第二章 愛の唄を奏でるコスモスは ~コスモス~
二
更に三日が過ぎ、司は時々りんと会話をするようになっていた。もしかしたら体調が良くなってきているのかもしれない。ハナともそう話していたのだが、朝食を運んだとき、りんは司の部屋の空気が凍っていることに気がついた。
「今日は暖かいですね。秋じゃないみたい」
「そうだな」
司のスマホが真っ黒な画面のまま、ふすまのすぐ下に落ちている。きっと何かトラブルがあったのだろう。
「昨日はほうれん草が安かったので、おかゆに入れてみました」
「へえ」
返事をした司は瞼を閉じている。どうやら近づいたと思った二人の距離はまた遠くなってしまったようだ。そう感じてはいけない人だということはわかっているのだが、やはり寂しい。
朝食後に食器を取りに行ったときも司は眠ってしまっており、おかゆにも箸をつけた形跡はなかった。
「ハナさん、やっぱりそう簡単にはいかないね」
「食べてないのかい?」
「また食欲がなくなったのかな。返事が最初の頃みたいで……」
「スマホで何か見たのかもしれないね。便利だけど、こういうときはないほうがいいと思うよ」
「一応、夕方にもう一度話してみるね」
帰宅後、りんは庭のコスモスが満開になっていることに気がついた。薄紫色や薄紅色の花がわずかな風の影響で揺れる。まるで今の自分のようだ、とりんが思った。りんは司の部屋のふすまを開けると、
「庭のコスモスが咲いたんですよ。見ませんか?」
そう話しかけた。
「いや、いい」
「調子のいいときにでも見てみて下さい。ハナさんが育てたきれいな花なので」
司からの返事はない。
「コスモスの花言葉、知ってますか?」
スマホはまだ、ふすまの下に置かれたままだ。
「実はコスモスって……あ、行かなきゃ」
特に用事はなかったのだが、りんはすぐに司の部屋から出た。
一時間後。再び司の元にやってきたりんは、ふすまが少しだけ開いていることに気がついた。その隙間から、司が窓の前に立っているのがわかる。どうやらコスモスが咲く庭を見下ろしているようだ。りんは気配を殺したままそっと階段を降りた。
「ハナさん、司さんがコスモスを見てたよ」
「え、本当かい? それならこれ持っていってあげてよ。キッチンに一輪挿しがあるから」
リビングに飾られている数本のコスモスを指さして、ハナが言う。りんはキッチンへ行き、食器棚に置かれているオレンジ色の花瓶を下ろした。そこに水を入れ、一番きれいな形のコスモスをさす。薄紅色の花とオレンジ色の一輪挿しは相性が良かった。
それを抱え、わざと足音が聞こえるように階段を上る。いつもより強く司の部屋をノックし、一呼吸おいてからゆっくりとふすまを開け放った。
「失礼します」
りんは頬がゆるまないよう、顔に力を入れた。何故なら、ふすまの下にあったスマホはなくなっていて、司は布団にもぐっていたからだった。きっとコスモスについて調べているに違いない。一輪挿しを一人用のテーブルに乗せ、食器が乗せられたお盆を持ち上げる。おかゆを入れたお椀が空になっていた。
「失礼します」
ふすまを閉めると、りんが無表情のまま階段を降りる。
「ハナさん、また食べてくれたよ」
「おや、しかもおかゆ全部じゃないか」
「うん、良かった」
「明日からはおかゆの具を増やそうか。そしたら胃は戻るし、栄養も取れるし、一石二鳥だろ」
「そっか、そうだよね。さすがハナさん」
司が言い出すまでコスモスの話はしないようにしよう、とりんは思った。




