第三章 切られた翼で空を仰ぐ鳥 ~バックアップ~
三
司はりんが作ったハンバーグに手をつけなかった。翌日の餃子も、その翌日の肉じゃがも、更に次の日の野菜炒めも、全て残している。自分の想いを知ってしまったりんはなるべく司との距離を取るように心がけた。嬉しい出来事だけを報告し、うなされているとき以外はすぐに部屋を出る。
「失礼します」
数日後、テーブルの上に開いたままのCSが置かれていた。電源が入っており、下画面の中の「ハナ」が涙を流している。「ご飯まだかな?」というテロップが点滅し、悲しいBGMとともに弱々しく鳴いていた。
りんはお盆をテーブルに置くと、こっそりハナにご飯をあげた。正確には、Dボタンでメニューを開いてから十字キーでご飯の種類を選択。Aボタンを押して決定する。急いでデータをセーブし、電源を落とした。画面は閉じないまま、テーブルの上に乗せる。
司のスマホは枕元に置かれていた。画面が表示されたままだったため、りんはついそれを見てしまった。クリアな液晶画面には「一ノ瀬司アンチスレ」という某大手掲示板が映っている。ニュースで時々耳にするものの、りんは一度も実物を見たことはなかった。
目を閉じている司は眠っているのかもしれないし、演技をしているのかもしれない。ハナが言っていた「スマホで何か見たのかもしれないね」という台詞を思い出す。りんは立ち上がり、部屋のカーテンを引いた。
窓から入った夕日が、司の瞼を持ち上げる。
「スマホ、壊しましょうか?」
何かに取りつかれたように、りんが言葉を発した。
「なくなったらもう見なくて済むでしょう?」
司は目を丸くして、りんに視線を送っている。
「貸して下さい」
枕元に歩み寄り、司のスマホを取り上げた。
「何するんだよ」
一度も浮かべたことのない怒りの表情が、司の頬を引きつらせる。
「データを消します。初期化ってできましたよね? それからたたき壊すんです」
「消したって、ちゃんと元に戻るんだぞ」
「そうですか。じゃあ水に入れたら?」
「戻る」
「じゃあ、粉々だったらどうですか?」
「怒る」
「そうですか」
頷くと、りんはすぐに階下へ向かった。司が慌ててついてくるのがわかる。
「待てって」
運動不足がたたっているのだろう、司はりんに追いつけない。急いでキッチンに入ると、りんは勢い良く水道をひねった。
「待って」
すぐ後ろで司の声が聞こえた。こんなに近い距離は初めてかもしれない。スマホを水につけようとしたとき、
「ちょっと待って」
腕を掴まれる感覚があった。りんがどきりと胸を鳴らす。
「本当にやろうとするか、フツー」
すぐに手を振りほどき、りんはスマホを司に返した。
「君になんの権利があるんだよ」
「何もないですね」
はっきりそう答えると、司はきょとんとした顔になった。
「データバックアップしてないんですか?」
「してるけど。写真とかあるじゃん」
「写真はバックアップしてないんですか?」
「してる」
「じゃあ大丈夫じゃないですか」
「結構高かったんだぞ」
「知りませんよ、そんなこと。いちいち絶望するよりはいいと思いますけど」
「そこまでするなら、いっそ俺を殺してくれればいいのに」




