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第一章 飛べない鳥たちは籠の中でさえずる ~恩人~



「私、司さんが身内だと知ってすごくすくわれたんだ。司さんを応援することが生きるための支えの一つになった。私が一番好きなドラマに出ていたとわかったとき、運命みたいに感じたの。すごく身近で、すぐそこにいるような」


 司の母であるなりは半ば駆け落ちのように家を出たきり、一度もハナと連絡を取っていなかった。一方、司の父親である針島は、結婚を認めなかったハナを憎んでいた。ハナは退院後すぐに「司を引き取って欲しい」と連絡してきた弁護士の元を尋ねる。


 しかし、針島はハナを拒絶。結局、俳優になるまでハナは司の行方さえわからなかった。なりの遺品として針島から送られてきた写真しか、司の手がかりはなかったようだ。


 ハナは『一ノ瀬司』の情報を集め、母親の名前が『なり』だという事実にたどり着いた。鈴谷司だと確信し、何度か事務所へ手紙を送ったことがあるという。しかし返信はなく、現在に至る。


 井ノ頭はどうやってここへ辿りついたのだろう、とりんは思った。りんが司を応援したいと告げたとき、ハナは「ここの住所は使わないほうがいいかもね」と説明した。それ以来、手紙を送る際は彩愛の住所と氏名を借りている。ずっと後ろめたさはあるのだが、結果的に良い判断だったのかもしれない。


「何度も言うけど、司とアンタに血の繋がりはないんだよ」

「わかってる。それでも司さんが頑張る姿を見てたら、私も頑張れる気がして」

「そもそも司は男なんだよ。大丈夫なのかい?」

「司さんは私の恩人だから」


「もしかしたら本当に入籍することになるかもしれない。記者に騒がれたら、りんのことが全国に流れるんだよ。そこまでの覚悟はあるのかい?」

「一般人なら顔にモザイクかけるだろうし、私は友だちも知り合いもそんなにいないから。SNSもやってないし、大丈夫じゃないかな」


「本当に後悔しないかい?」

「うん。ちょっと待っててね」


 ハナをリビングに残し、りんは自分の部屋へ戻った。本棚から数冊の雑誌とスクラップブック、数枚のDVDを取り出す。それらは全て『一ノ瀬司』に関連しているものだった。未開封だったECサイトの段ボール箱をほどき、中身を空にする。そこに雑誌とDVDを入れ、ガムテープをぐるぐると巻いた。


「ハナさん、これ」


 その段ボール箱を見たハナが目を見開く。


「本気なんだね」


「私は司さんのことは一切知らない体で、ただ結婚するフリをするだけ。ハナさんが私にしてくれたように、役者に戻るまで全力でぶつかってみる。もしどうしてもダメだったら、ハナさん、そのときはお願いします」

「わかった。この段ボール箱は投げてもいいんだね?」

 ハナの『投げる』という言葉は、北海道弁で『捨てる』という意味を持つ。


「うん」

 りんはまっすぐにハナの目を見つめた。自分でもどうしてここまで司にこだわっているのかは良くわからない。


「わかった」

 頷いたハナが一旦リビングから出る。おそらく自分の部屋へ行ったのだろう。三十秒も経たないうちに、ハナはリビングへと戻った。テーブルの上の名刺を持ち上げ、自分のスマートフォンを操作している。どうやら井ノ頭に電話しているようだ。


「私も覚悟を決めたよ、すぐに司を連れてきな。一つだけ約束して欲しいんだ。たとえ本人が戻ると言っても、治るまでは絶対に連れて帰らないこと」

 はきはきと伝えるハナは全く年齢を感じさせない。通話を切ると、

「すぐこっちへくるってさ」

 と、呆れたように言う。


 りんは井ノ頭が戻ってくるのを待った。この辺りで宿泊できる場所といえば、最も近いところでも車で十分ほどかかる。もうすでにそこまでたどり着いていたのかもしれない。空はすでにコバルトブルーに染まり、コオロギが鳴き始めている。


 それから二十分ほど経過したとき、玄関のチャイムが鳴った。再びリビングに通された井ノ頭は、右手にA4サイズの封筒を持っていた。

「これを」

「最初から作ってきてたのかい?」

 それはパソコンで作成された『結婚契約書』だった。おそらく井ノ頭があらかじめ用意していたのだろう。このままではハナの怒りが再燃してしまうかもしれない。


「すみません、少し待っていて下さい」


 りんは二人の間のばちばちとした空気をさえぎるため、井ノ頭にそう告げた。すぐリビングをあとにし、自分の部屋へと向かう。仕事で使用している印鑑を引き出しから取り上げ、再び廊下へ出た。ぎしぎしときしんでいるその音も今は耳に入らなかった。


「これ、私の印鑑です。その書類に押して下さい」

「ありがとうございます、りんさん」

 井ノ頭が頭を下げる。

「りん、もう一度だけ聞くよ。本当にいいのかい?」


 りんは迷わずにゆっくりと頷いた。

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