第三章 切られた翼で空を仰ぐ鳥 ~夫婦~
「私は三流からの依頼は受けないし、知っている記者全員にその仕事は受けないよう根回ししました。もちろん、自分のプライドのためですが」
「要するに司を守ってくれたんだね?」
「いえ、違います。結果的にそうなってしまっただけで。だから、謝りたいんです。三流におとしめられそうになっていた一ノ瀬サンに、私は気づかなかった。奥サンの言葉がなければ、私は記事を出していたかもしれない。記者失格です」
桐山が頭を下げている。
「実はその三流に、ある別の噂が出ている。そちらがどうやら本当らしくてね。その記事を出せれば私の面子も保てそうです。一ノ瀬サンを巻き込むことは二度としません」
「そうかい。もういいじゃないか、アンタも道産子なんだろ?」
ハナが笑いながら続けた。
「『捨てる』を『投げる』って言う人は北海道出身だよ」
「バレてましたか。実はN町の生まれなんです。今も母親がそこに住んでいます」
「へえ、近いじゃないか。実家にきたら寄りなよ」
「いいんですか、私なんかに」
「だって、結局、司の記事を書かなかったじゃないか」
「しかし……」
「おにぎり、食べませんか?」
りんが桐山に尋ねる。
「今作りますから。もし良かったら、ですけど……持っていって下さい」
「いいんですかい?」
「はい」
すぐにキッチンへ戻ると、りんは一旦ハンバーグのタネを冷蔵庫に入れ、おにぎりを作り始めた。新しいビニール手袋をはめて、白米を乗せる。具はハナ特製の梅干しと焼きたらこ、紅鮭の三種類だ。ハナと桐山が話している声がかすかに聞こえる。
「ありがとうございます」
紙袋に入った三つのおにぎりを手渡すと、桐山の表情が優しく変わった。
「記事はなんたかんた出させねえがら、安心してけれや」
「あの、桐山さんは大丈夫なんですか?」
「なんもなんも。その三流大物の記事出すほうがずっと面白えがらな」
りんは初めて、桐山のニヒルな笑みを見ることができた。
「立派な夫婦だわ、アンタたち。幸せになれや」
「え?」
「じゃあね、奥サン」
ぽかんとしているりんを残して、桐山が玄関から出ていく。
「りん、バレちゃったね」
「何が?」
「桐山さんは全部知ってるんだ。それなのにここまできてくれた。いい人じゃないか」
「うん、そっか……良かった」
桐山を見送ったあと、りんとハナは昼食作りに戻った。ハンバーグはなかなかのでき上がりで、りんは司にそれを運んだ。
「失礼します」
うなされている様子の司が目に入る。りんが急いでテーブルに食事を乗せた。カーテンを開けようと手を伸ばしたとき、
「……あさ美……」
司の小さな呟きが耳に入った。一瞬、世界が暗転してしまったような感覚に陥る。りんはその闇の世界の中で自分の心臓の音を聞いた。
この高鳴りは、まさか……。
急いでカーテンを引き、りんはそのまま司の元を去った。キッチンへは戻らず自分の部屋へと駆け込む。何度も深呼吸を繰り返し、動揺してはいけない、と自分を励ました。この気持ちは絶対に誰にも言わない。ハナには気づかれてしまうだろうけれど、司とどうにかなるつもりはないということはすでに説明済みだ。
「しんどいな、生きるのって」
そう言っていた司の辛そうな顔が浮かんで、りんはただこみ上げてくる涙をこらえることしかできなかった。




