己の心に太陽はあるか
10年前、東京。
「綺麗な月だなぁ」
静かな夜。夜になるとひんやりと冷える春の夜だ。広い公園に、私達3人の人影がある。
「もう、お父さん。今日のお目当てはそれじゃないでしょ」
「ごめんごめん、母さん。あまりにも綺麗な月だったからさ。ほら、さくらも見てみろって」
「んー、これ食べたら」
「ったく、相変わらず花より団子だなぁ、我が娘は…」
明るい満月が灯す月光下、冷たい風が吹き抜ける。そして私達3人の間を、はらはらと桃色の花びらが舞い上がる。
「わぁ!綺麗!毎年この公園の夜桜は最高ね」
ママが歓喜の声を上げる。私もコンビニで買った、手に持つ肉まんを頬張りながら上を見上げた。ふわっと、流れるように景色が目に入ってくる。夜空に煌々と輝く満月に、満開の夜桜が舞う。その色のコントラストが言葉にできないほど美しくて、思わず息を飲んだ。毎年家族で見に来ているものの、今年の桜は格別だと、そう思った。力強く、でも儚い。花びらが舞っている姿はまるでその短い命を憂い泣いているかのように見えた。
「…来年も、来るよね」
桜の涙を見ているとどうしてかそんな確認をしたくなって、思わず口からそれを吐き出していたのを覚えている。そんな私の呟きに、二人は驚いた顔をして眼を見合わせる。そしてその後、ぷ、と吹き出し、笑った。
「当たり前だろ。来年も、再来年も来るぞ」
「どうしたのよさくら。そんなしみじみとしちゃって」
この二人の笑顔を見て一瞬浮かんだよく分からない不安が吹き飛んで、たちまち私も考えるのを放棄するかのように笑顔になる。大丈夫なんだ。
「何でもないよ、それよりママの肉まんももらい!」
「あ!こらさくら!」
誰かが保障しているわけでもないのに。神が大丈夫と言ってくれているわけでもないのに、不確かなものを勝手に永遠と信じて当たり前を疑わない。あの頃の自分はどれだけ愚かだったのだろうと、私は10年間涙を重ねた。頭の中の楽しい思い出が、両親の笑顔が…私を苦しませる。
「やっばい、早く帰らないと…!」
学校が長引いたんだ。いつもよりも2つも前に進んだ短針を見て、自然と足早になった。街灯が照らす帰り道。いつもはまだある太陽の光も今日はない。今日こそは帰ったらママと進路について話さなきゃって、先延ばしにしていた約束に向き合う決心をして帰路に立つ。散々自分の進路から目を背けてきたけれど、もうそうはいかない。
私も来年は高校生。自分の進路くらい、自分で決めなくちゃ。ムエタイも優勝経験をするほど頑張ってきたけれど、私はやっぱり新しい道を進みたい。友達の後押しもあって、私は希望の高校のパンフレットをの握りしめて、いつの間にか走っていた。ただいま、と大きな声を出して帰った家の中からは、いつもの声がしない。電気は付いている。美味しそうな肉じゃがの匂いもする。もう、と頬をふくらましてリビングに足を進めると、私の視界が急に真っ赤に染まる。
「____________________ママ、?…パ、パ…?」
バサバサ、と足元に落ちるパンフレット、そしてスクールバッグ。恐ろしいほど赤く、血で染まった床や壁、倒れている二人____。そこで、私の脳みそは働くことを止めた気がする。ただただその光景から目が離せなくなって、自分でも知らないうちに過呼吸で倒れていた。
「死ねばよかったんだ」
病院で目が覚めて一番初めに言った言葉がこれだった。私も、ママとパパと一緒に死んでしまえばよかったんだ。いや、ママやパパの代わりに私が死ねばよかったんだ。そう言う私に病院の先生は、そんな悲しいことを言うとご両親が悲しむよ、と言った。そんな中身のない慰めなんていらない。
二人がいなくなった今、私には生きる意味なんてないのだから。連日報道されるほどの大きなニュースだったが、犯人は見つからなかった。完全犯罪。次第に警察もこの事件を追うのを止めた。あの日から、私の視界は真っ赤に染まったままだというのに。誰もその闇を振り払ってなんてくれなくて。毎日毎日、ただ泣いた。涙が枯れるほど。
いつ、どこを見ても目の前が赤い。あの時の光景が離れない。不慮の事故により家族を亡くしてしまった学生には、補助金が出た。進路も困らないように支援が施されると聞いた。でも、何もやる気になれなかった。
できることならもう死んでしまいたい、そう思っていた矢先、ふと、ある一冊の本がゴミ捨て場に捨てられていた。真っ赤な視界の中で、それだけがオレンジ色のような色を放っていて、私は思わずそれを手に取り中身を開いていた。
「…何これ、伝記?」
一人の少年の話だった。若くして将軍の補佐になった少年が奮闘し大切な人を護るため世界を変えるため戦い抜く話。歴史の教科書の延長線みたいなものだ。真っ直ぐで実力は確かな少年は、目上の人物にも臆せず正しいことを告げる。泣いている子を護ってくれる。
しかし、狡賢い武士も多い中で、世間の荒波にのまれて結局は命を落としてしまう。だが少年の志はこうして語り継がれ、何百年と時をかけて世の中は変わっていった。大事なことは心に太陽を掲げているかどうかだ、と丸く収められ物語は閉じている。
「……ばっかみたい」
その本をもとあったゴミ捨て場に置いて、私は今日も流されるままに目的のない学校へと足を運ぶ。でも、どうしてか、涙が出てきた。私は足を止める。毎日あれだけ泣いているのに、まだ泣き足りないの?心に問いかけると、それは違う涙だと返ってきた。
何かに突き動かされたかのようにもう一度その本を手に取る。そういえば、ママとパパもよく、どんなに辛いことがあっても、太陽だけは見失わないようにしなさいって言ってたなぁ。
久しぶりに空を見上げる。はっとした。知らなかったんだ、空がこんなに青々としていたことを。私の真っ赤だったはずの視界が消えて、青い空が見えるなんて思いもしなかったんだ。そこに唯一神のように輝く太陽。これほどまでに眩しく見えたのは初めてだった。
「っ…ママ、パパ…ごめんなさい…!」
私の眼がおかしくなったんじゃない。私が考えることを放棄していただけだ。辛くて辛くて、あの日から一歩も進めていなかっただけだ。何も変わらないと決めつけて動かなかっただけだ。でも違った…このままじゃ何も変わらない。太陽を掲げなければ。自分の心に太陽をもつかどうかで、見える景色も未来も変わる。私がこの少年のように進まなくては、世界は赤いままだ。
必ず犯人を突き止める。そして罪を償わせる。ママとパパの仇は私が討つ…諦めない。そこからは勉強にも向き合った。進路ももう一度考え直して、ちゃんとした大学に入った。情報収集も怠らなかった。尻尾が見えなくても、警察が時効だとして諦めても。
「さくらさんの両親を殺した犯人____知りたくないですか?」
それは突然だった。両親を殺されてから10年、就職して何の情報もなく焦っていた頃。取引先の男に、衝撃的な言葉を掛けられる。
「今…何て?」
「驚かせちゃいましたよね、気分を悪くされたらごめんなさい。貰った名刺にあったあなたの名前に見覚えがあって。風篠さくらさん…10年前の一家殺人事件の娘さんですよね。私、あの劣悪な事件を見た時に絶対に許せないと思っていたんです」
男はそこからもつらつらと話した。自分の亡くなった娘と同じくらいの年齢の女の子が辛い思いをしたのだと思うと居ても立ってもいられなくなったこと、自分なりに犯人特定に努めていたこと。そしてとうとうその事件の真相を知ったこと。
「さくらさんのご両親…実はお金に困っていたようなんです」
「えっ…そう、なんですか?」
「はい。幼かったさくらさんには告げていないかもしれませんが、世界有数国に事業を展開する美南茂社長と高校の同級生らしく、その方からお金を借りていたそうです。勿論出資先は、さくらさん…あなたの進学先」
思い当たる節はあった。確かに私は将来海外で仕事をしてみたくて、英語を習うために海外留学を考えていた。ママと何度も話し合いをして、どうするのかを調整していたのだから。あの事件日も、留学のパンフレットを握りしめていた。
でも、お金がないなんていうのは聞いたことがなかった。どちらかというと自分の家は他の家よりも金銭的に少し余裕があるくらいだと思っていたから、心配すらしていなかった。半信半疑にこの人の話を聞いていると、向こうから信じられなくても当然です、と投げかけてきた。
「ただ…私は美南茂社長と古い知り合いでして、ある日こんなことを聞いてしまって」
その話は信じられない内容だった。美南茂社長という男は、私の両親にお金を貸したものの、自分の展開する事業に娘を留学させないと決めた両親を使えないと判断し、貸していた金銭以上に金をむしり取り、挙句の果てに殺したという。聞いていて頭が真っ白になった。あまりにくだらない理由で犠牲になった両親のことを考えると、震えが止まらなかった。
「そんなの…!」
「辛いですよね…こんな話をしてしまって本当にごめんなさい。私も協力します…さくらさん、美南茂社長に、復讐しませんか?」
ドクン、ドクン。
心臓がこれ以上にないほど血液を巡らせる。正常な判断ができる状態じゃない私は、取引先のこの男____宮滝の言葉に、いつの間にか頷いていた。
「今日の24時__美南茂夫妻の自宅で、お待ちしています」
宮滝が怪しく口元を吊り上げていることなんて知らずに。




