星形のアザ
「ねぇ、見て、アナタ。この幸せそうな寝顔」
「ああ。これだけでご飯三杯はいけるな」
「若くないんだしそんな食べたらダメよぉ」
関野と妻の笑い声が家の中を幸せで満たす。
ありふれた日常。ありふれた家族。ありふれた生活。小説にしてしまえば酷く退屈な光景も、しかし関野にとってはかけがいのないものであった。
関野は目の前の赤ん坊の頭を撫でようと手を伸ばす。その瞬間、何者かに肩を叩かれた。関野が振り向くより先に耳元で囁かれる。
「お前に、その資格はない」
気が付けば関野の両手は赤く染まっていた。
関野は額に浮かぶ冷や汗をハンカチで拭う。
「夢……か」
ネクタイを締め電車を降り、改札を抜ける。
あのときから変わらぬその街並みを歩くと、アルバムをめくるように思い出が蘇る。
電車で夢を見たのはきっと偶然ではない。かつて関野はこの町に住んでいたからだ。
「うわ……最悪だ」
急に雨が降り、近くの店の軒下へ退避する。
ハンカチでスーツを拭き、顔を上げると、店の中の三人家族を眺める少年が目に入った。
少年はため息を吐き、その光景から目を逸らすと、彼の様子を伺う関野と目が合う。
「キミ、お父さんかお母さんは?」
いつもの関野なら自ら子供に声をかけるなんてことは絶対にしない。きっと夢のせいだ。
「ママがもうすぐ迎えにくる」
今時の子には珍しく、少年は知らないおじさんに対して物怖じせずに答えた。
「僕は大丈夫だけど、おじさんの迎えは?」
他人の心配をできるなんて、この少年は優しい子だ。良い親に育てられているのだろう。
「仕事でここまで来たからね。迎えはないよ」
「ふーん。仕事って大変そう。僕のパパは仕事で出て行ったきり、まだ帰ってこないんだ」
「そう、なのか。寂しいかい?」
「うーん、どうだろ。正直顔も覚えてないし、寂しいとかそういうのはない、けど」
少年は照れくさそうな頬を掻く。
「僕に命をくれてありがとう、ってそれだけは伝えたい、かな。僕、幸せだし」
「そう、か。帰ってくると良いね」
「帰らなくても、いつか探しに行く。顔はわかんないけど、パパの腕には僕と同じ『星形のアザ』があるから、それでパパってわかる」
ドクンと心臓が跳ねる。関野が少年の顔をもっとよく見ようとすると、
「あ、ママだ! おじさん、またね」
少年が去っていくのを茫然と見つめる。
関野はあの日、家に侵入した泥棒を殺めた。正当防衛が認められ彼に罪はない。それでも、
「殺人者の子供には、できないだろう……」
関野は腕をまくる。そこにある『星形のアザ』に一粒の雫が落ちた。
「そうか……俺がいなくても、ちゃんと、ちゃんと幸せに、暮らしてくれていたのか……」
関野の頭の中では『ありがとう』の言葉が何度も何度も繰り返し響いていた。
おわり