第三章 切られた翼で空を仰ぐ鳥 ~紅葉~
一
十月最初の土曜日。りんがリビングへ向かうと、司が庭掃除をしているのが見えた。ホウキで落ち葉を掃いているようだ。そのぎこちない手つきに、つい視線がすい寄せられてしまう。りんに気がついた司がこちらを振り返った。しまった、と後悔するがもう遅い。
「おはよう」
司の口元がそう動くのがわかった。りんが初めて挨拶されたことに驚く。
「おはようございます」
無視をするわけにもいかず、りんはリビングのガラス戸を開けた。
「こんなに紅葉してたんだな」
「ええ」
庭にはモミジやイチョウの樹があり、それぞれ赤や黄色に染まっている。落ち葉があちらこちらに散っている様は、カラフルな絨毯を見るようだった。
「すぐ下にあったのに全然気づかなかった」
「もう少ししたら掃除が追いつかなくなりますよ」
「そうなんだ。どうやって掃除しよう」
「私も……」
りんが思わず微笑みそうになったそのとき、
「アンタ、何様なのよ」
庭の外から、良く通る女性の声が聞こえた。
「こんな地味女と結婚したくて、私と別れたわけ?」
「……あさ美」
司の一言で、りんはその女性の正体を知った。こちらへ歩いてくる姿はまさにアザミのように刺々しい。司の横に立つにふさわしい整った顔立ち。目はくっきりとした二重で、鼻筋も通っている。華やかなオーラがより美貌を引きたてているのかもしれなかった。
「私、結婚しようと思うの。あの人でもない、別の相手と」
「どうやってここへ?」
厳しい表情を浮かべている司が、ホウキを固く握りしめているのがわかった。先ほどまでの柔和な顔は一体どこへ行ってしまったのだろう。頭のてっぺんから氷水をかぶったように、りんの身体が冷えていく。あきらめにも似た気持ちが絶望の中に入り交じった。
「私にもコネやツテはあるわよ、バカにしないで。司はいつもそうよね、私が浮気してるってわかっても何も言わずに黙ってた。全部一人で解決するの」
「別れるしかないだろ、だって」
「結局、司は誰も愛せないのよ。だから母親にも愛されなかった」
司は詰め寄るあさ美をぼんやりと眺めたままだ。あさ美はきっと頭の回転が速いのだろう、司が最も傷つく台詞を選んでいるのかもしれない。短いスカートから覗く白い足が、りんの視界を奪う。
「アンタ、随分失礼だね」
そこで、空に響くような声が庭に広がった。
「誰よ、アンタ」
あさ美が一瞬も臆することなく聞いた。
「司の祖母のハナだけど。人に名前を聞くときは、自分も名乗るのが筋でしょ」
回覧版を抱えたハナが三人の元へ歩いてきた。
「……森あさ美よ」
「なんだか知らないけど、二人を悪く言うなら許さないよ。私にとってどっちも自慢の孫なんだからね」
りんは、どうやってこの状況を脱すればいいのかを考えていた。何を言っても嘘になってしまうし、あさ美ならきっとそれを見破るに違いない。司をこれ以上傷つけないために、できることがあるだろうか。
「そんなこと私には関係ないわ。司がこんなバツイチ女選ぶわけないじゃない。私と別れたのが相当ショックだったんでしょうね。それでなんとなくそうなっただけ。勘違いしてバカじゃないの」
「それがなんだい? 人を評価するために過去を持ち出すのは好きじゃないんだよ」
「偉そうに説教する気? だいたい司は初婚なのよ」
「離婚した人間は、幸せになっちゃいけないのかい?」
飄々と言ってのけるハナが、エプロンのポケットからスマホを取り出した。




