近くにあるものこそ零していってしまうのが人間
ひゅるりと冷たい風が通り抜ける。さくらが黄緑に連れ去られる1時間前________見渡す限り続いていく十字架の墓石が広がるこの地獄墓石にて、黒い影が一つ。地獄墓石の地の中でも特に異様な空気を演出しているところがある。その人物と同じくらいの高さの赤褐色をした門が開錠されている。中に眠る二人の墓石の前で…その人物はただ立ち尽くしていた。
「…………終わったよ」
そして何かの報告をするかのようにそうポツリと呟いた。勿論返事はない。死人から返事など返ってこない。ゆっくりとその墓石に手を這わせて、何かを祈るようにしていた。
「まだ終わりじゃないでしょ」
返ってくるはずのない返事だった。だから思わぬ展開に髪をさらりと揺らした。しかしその返事は前からではなく後ろから。墓石に手を這わせていた人物……百鬼はそのまま言葉を発した。
「…………………………………………黄緑か」
「ふふ、ご両親からの御返事期待した?ごめんね僕で」
こいつはいつだって飄々と。百鬼の眉間に皺が寄る。睨むようにして後ろを見れば、ぬけぬけとした笑顔で手を振る黄緑が視界に入り、余計に皺が深くなった。
「…ちっ。お前確か意識不明の重体じゃなかったのか」
「ちょっと。何で残念そうなのさ。そんなもの無敵の僕には関係ないよ。先輩の復帰をもっと喜んでよね」
「あぁ残念だ。またお前の苛立つ声を聞かなくちゃならなくなったことが非常に」
憎まれ口を叩く百鬼に黄緑は、自分のペースでひどいなぁ百鬼は。と応えた。百鬼は、はぁ、とため息をつく。
「…………何の用だ。閻魔は廃止、称号ももうない…俺に話すことなどないはずだが」
「…君ならきっとここにいるだろうと思って来てみたんだ。見事にビンゴだね。やっぱり僕って天才だなぁ」
「…………用がないなら去れ」
「…………ふふ、用ならあるさ。二つも」
百鬼は黄緑に不可解な顔をする。少なからず自分は黄緑にもう用事などない。あれほどまで血に塗れる戦いをし、やれることはやった相手だ。最早今更飛びかかって首を搔っ斬ろうとも思わない。あの戦いも、自分の復讐も終わったのだ。意味が分からないといった顔をしている百鬼に構わず黄緑は続けた。
「一つ目はまぁ…自分のため、だね。聞いてくれるかい?」
「…いいから早く話せ」
「ふふ、ありがとう。一つは君の両親に…手を合わせたかったんだ」
百鬼はピクリと体を動かす。
「…………一体どういう風の吹き回しだ?」
百鬼にとって心底信じられないのも無理はない。黄緑は人間界にて自分の両親の首を…そして自分の首を落とした張本人だ。その人物が、手を合わせる。一体どんな心変わり故。
ザッ、
黄緑が百鬼の両親の眠る墓石に近付こうと一歩踏み出す。それに反応し百鬼は二刀を取り出しおもむろに黄緑に向けた。
「…お前にどんな過去があろうと…俺はお前のことを許すことはないと、あの時に言ったはずだ…」
空気がピリ、と張り詰めた。二人は暫く動かない。黄緑は考えを落ち着かせたかのように
息をふう、と吐いて、百鬼に笑顔で向き直った。
「…嫉妬や憎悪は愛には勝てないでしょ」
「…」
「僕は人間界で君の両親から…そして君から最も愛する者を奪った。奪われる苦しみを知っていながら。勿論許されることではないなんて分かってるよ。それでもこの償いの気持ちを伝えるには…何度考えてもこれしかないんだ」
「…………」
百鬼は黙ったままだ。黙ったまま、黄緑を見続ける。黄緑は刃先を向けられながらも自分も刃を向けようとはしなかった。というより、いつもの刀自体今日は腰に差していない。
「…ふふ、やっぱり駄目か。分かったよ。また今度めげずにお願いし…」
黄緑がそう言いかけた時、百鬼の声がした。“やれ”と。
「…………え、?百鬼、何て?」
黄緑は目をパチクリとさせて百鬼に聞き返した。百鬼は舌打ちをして二刀を鞘にしまう。そして言い捨てるようにもう一度黄緑に言った。
「だから…やりたいならやれ」
百鬼の言葉に、黄緑の表情が徐々に懐柔していった。ふ、と小さく笑うと、歩を進めてゆっくりと百鬼の両親の墓石の前で止まる。
「……すごいね。ここだけ、この地獄墓石であってそうでないような空気を感じるよ」
黄緑がそう言うも返事は返ってこなかった。百鬼は黄緑に背を向けて、少し離れたところにいる。百鬼なりの気遣いなのかもしれない。後は自分でない、両親に任せようという気にもなったのだろう。黄緑は墓石の前で膝をついた。そして静かに手を合わせる。
静かな静かな時間が流れ、ただ時が過ぎていった。
「百鬼…」
手を合わせ終わった黄緑が百鬼の背中に声を掛ける。
「ごめん」
二人の間を風が通り抜けた。百鬼は黙っている。何に対しての謝罪かなんて分かりきっているようだ。黄緑もまた、今度は百鬼の言葉を待っているようだった。
「……気は済んだのか」
「ふふ、二つ目の話聞く準備が整ってきた?」
百鬼がようやく黄緑の方を向く。手短に離せと言わんばかりの顔を見てか黄緑は話し出した。
「さっき、まだ終わりじゃないって言ったでしょ」
黄緑の言葉に百鬼は頭上にハテナを浮かべた。まだ終わりじゃない、確かに黄緑が現れた時に言われたのを思い出す。黄緑は続けた。
「二つ目の話は僕のためっていうよりは、君たちのため、かな。君にはまだやらなくてはいけないことが残ってる」
「周りくどくてわかりづらいな。いいから単刀直入に話せ」
「もう、せっかちだなぁ。分かってるんでしょ、さくらちゃんだよ」
百鬼が眉をピクリと動かす。どうやら図星中の図星らしい。
「このままにしておくつもりかい?………あ。余計な御世話だって顔してる」
「…よく分かっているな」
「あ、やっぱり。でも僕は引かないよ。君たち見てるとじれったくて痒くなってくるからね」
「知るか」
「もう何も邪魔する物はないのに、どうして手を伸ばさないんだい」
黄緑は百鬼に問いかけた。
「…………届くからこそ、慎重になるものだ。俺は所詮、地獄の番人だからな」
「…」
「あいつの選択肢を奪うのも…縛り付けるのも御免だ」
そう言う百鬼に、黄緑は大きく息を吸い込んだかと思えば、はぁ~~~~と盛大な溜息をついた。あまりに大きすぎるそれには百鬼も目を点にさせる。
「何だ今のは」
「はぁ、じれったい。じれったいったらありゃしない。痒いねぇ蕁麻疹が出そうだよ」
「蕁!?」
「近くにあるものこそ零していってしまうのが人間だよ、百鬼」
百鬼と黄緑の視線が交わる。
「気が付いた時にはもう遅い。あの時何としてもこの手で抱きしめておけばよかったって…後悔するのは嫌でしょ」
“…来世では、必ず一緒になれると信じてる。約束よ、黄緑さん…”
そう、あんなに近くにあったのに…遠くへ行ってしまうのは突然なんだ。黄緑の眼は百鬼を見ているようで百鬼を見ていないような、遠い眼をしている。これには百鬼も押し黙った。
「僕は、君に同じ道を辿ってほしくないんだ」
黄緑の真剣な眼差しが百鬼を捉えた。
「だから、ちょっと待ってて」
「は?」
「数分で戻ってくるから」
「っ!?」
そう言うと黄緑はものすごい速さで宙へ飛び立ち、駆けていく。生まれた突風が百鬼の髪を大きく揺らした。




