第二章 愛の唄を奏でるコスモスは ~結婚~
食事のあと、りんはゴミを捨てるために庭へ出た。すると、薄暗い道の向こうに車が止まるのが見えた。
「奥サン」
運転席のドアから出てきたのは、桐山だった。背が高い桐山は近くで見るととても迫力がある。今のりんにとってその存在は、ヒグマを連想させるほど大きかった。
「考えは変わりませんか?」
りんと桐山の距離は約三メートルほど空いている。今日は一人で応戦しなければならないが、これならぎりぎり耐えられるだろう。りんがその覚悟を決めた。
「変わるも何も、私は司さんと結婚できて良かった、としか思ってませんから」
「体調が良くなったら一ノ瀬サンは東京へ戻り、二度とこちらへはこないでしょう。奥サンはバツが一つ増えて、手元には何も残らない。違いますか?」
「それがなんだって言うんです?」
「え?」
「私にとってはそれが日常です。何も持ってない。これ以上の幸せは望まないですし、必要もないんです」
「一度知ってしまったら、元には戻れないでしょう」
「私のこと調べたんですよね? だったらおわかりになるはずです。進まないから、戻りもしません」
桐山はまっすぐにこちらへ視線を向けている。
「あなたが書こうとしている記事は、司さんの一生と引き換えにできるほど価値のあるものですか?」
りんもまっすぐに桐山の視線を受け止めた。
「記者の私にとっては必要なものです」
「すでに彼はぼろぼろなんです。これ以上、傷つけたくありません」
「奥サンのその気持ちは善意ですか? 善意だけで結婚できますか?」
「私は彼が好きです、と言えば満足ですか?」
桐山の冷たい表情が、初めて崩れた。
「彼のことを知っていました。五年前からずっと好きだったから結婚しました。これで満足ですか? 記事になりますか?」
そこまで告げたところで、ハナが玄関から顔を出した。
「あら、桐山さんじゃないか。今日はお隣さんからお米もらったんだよ、持っていくかい? ちょっとそこで待っててよ」
「アナタたちはいい人すぎるんだ。いずれわかりますよ、芸能界の住人がどういうものなのか。そして、巻き込まれたことを後悔するはずだ」
「しませんよ、後悔なんて。私は自分で結婚すると決めて、司さんと一緒にくらしているんです。記事にするならして下さい。一般人ですから、モザイクはかけていただけますよね?」
一体自分の中のどの部分から、桐山に反論する勇気が出ているのだろう、とりんは思った。しかも、なるべく嘘は最小限にしている徹底ぶりだ。
「はい、桐山さん、これ新米。美味しいからそのままでも食べられるよ、おかずいらずなの」
「はあ……」
ハナの迫力が、長身の桐山をひるませた。
「それじゃ、またね。もうここへくることもないだろうけど」
ぺこりと頭を下げ、桐山が新米を受け取る。それ以上は反撃もせず、そのまま車へと戻っていった。エンジン音が辺りに響いて、車が遠ざかる。
「りん、良く言ったね」
「どうして私、あんなに反論できたんだろう」
「ちゃんと自分で決めたからさ」
「そっか……そうだね」
「多分、桐山さんは記事にしないよ」
「ハナさんはそう思うの?」
「りんと距離を取ってくれてただろ?」
「そっか、だから三メートル。じゃあ私もそう思うことにする」
「今は司を立ち直らせるのが先だよ」
「そうだね」
りんが空を見上げると、一番星が輝いていた。




