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感情の名を分かっていながら

「何か思い悩んでる顔してる」



そんな俺の頬を、さくらはつん、と指でつついた。その眼に、心の内側を見透かされたような気がしてつい視線を逸らした。



「私は細かいことわかんないけどさ…私だけが人間界に帰れて、百鬼だけが犠牲になってここに残るなんて…嫌なの」


「……、犠牲などと思っていない。何かを得るには何かを捨てなければ手には…」


「理屈じゃない。嫌なものは嫌なの。私は絶対に百鬼と一緒に幸せになってみせるよ」



…相変わらず、男顔負けの男気溢れる女だ。俺が今どんなことを考えていたのかも知らずに。一緒に幸せになる…か。俺はさくらのその言葉にさくららしさを感じつつも、裏腹に叶わぬ願いだと悟ってしまったことで虚しさを感じた。こんな感情になるのは、何百年ぶりだろうか。さくらと一緒にいることで、自分の中に眠っていた感情が段々と目を覚ましていくのを実感している。だがそれは伝えられない。いや、伝えてはならない。人間界に帰るこいつの邪魔はしたくはない。こんな気持ちは、自分のエゴなのだから。



「また思い悩んでる顔してる」


「……いや、」


「…百鬼。百鬼がこの閻魔選定に勝って…閻魔になったら、百鬼はどうするの?」


「…どうするか、だと?」


「うん」



返事をするさくらの眼は、暖炉の揺れる炎が宿っているからか、泣き出しそうな寂しそうな目をしているように見えた。生まれる沈黙の中、炎から出るパチ、パチ、と言う音だけが聞こえてくる。



「…お前を人間界へ帰す」


「その後は?」


「…縁峰に復讐をする」


「…喫茶店で百鬼に聞いた話だと閻魔殺しをしたら地獄牢に入れられるんでしょ、」


「番人ならな。閻魔となれば法度を定める立場だ。俺が閻魔になれば縁峰は閻魔大王になる。その縁峰を打てば俺が法だ」


「…………」



さくらはどこか納得のいっていない顔をしている。眉を顰めて、口元をへの字に結んで。俺を睨むかのようにして見つめてきた。



「……何か不服か」


「私、百鬼に閻魔になってほしくない」



……ここにきて、何を言い出す。



「…お前が賭けに勝ったら人間界に帰ることが望みだろう。閻魔でないと人間界に帰すことはできない」


「もう賭けなんていいよ。人間界に帰る方法なら、別の方法を見付けるから…百鬼に一人で地獄の長として生き続けるのは似合わないよ」


「……」


「だって百鬼はちゃんと、優しい人間だもん」



眩しいほどの真っ直ぐな子の眼に、何度意表を突かれただろうか。時々錯覚する。これほどまでに俺を困惑させるこいつは、人間ではなく太陽そのものなのではないかと。だからこそ考えてはいけない邪念や抱いてはいけない希望が心に湧き上がってしまう。そして、もっと奥にある名前のわからない感情も。


…………いや、名前は、知っているか。


“百鬼、感情を忘れた君に、その感情の名前を教えてあげようか。……愛だよ”


…黄緑の奴から言われた言葉だ。奴から言われたということがかなり腹立たしいが、この感情の名は……どうやらそれで間違ってはいない。確信するのを恐れて目を逸らしてきたが、もう…認めざるを得ないだろう。でなければ、こうしてこいつを抱きしめたくなどならないはずだから。



「ひゃ、百鬼…?」


「……お前を、抱き締めてもいいか」


「っ…!え、あの、も、もう、手が腰に…」



返事を聞く前に、俺の腕は既にさくらを腕の中に納めていた。あれほどまでに強いさくらは、抱き締めると小さくそして細い。この小さな体に大きな太陽が宿っているのだと思うと不思議に思えた。



「あ、の…百鬼、」


「……嫌か」


「い、嫌とか、そうじゃなくてっ…!その、恥ずかし、くて」



顔を覗き込もうとするも、さくらは俺の胸に顔をうずめてそれを防止する。俺だって他人事ではない。正直、自分の妙にうるさい心臓が伝わっていないか気が気ではない。それにふわりと近くから香る優しい香り…そして同じ生き物と思えない柔らかさ。理性を飛ばしてしまいそうだ。



「……ずっと、こうしていたい」



自分の口から勝手に漏れた言葉に、俺は自分自身が驚いた。流れるように出て行ったこの言葉は、決して出そうと思って出したわけではない。意思に関係なく口走ってしまった自分に恐怖すら抱いた。そして自分で勝手に納得した、もしもさくらが人間界へ帰ったら…もう一緒にいられなくなることに、俺はやたらと抵抗を感じているため口から出たのだと。



「私も……ずっと一緒にこうしていたいよ……百鬼」



さくらは小さな声で言った。ふわっと、胸の奥底から熱い感情が込み上げてくるのを感じる。俺はさくらの手を引いて、二つ用意したうちの一つの寝床へと移動をする。



「えっえっ…百鬼、」


「…お前を傷つけるようなことはしない。だが…離したくない」



決してお前を傷つけない、約束する。さくらは顔を赤くさせ、伏し目がちに頷いた。俺達は抱き合って、横になる。



「百鬼…心臓破裂する」


「…黙れ」


「百鬼の心臓が黙らない」


「殺すぞ」


「ゴメナサイ…」



やはり、聞こえてしまっていた。どうしようもなく恥ずかしい気持ちから逃れるために俺はもう寝ろ、と声を掛ける。さくらはそれに返事をした。こいつは…さくらは、今どんな気持ちなのだろうか。それを確認する勇気など俺にはない。寧ろ、聞いてしまってはいけない気がする。俺達はどの道、別々の運命を辿らなくてはいけないのだから。臆病な俺を許してくれ、太陽。


俺達は互いの体温に包まれながら、夜を越えた。





「ぎゃーーーー!」


「…………」



…朝。さくらの反応は一日前のデジャヴだ。横で寝ていたさくらを起こさないようにしてシャワー室に向かい出たところで起きたさくらと鉢合わせした。俺の上半身を見るとまた叫び声を上げて顔を真っ赤にさせるこのシチュエーションが、全くと言っていいほど同じだったのだ。2回目でもここまで大きな反応ができるのは何故なんだと疑問すら湧いてくる。



「も、もーー!!だから服着てよ!!」


「……昨日の夜あれだけ見たのに今更恥ずかしがるのか?」


「っふぁ…!?ま、まままままままさか私ひゃ、ひゃひゃひゃ百鬼、とっ…あんなことや、こんなことをぉっ……!?」



俺の言葉を完全に真に受けて茹でだこのように顔を赤くさせたさくらは剥がれかかっている壁まで後ずさりしていき背中を激突させていた。その反応が物凄く面白いと言ったら怒り出しそうなものだ。



「…冗談だ」


「ひえっ…」



俺の言葉に、さくらは目を何度かぱちぱちとさせた。そしてやっと正気になったかのように、びっくりした…とまたまた顔を赤く染めた。



「顔を洗ってこい、俺はここで待ってる」


「も、もぉ…!ほんとにびっくりしたんだからね!」



怒っているのか焦っているのか分からない感情をむき出しにして顔を洗いに行くさくらの背中に、思わず微笑んでしまいそうだったのは内緒だ。俺は背中を見送ると、壁に立てかけてある二刀へ目を向ける。閻魔選定まで残り8日…すぐにでも奴らは動くだろう。ここも歳ノ成には場所が割れているだろうから、奴を潰すに越したことはない…そう考えた途端、いきなり大きなノイズ音が耳を刺激した。



≪こちらは地獄放送____閻魔選定まで残り少し。ここで地獄にいる皆に途中結果と悲報を知らせる____≫



俺はその音声に勢いよく体を立ち上がらせ、二刀を背負う。この声____、



「縁峰…!」



地獄放送?そんなものは聞いたことがないが…閻魔選定の途中結果に、悲報だと?一体何を企んでいる…。



「百鬼…これ何…!?」


「何があるか分からない。俺の近くにいろ」



さくらはとき途中だったのだろう髪を手で無造作にとかして、俺の傍へと駆け寄ってくる。



≪まずは現段階での途中結果についてじゃ____今現在閻魔に一番近いのは____







___________黄緑。奴を閻魔筆頭候補とする≫



縁峰の声が、地獄中に響いた。


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