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第三章 切られた翼で空を仰ぐ鳥 ~理由~



  四


「そうだった。今の俺は逃げることもできないんだよな」

 今にも崩れてしまいそうな笑顔で、司が振り返る。何もかもをあきらめてしまったようなその表情は、この世の終末を奇想させた。


「ハナさんと……」

 りんは自分が潰れてしまわないよう必死だった。こんなことで負けてしまったら、司は元には戻れない。

「ハナさんと私ではダメですか? あなたが死なない理由にはなりませんか?」


 台本にはなかった台詞が、次々と浮かんでしまう。


「ハナさんは絶対にあなたを裏切りません。そばにいます。私も鈴谷さんが嫌なら、もう干渉しませんから。一人になりたいのなら部屋に入るのもやめます。食事もハナさんに運んでもらいます。どうしても嫌なら、私が家を出ます。だから、殺してくれなんて言わないで下さい」

「君はどうしてそこまで優しいんだよ。たった少しの間、一緒にいただけだろ」


 りんと司の視線がゆっくりと交差した。


「人として当たり前の言葉を並べているだけです。私は戸籍を貸しているんですよ。鈴谷さんは恩人に殺人を依頼してるんです」

「あ、やっぱ優しくない」

「優しくするって言ったら家に戻ってくれますか? じゃあこれからは優しくします。だから……」

「あ、やっぱ優しいんだ」


「私のことバカにしてます?」

「してない。バカは俺だな」

 司は自分の両手のひらで顔を覆った。きっと泣いているのだろう、時々嗚咽がもれている。ただ見守ることしかできないりんは一歩も動けない。


 何分かが経過したとき、司がゆっくりと空を見上げながら呟いた。


「人間は簡単には死ねないんだよな。でも、母さんは……俺は母さんの生きる理由にはなれなかった」

「お母さんはあなたを殴りましたか?」

「殴らなかった」

「ひどい言葉をぶつけましたか?」

「いいや」

「思い出はいくつありますか?」

「たくさんある」


「それで十分じゃないですか。愛されていた証拠です。鈴谷さんのお母さんも本当は踏みとどまりたかったのかもしれません。でもできなかった。もしかしたら、天国で後悔しているかも。亡くなった人の気持ちを決めるのは、生きている人だから。鈴谷さんが決めていいんです。もう苦しまないで下さい。あなたが苦しんでいたら、お母さんはもっと苦しむはずです」


 そこまで一気に告げると、りんは車の鍵ではないもう一方の鍵を司に差し出した。


「これを。家の中にひと部屋だけ開かずの間があること、知ってますか? そこの鍵です。もしその部屋の鍵を使ってもまだ死にたいと思うなら、私はもう止めません」

 もう司は泣いていなかった。二人は無言のまま車に乗り、家の前で降りた。自分の部屋へ戻ろうとしたりんの背中に、司が呼び止める声が降る。


「一緒に見てくれないか?」

「……わかりました」

 司の無機質な表情からは何も読みとれない。りんの説得をどう思っているのか、それすらも。


 開かずの間は二階にあった。司が寝ている部屋の向かいに当たる場所だ。そこは和室で、ふすまに南京錠がかけられている。鍵はとても小さく今にも壊れそうに見えた。かちゃりと音がして、南京錠が外れる。


 そのふすまは静かに開かれた。話には聞いていたのだが、りんが中を見るのは初めてだった。


「これ……」

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