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第二章 愛の唄を奏でるコスモスは ~傘~



  一


 二人が夫婦になってから数日が経った。司は相変わらずおかゆに箸をつけるだけで、おかずにも味噌汁にも食べた形跡は見られない。しかし、りんは必ず朝と夕方の二食を部屋へ運んでいた。ハナの料理はどれも美味しいため、何かきっかけがあれば司は食べてくれるようになるはずだ。今はそう信じるしかない。


 りんは点滴を受ける司につき添い、何度か町へ行っていた。開業して二十年になる内科専門の個人病院だった。先生は「生きたいと願う気持ちが回復には一番大切だ」と言う。


「おはようございます、ここに置いておきますね。今日は昼から雨みたいです。もうすでに降りそうですよね。傘どうしようかな……」

「そうだな」

「私、すぐ傘を忘れてしまうので、ふと思いついて少し高めのものを買ってみたんです。そしたら必ず持ち歩くようになって、今は忘れなくなりました」

「へえ」


「鈴谷さんは雪のとき、傘さす派ですか、ささない派ですか? 私はささないんですけど、春先は湿り雪だからダメなんですよね」

 りんがお盆を置いて立ち上がった。今朝はおかゆと豆腐の味噌汁、鮭の塩焼きとたくあんが乗っている。


「俺もささない」

「え?」

「雪のときは傘ささない」

「……そうですか、一緒ですね。私、もう行かないと」


 ふるえそうな声を抑えながら、りんはふすままで歩いた。いつもと同じ速度でそれを閉める。もしかしたら、ただの気まぐれなのかもしれない。たまたま調子が良かっただけなのかもしれない。入籍をしたことでりんに罪悪感を覚えているからなのかもしれない。


 けれど。


 りんはふすまの前で、思わず口元に両手をあてた。こみ上げてくる嬉しさが喉に詰まり、りんの胸を熱くする。階段を降りると、またハナが出迎えてくれていた。


「どうだい?」

「話してくれた。会話、成立したよ」

「そうかい、良かった良かった」

 自分のことのようにはにかむハナを見て、りんも満面の笑みを浮かべてしまった。

「少し調子がいいんじゃないかな」

「そうかもしれないね。今日は早いんだろ? 私が片づけておくから。起きてたら話しかけてみるよ」

「ありがとう、ハナさん」


 ハナが食事を運ぶお昼には司は眠っているようだ。夕方、残業を終えて帰宅したりんは、着替えをせずに夕食を司の元へ運んだ。梅がゆとわかめの味噌汁、レバニラ炒めとほうれん草のごまあえが乗っている。


「ここに置いておきます。雨、降りませんでしたね。私、雨嫌いなので良かったです」

「そっか、俺は嫌いじゃない」


 りんが思わず、司のほうを見やる。初めて目と目が合った。司はまっすぐにこちらへ視線を向けている。化粧をしたままであることに気がついたりんが、息をのんだ。


「そうですか……あ、今、降ってきたかも」

 顔を見られないよう、司の視線を遮断する。ぽつぽつと降り出した雨のせいで、窓の外は真っ暗になっていた。司が起きあがる気配がしたが、りんはそちらを振り向かない。

「本当だ」


 二人は静かにふわふわと降る雨の滴を見ていた。


「食べ終わるまで、ここ開けておきましょうか? このくらいの雨なら大丈夫ですよ」

 沈黙を破るように、りんが窓を指さす。網戸がついているため、部屋の中まで雨が入ってくることはなかった。

「うん」

 りんはゆっくりと窓を開けてから、

「あとで取りにきますね」

 目を伏せたままそう告げた。慎重に階段を降り、ハナの元へ急ぐ。


「ハナさん、司さんは雨が嫌いじゃないって」

「おや、また会話成立だね」

「調子が良かったからかな」

「それだけじゃないでしょ。りんと話したかったんじゃないかね」

「へ?」


「そろそろ人が恋しくなったってこと」

「あ、そうか、そうだよね。私じゃなくて、人全体ね。うん、そうかも。いい傾向だよね」

「うん、まあね……さ、食べようか」


 ハナはまだ何か思うところがあったようたが、りんはそれを無視してテーブルに着いた。制服を着ていてもいなくても、化粧をしていてもしていなくとも、司には関係のないことなのだろう。少しだけ焦ってしまった自分が恥ずかしくて、りんは再び窓の外の雨を見やった。

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