリつく。


扉が急に開かれ、ソバタが倒れ込んだ。

部屋の中の全員が肩を跳ねさせる。

火急の用であれば、ノックよりもまず主人に伝えるべきというソバタの判断だろう。

「旦那様!!!!!奥様!!!!!!!ふ、フォレスティーヌ様が!!!!!乗り込んで…げぇっほ!げほげほ!」

ぜえぜえと肩で息をしながらそう告げた。

旦那様は私の肩を抱いて

「大丈夫だ」

と耳元でそう言った。


沢山の足音がすぐそこまで迫る。

「お前!触ったな!クビにするぞ!」

「お、おかえりくださいませ」

「私に指図するなよ!何様だ!」

「おやめください!」

ざわめきを引き連れて、お姉様の声が近づく。

風が巻き起こる。

埃が立つ。

瞬きの半分の時間、そのわずか一瞬、世界から音が消えた。

それは次の瞬間のための助走だ。


(来た)


「リーリーアーーーー!!!!」

右手でドレスの裾を掴み、もう片方の手で扉を押さえ、思い切り顎を上げて、最大限に私を見下している。その声は咆哮に近い。


(人の白目というのはこんなにも血走るのだな)

などと考える。

侍女や執事たちが雪崩のように崩れてきて、無数の手がそれを止めようとしている。


お姉様は倒れ込んでいたソバタを、大股で思い切り踏みつけながらこちらに近づいてきた。

「ぎゃん!」

まるで犬のような悲鳴が上がる。


ガンガンガンガン

高いヒールを床に突き刺すように歩み寄って、絵師の横を通り過ぎたところで、ぴたりと静止した。

それからゆっくりと振り返る。

それと目が合ってしまった絵師は足を滑らせながら、持参した絵をぎゅうと抱き抱えた。

まるで熊と遭遇したかのような光景だった。


フォレスティーヌは小首を傾げたまま、絵師に近づいて

「あら、これなあに?」

柔らかい声でそう聞いた。


ぱくぱくと口元は動くけれど、言葉にならない絵師の男は絵を守るように蹲る。

その様子を見ていた宝石商は少しずつ少しずつ、ジリジリと扉に近づき、やがて脱兎の如く逃げ去っていった。


お姉様は両手で絵を掴むと、右足で絵師を蹴り上げて絵を取り上げた。

それをわざわざ高く持ち上げてしげしげと見る。

「あらあ。よく描けているわ。リリアの銀髪が"無駄に"光ってる感じとか、野暮ったい赤ら顔とか、人を馬鹿にしてるみたいな目とか、よぉーく描けてる」

「え、えぇ?」

絵師が腑抜けた声を出す。

「5点の絵ね。リリアが描かれてる時点でなぁんの価値もないの。ぷっ 何?自分を描いて欲しくて描いてもらったの?随分と自己評価が高いのねぇ。あはははは!笑えるわね!」

暖炉の上にあった燭台を手に取ると、キャンバスに突き刺し、引き裂いた。

絵師は、はらはらと涙を流してその光景を見つめている。


「なんてこと…」

私がつい声を出してしまったので、お姉様はこちらに向き直った。


「あら、良い男じゃない。カールライヒが死んだから、もう愛人を囲っているの?ならここから出て行って」

「私はカールライヒ伯爵の妻です」

「私はそれを一年も我慢したの。一年もここで暮らしたの。わかる?どちらがここに住むのにふさわしいと思う?私でしょう?」

「お姉様は今やヴァンルード侯爵の妻でしょう!?」

「ええそうよ?でも再婚よりも前にカールライヒが死んでたら再婚なんかしなかったわ。良いのよ、そんなことは瑣末な問題でしかないわ」

「ならなぜ姉妹を交換などしたのです!」

「だってあの人が生きていたら、好きにできないんだもの。今の旦那様は私の好きにさせてくれるの。でも財力が足りないのよ。貧乏なの。あんなに貧乏だと思わないじゃない。だからこの家で旦那様と暮らせたら一番良いじゃない?」

「貧乏って…ヴァンルード家は十分に裕福ですよ!?」

「あら、カールライヒには遠く及ばないわ。私、自分の周りはぜぇーんぶ一流じゃないと嫌なの。この家が良いの。この家のあの寝室であのドレッサーの前で、あのメイドに髪を梳かして欲しいの」

指を刺された侍女は「ひっ」と言って旦那様付きの執事の後ろに隠れた。

「なら、ドレッサーを持って行ったら良いですわ」

「ばっかねぇ!寝室ごと持っていけないでしょう!?」

「ヴァンルード侯爵に建て替えをお願いすれば良いのでは!?」


「リリア、君が出て行った後から、我が家は随分と変わったよ」

そこにはヴァンルード侯爵が立っていた。

私はその人をしっかり見て言った。

「失礼ですわね?ヴァンルード侯爵。私のことはカールライヒ伯爵夫人とお呼びになってください」


彼は笑った。

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