それでも捨ててはいけないものがある
「はぁ、はぁっ…!」
宮滝を殴り飛ばした拳がジンジンと痛む。奴が吹き飛んで行った方を見ると、奴の姿はママのものではなく、既視感のある宮滝の姿そのものに直っていた。どうやら飛ばされた反動で大きな石に背中を思い切りぶつけたようで、軽い脳震盪を起こしているのか、ピクピクと痙攣しているような動きを見せた。問題は、私の脳みそだ。宮滝の姿を久しぶりに見ると、人間界での忌々しい記憶、そして先程明かされた真実が体中を支配して私の全てを覆った。憎悪に満ちた感情が体の底から湧き上がって、今にも体が爆発してしまいそうだ。私はずかずかと大きな足音を立てて殴り飛ばした宮滝の方へ近寄り、痙攣して満足に動けないこいつの胸倉を力強く掴んだ。
「お前さえっ…お前さえいなければっ…!!」
「散々私を騙して利用して…!!自分ん都合だけで無実の人達を苦しめやがってっ!!」
「ママとパパを返せ…返せ!!」
バキ、ドゴ、バン、
自分でも恐ろしいほど制御が利かない。ほぼ意識の飛んでいる宮滝を殴り続ける。血が出ようと骨が折れようと知らない。ただただ悲しみに乗せて殴り続けた。
「うっ、うぅ…!」
最早何の感情か分からない涙が溢れてくる。分かってる、こんなことしてももうママとパパは戻ってこないこと、自分が罪を重ねるだけだということ。それでも止まらなかった。私が私でなくなったような…体を悪魔に乗っ取られているかのような気分だ。これが…殺意。もしもあの時…美南茂夫妻が生きていたら、私は今と同じことをしていたんだと思う。人間の怨念は底が見えない。
「っうっ、くそっ…くそ…!」
私は横に落ちていた宮滝のナイフを手に取り、震える両手でその柄を掴んだ。倒れている宮滝の上から、いつでも突き刺せるようナイフを両手で振り上げる。息が荒がる中、私はそのナイフを勢いよく、宮滝の心臓に向けて振り降ろした。
「……やめろ」
ナイフは、心臓まであと少しのところで百鬼によって止められた。
「っ……、ぅ…何、で…」
カランカラン、ナイフが地面に落ちる。ガタガタと奮える体と流れ出る涙は収まる気配がない。私の腕を掴んでいる百鬼の方をゆっくりと振り向くと、百鬼の悲しそうな顔が映った。顔や体にはいくつか傷がついている。空参との戦いでついたものだろう。
「…お前らしくない。こんな奴のために…お前の手を汚すな」
「でもっ…こいつが、ママとパパを…」
百鬼はじっと私の眼を見つめた。そして流れ出ていく涙を、指でそっと拭ってくれる。
「俺は……お前の太陽を、消したくない」
百鬼は優しくそう言った。
“…お前は、必ず俺が、殺す…忌々しい太陽を消す”
…かつてはそう言っていたのに。
百鬼の言葉に、胸の中に充満していた殺意というものがだんだんと引いていく感じがした。体から力が抜けて、腰が砕けるように座り込む。
「それに安心していい…お前のその無念は、俺が必ず晴らしてやる」
私の眼を見つめてそう言った百鬼の顔は、かつてないほど優しいものに感じた。
「…………うん、」
ありがとう。百鬼。涙を拭って気持ちを整える。百鬼のお陰で少し落ち着けると、百鬼の身体についている傷が気になってくる。
「百鬼、傷が…」
「……まだこれからだ。あいつはこの程度ではやられない」
百鬼が見つめる先から血を流して立ち上がったのは空参だ。目にも留まらない百鬼との戦いで、空参にもいくつもの傷がついている。
「ふん…最強最悪と言われた番人百鬼の力がこんなものとは…興醒めした。やはり閻魔に相応しいのは歳ノ成様だ。お前ごときに負けはしない」
「…お前の崇拝する変態科学者にいくら尽くしても…見返りは返ってこないぞ。あいつは自分の利益のために自分以外のものをだしに使う極悪人だ」
「見返り…?そんなものを求めていない。俺はただ俺を必要としてくださる歳ノ成様のため敵を殲滅するだけだ」
強い忠誠心…空参の眼には迷いなどないようだ。その眼が、横で倒れている宮滝を捉える。
「……結局ほとんど役に立たなかったな…あの男に利用価値はもうない。用済みだ。歳ノ成様に、使い物にならなくなったら捨ててよいと命を受けている」
「…用済み、か。おい空参…お前気付いていないのか?お前もあの男と同じように、使えなくなったら用済みにされるただの変態科学者の手駒だということに」
百鬼の言葉に、空参は明らかに表情を歪めた。発するオーラも険しくなる。
「聞き捨てならぬな…歳ノ成様が俺を捨てると…?笑止…。俺は歳ノ成様に必要とされている…!分かった口を利くな」
無数のクナイが百鬼に襲い掛かる。百鬼はそれを弾いて木の枝の上に飛び上がった。
「忍の得意とする地の利に自ら足を運ぶとは…愚かな。百鬼」
突如、木々の間から姿を現した空参の拳が百鬼の頬に命中する。更に百鬼がバランスを崩したところでクナイの狙いを定め、5本ものクナイを百鬼の体目掛けて投げる。百鬼は目を凝らしてそのクナイを見極めたようだが、右足に2本、避けきれないクナイが刺さった。
「百鬼!!」
よろめく百鬼を見て叫ぶ。どうしよう、この人…かなり強い…!番人でもないのに、最強の番人と言われてる百鬼にここまで…!
百鬼のいる場所の周りの木々の間を高速で走り回る空参。とても眼で追える速さじゃない。
「……ちっ。すばしっこい忠犬だ…」
「終わりだ百鬼!これを全部は弾けまい!」
空参がそう言うと、百鬼のいる中心へ、空参の通った木の枝360度からクナイが飛んでくる。絶体絶命と言える瞬間…でも私の眼には、百鬼がにたりと口元を上げたような気がした。
「っ何っ…!?」
無数のクナイが突き刺さったそこに、百鬼の姿はなかった。空参は思わず声を上げる。
「お前…腕が立つことを変態科学者に買われて参謀とかいうポジションについてるんだってな?」
百鬼は元いた枝から高く飛び上がって、空参の目の前に現れた。百鬼の思わぬ速さに、空参はクナイを百鬼に向けて突き刺す。
ザシュッ…
「ひゃ、百鬼!」
百鬼はそのクナイを避けられずに…いや、敢えて避けなかったように見えた。クナイは百鬼の左手に突き刺さって貫通し、私の上方から百鬼の血がポタポタと落ちてくる。
「……捕まえた」
「貴様…何を…!」
その行動に驚く空参の右手を、百鬼はクナイが突き刺さった手で捕まえる。
「じゃぁ…この腕が使い物にならなくなったら変態科学者はどうするんだろうなぁ…?」
次の瞬間、衝撃的な映像が目に入る。捕まえている左手で空参の右腕を固定したまま、百鬼が空参の右腕を腕ごと……斬り落とした。
ボトリ、と、今度は血と共に腕まで落ちてくる。思わず悲鳴を上げてしまいそうになった。
「ぐ、ぐぁあっ…!き、貴様っ…百鬼……!」
百鬼は自分の左手に突き刺さっているクナイを抜き、空参の左肩に向けて投げ、命中させる。右手を無くし左肩を負傷した空参はクナイや刀を握れる状態にない。
「刀もクナイも握れないお前を…果たしてあの変態科学者がまだ駒として使うのかどうか」
「っ…戯言を!歳ノ成様は心の広いお方だ!行く手のない俺を救ってくださった!信頼してくださるとおっしゃった!こんなことで歳ノ成様が俺を捨てるものか…!」
空参は我を忘れて猛攻する。まるで腕が千切れた痛みよりも、侮辱された心の方が痛いと言わんばかりに。歳ノ成への絶対的な忠誠心が現れている。本当に、歳ノ成は空参が言うような男なのだろうか。部下を使い捨てにするような男が、本当に空参だけは……。
そう考えた途端、空参の後方から一つの背の高い影が現れる。噂をしていた、奴だ。
「んほほ……百鬼の刀に付着した血液を頼りにここに辿り着いたまでは良かったようですが…随分と苦戦を強いられているようですねぇ」
「とっ……歳ノ成、様…!」
歳ノ成は振り向く空参の様子を見て、どちらともとれる笑顔を向けた。




