第二章 愛の唄を奏でるコスモスは ~すきやき~
五
翌日、代休で家にいたりんは夕食の準備を手伝っていた。司に食べさせよう大作戦・二日目のメニューは、すきやきである。買い物の際、ぶた肉が安かったため、焼き肉ではなくすきやきに変更となった。エノキ、シメジ、ハクサイ、ナガネギ、焼き豆腐。それらを切り分ける。基本的にはジンギスカンと同じ手順だ。
二人がすきやきを楽しんでいると、階段を降りてくる足音が聞こえた。しかし、リビングのドアは開かない。まだ温かいうちに、りんはおかゆとすきやきを並べて司の部屋へ運んだ。
「失礼します」
司は黙っている。
「今日はすきやきだったんです。鈴谷さんも食べませんか?」
「いらない」
「美味しいですよ。少し多めに買ってしまったので、二人では食べきれませんでした」
「いらない」
筋書き通りの展開に、りんはハナから教わった秘術を繰り出した。
「これを食べて私が太ったら、責任とってくれるんですか? 離婚前提なのに。無理ですよね、だから食べて下さい」
「おなかすいてないから」
「今日は言わせてもらいます。毎日毎日残してますけど、このお米は誰が作ってるのか知らないですよね。お隣の野間口さんです。今年、九十才になります。ずっと専業農家なんですけど腰痛持ちで、それでも毎年ご自分で植えるんです。手塩にかけたお米は、ひ孫みたいだと言ってます」
りんは演劇部にいた頃の自分を思い出していた。
「漬け物は、お向かいの早見さんからいただいたものです。早くに旦那さんをなくして、女手一つで子どもさんを六人育てた人です。魚はハナさんの叔父さんが一人で船に乗って獲ったものです。後継者がいなくて、もうすぐ漁師を引退することになってます」
「そうだったのか」
横になっていた司が起き上がる。
「鈴谷さんが残し続けたら、代わりに謝りに行かないといけませんね。残ったら捨てることになるし。食べられないなら仕方ないですもんね」
「待って、ちゃんと食べるから。そこに置いてってくれないか?」
「はい、じゃあ置いていきますね」
「……もしかして、騙した?」
「いいえ、全部本当のことですから。ハナさんが関わった以上、ちゃんと食べて元気になってもらいます」
りんがテーブルにお盆を乗せる。
「どうして俺にそこまでしてくれるんだ? 家族でもないのに。血が繋がってるワケじゃないじゃん」
りんから目を逸らしたまま、司が呟いた。
「血の繋がりだけが絆ですか? どれだけ一緒の時間を過ごしても、家族になれない人たちもいるんです。けど、ハナさんは一度会っただけの私に家族として接してくれました」
「家族になれない人がいる、っていうのはわかるけど」
「とにかく、一口でもいいから食べて下さい。少ししか入ってませんから」
「わかった。ちゃんと食べるから、怒らないでくれ」
「失礼します」
りんはそのまま何も言わずに部屋を出た。失礼な態度だったかもしれないが、どれだけ司に嫌われてもかまわない。むしろ怒りの矛先をこちらへ向けてくれれば、ハナが傷つくことはないだろう。
「どうだった?」
リビングへ戻ると、ハナが不安そうにりんを見ていた。
「多分、食べてくれると思う。ハナさんが昨日立てた計画通りに説明したら、食べるから置いてって欲しいって」
「そうかい。良かったね、りん」
「うん。ちょっと緊張しちゃったけど」
ため息を吐きながら、りんが背伸びをする。両肩に入っていた力を抜くと、思わず大きなあくびが出た。
一時間後、りんは食器を回収するために二階へ上った。
「失礼します」
ふすまを開けると、司は布団の上に身を起こしていた。
「全部食べたぞ。これで謝らなくていいのか?」
「そうですね、謝らなくていいです……良かった」
「え?」
「いえ、なんでもないです」
思わず緩みそうになってしまった頬を直しながら、りんがお盆を手に取る。
「今まで残して悪かった。すきやきめっちゃ美味しかった。ごちそうさまって、ハナさんにも伝えてくれないか?」
「私からも言っておきますけど、直接ハナさんに伝えてもらえませんか? きっと喜びます」
「わかった」
「失礼します」
「あのさ、コスモス。俺の誕生花なんだな」
「そうです。ハナさんが教えてくれました」
これは嘘だった。司の誕生日が十月六日だということを知っていたのは、りんのほうである。
「そっか」
りんは司から顔が見えないようにふすまを閉めた。すきやきを食べてくれたこと、コスモスについて調べてくれたこと。それがどちらも嬉しくて、思わず笑ってしまっていたからだった。




