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第一章 飛べない鳥たちは籠の中でさえずる ~名刺~



  二


「私、結婚します」

「りん、いたのかい?」

「ごめんなさい、立ち聞きしてしまって」


 リビングの中央に置かれた四角い木製テーブルの前で、井ノ頭は正座している。奥にあるストーブが紅く燃え、窓に備えつけられたカーテンは白く揺れ、テレビ画面は黒く静かだ。ハナは井ノ頭の反対側に立っている。


「りんは司のファンなんだよ。それでも利用しようと思うの?」

 ハナが聞く。

「結婚は形だけのものです。籍を入れる必要はないですし、ここにいる間だけ『フリ』をしてくれれば」

「司はわかってるのかい? いつか戻らなきゃならないと思えば、追いつめられるかもしれない。治るものも治らなくなるよ」


「とりあえず今は引退という選択をしてくれれば。本人にも、この結婚は引き際をきれいにするためだ、と言い聞かせました。司は必ず役者に戻ると言うはずですから、そのときは私が迎えにきます。それまでどうかよろしくお願いします」

「もう土下座はよしておくれ、りんと相談するから。明日には連絡するよ」

「わかりました。司は明日の夕方、こちらへ着くことになっています」


「オーケー前提の交渉だったのかい? ますます嫌だねえ」

 井ノ頭が自分の名刺を二枚、テーブルに載せる。肩書きは『代表』となっていた。

「ではまた明日参ります」


「あの、一つだけ聞きたいんですが……亡くなった女優さんというのは『W ~ダブル~』に出演されていた鴨居いろはさんですか?」

 立ち上がった井ノ頭にりんが尋ねる。

「そうです。何年も前から闘病されていて、司自身覚悟はしていたようですが、やはりショックだったのでしょう」

「そうですか」


 りんは、とある映画雑誌のインタビュー記事を思い出していた。司が「尊敬する人」について語ったものだ。一人目は『W ~ダブル~』で司の相棒役を演じた俳優、常呂大悟。もう一人がそのドラマで二人を見守るストーリーテラーのような存在だった女優、いろはだった。


「常呂さんは初対面のときから父親のように接して下さいました。厳しい面と優しい面をどちらも持ち合わせた人で……亡くなってから、立ち直るのに何年もかかったんです。鴨居さんは、母を亡くした自分が唯一母親のように思える人です。妥協を許さない姿はまさに女優だなと。叶うことなら、もう一度共演したいと思っています」


 その司の夢は、もう叶うことはない。


 ハナが立ち上がり、井ノ頭を見送る。りんは黙ってただその名刺を見つめていた。玄関が閉まる音がして、ハナが戻ってくる。窓の外を赤いレンタカーが通り過ぎた。


「本当にいいのかい? りんが私のエゴにつき合う必要はないんだよ」

 りんは、ふいに近づいてきた男の人に脅えてしまうことがあった。発作のような症状に見舞われ、呼吸ができなくなる。離婚してすぐの頃と比べれば落ち着いてきているのだが、未だ完治は見込めない。


「なりが亡くなったとき、私は病気で入院していてね。司を引き取ってやれなかった。もしここに司がくるのなら、私はその罪滅ぼしをしたい。でもそのためにりんが犠牲になることはないんだよ」

「犠牲じゃない。私は大丈夫だよ、ハナさん」


「司は私たちが思ってるよりも深刻かもしれないよ。力を入れてた映画も、主役の俳優さんのスキャンダルでお蔵入りになったばかりだって」

 ハナはリビングのドアに手をかけたままそう告げた。すでに秋も半ばに差しかかり、夕方は気温が下がる。少しだけ開いている窓から吹く風が、りんの腕をなでた。

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