精一杯だったんだこのやろう
力…力が欲しい。何故かって?そんなの決まってるだろ、このやろう。情弱は搾取される。この世は弱肉強食、力のない者は力のあるものに屈服して生きていくしか道はない。力が全てだ。
「母さん、これ…」
「ごめんよ、ごめんよ与太造…今日はそれだけしかないんだ。藍可と二人でお食べ」
母さんはいつも泣いている人だった。泣いたからなのか、殴られたからなのかは今更分からない腫れぼたい眼を擦って、俺と妹の藍可に一つのおにぎりを手渡す。でもこれ、途中で歯形がついていて、半分ない。
「…母さんは?」
「母さんはさっき他の物を食べたからいいんだよ」
「…でも」
「母さんのことは心配しなくても大丈夫だから。ね。与太造は優しい子だねぇ」
そう言って俺の手を握った母さんの手はひどく痩せ細っていた。子どもの俺でも十分わかってたさ、母さんはここ数日、食べ物を口にしてないって。こうして残ったおにぎりも全部俺と藍可に渡して自分は水だけで耐え忍んでいるんだって。こうなっているのは、うちが貧乏だからじゃない。節制しているからでもない。原因はずっとわかっていた。母さんを殴ったり蹴ったり、自分だけ美味しいものをたくさん食べたり…そんなひどいことをする父さんのせいだって。
「ごめんよ」
そしてこれが母さんの口癖。他所のお母さんも、母さんのようにありがとうよりもごめんねをよく言うのだろうか。笑うことよりも、泣くことの方が多いのだろうか。優しい母さんは、まるで弱々しい、今にも消えてしまいそうな天使のようだ。俺はぼんやりとする思考の中、いつもそんなことを考えていた気がする。
「おい…ここの家の金は全部俺のもんだって言ったよな?」
返って父さんは悪魔だ。いつも俺達を苦しめて、母さんを泣かす。
「よ、与太造と藍可の着物がどうしても替えが必要で…!ほら、毎日同じ服じゃあまりにも…!」
「口答えするんじゃねぇ!」
「うぅっ!」
ゴン、とか、バキ、とか。普通にしてたら人間からはしない音なのに。父さんは母さんを殴ったり蹴ったりしてそんな音を出させる。俺は泣き喚く藍可を抱きしめて震えていることしかできなかった。
「弱いくせに俺に逆らうな!お前らが弱いのが悪いんだぞ、くそが!」
「うっ…もうやめてっ…!」
…力。そう、この悪魔に勝って母さんを助けるには力をつけるしかない。俺に力があれば、もっと力があれば____…。
「_____________________母さん?」
母さんが首を吊って死んでいたのは、それから何日後のことだったか。学校から帰ってきた俺と藍可を待っていたのは、いつも泣き腫らした目でおかえり、と言ってくれる母さんじゃなくて、青くて動かなくなった母さんだった。
「……ママ?お兄ちゃん、ママどうしちゃったの?どうして浮いてるの?」
藍可の眼は、俺が塞いだ。そんなことをしても、この映像は死ぬまで脳みそにこびりついて取れないことは分かっていたけど。
「与太造、藍可。酒買ってこい」
当然のように、父さんの矛先は俺達へと変わった。母さんが死んだことはまるで自分のせいじゃないとでもいうかのように、毎日毎日酒を飲んで俺達を責める日々…。いつしかの母さんの腫れぼたい顔が、家にもう一つ増えた。
「藍可…!」
「お兄、ちゃん…」
藍可はもう笑うこともできないほど、顔を大きく腫らした。このままじゃ、殺される。あの悪魔に藍可も殺される…。そんなの駄目だ、絶対に駄目だ…。
「…あ…藍可をもう、殴るな…!」
「…………………………………………はぁ?」
父さんに初めてした口答え。震えすぎて声が上擦った。母さんも、きっとこうして怖かったんだろうな。それでも俺達を護るために必死でこの悪魔に歯向かっていたんだろうな。母さん、俺の方こそ、何もしてあげられなくて…ごめん。…ごめん。
気が付いたら家の壁に体が強く打ちつけられていた。頭を打って、近寄ってくる父さんの顔がぼやけて見えなかった。
「与太造…泣くぐらいなら口答えなんてしてんじゃねぇぞ。お前ら二人がいるから俺がこんなにひもじい思いしなきゃなんねぇんだろうが!」
父さんは俺の髪の毛を鷲掴みにして、顔も体も殴りつけた。気が済むまで。隣から藍可の泣き声も聞こえてくる。
「うるせぇぞ!」
父さんの蹴りで、藍可の泣き声が止まった。
「やめてくれっ…藍可は、藍可はやめてくれ父さん…!」
「どいつもこいつも自分より他人か…むかつく奴ばっかだぜ」
そこからはあまり覚えていない。ただ、気が付いたら俺は見たことのないベッドに寝かされていた。ひどい怪我だから暫く動けない。白い服を着た女の人が、そう言った。俺は悲しかった。でも、そんなことよりももっと悲しかったのは、妹の藍可が死んだということ。俺と同じように殴られたり蹴られたりした藍可は、まだ俺よりも体が小さいから、重症に至ったんだって、今度は白い服を着た男の人が言った。父さんは警察に捕まったんだって。
護れなかった。結局俺は、何も護れなかった。俺に力がないから…俺がもっと強ければ。強くないと、何も護れない。力がなかったから母さんや藍可は死んだんだ。力がないと力がある奴の言いなりになるしかない。力が全てだ。
そこから俺は、中学を卒業してすぐ地域で名だたる反社会組織に組入りし、力で全てをねじ伏せ手に入れてきた。名誉、権力、名声、金、地位、女…どいつもこいつも、俺の力の前にひれ伏す。それが快感だった。力があれば、自分が一番強い存在だと思える。誰かが俺のしたことでもがき苦しもうが、関係ない。弱いのが悪いんだ。強くならないお前が悪いんだ。知ってるだろ、世の中弱肉強食、力のない者は力のあるものに屈服して生きていくしか道はない。情弱は搾取されるんだから。
「よ、与太造…許してくれ…すまなかった…命だけは…!」
「今更口答えか…?このやろう」
「ち、違うんだ!俺はただあの時は必死で…!」
「あんた俺達に言ったよな?お前らが弱いのが悪いって。そっくりそのまま返すぜ、このやろう」
初めて聞いた親父の叫び声。あの時とは打って変わって、痩せ細り弱々しくなった親父の身体をただただ無言で殴り続けた。動かなくなるまで。…動かなくなっても。力を手に入れて、復讐も果たした。なのにこの晴れない気持ちは何だろうな…。俺の元に、太陽は二度と顔を出さないのかもな。
…それもそうか。母さんや藍可を護るための力と思いつつ…結局俺は人間界でもここでも、力を振りかざして人間を苦しめてきた。あの大嫌いだった親父と同じようなことをやってしまっていることに…でももう引き返せない。力がなければ殺される。太陽に嫌われるのは当然だ。
百鬼…お前も俺と似たような…いや、それ以上だと思ってたんだけどな、このやろう。冷酷無慈悲…お前はいつも真っ暗な眼で前も後ろもなくただこの地獄を彷徨っている鬼のように見えた。俺の方が強いと思ってたのに…どうしてあの光を手に入れて、あんなに眩しく強い力を発する。…お前がその眼に太陽を宿しているのを見た時…疎ましいのと同時に、少しだけ……羨ましかった。俺の元には顔を出さない憎き太陽…このやろう。俺にも少しくらい、その光を分けてくれてもいいじゃねぇかよ。
あぁ、でも…負けたっつうのに…あの時でも晴れなかったこの気持ちが…妙に清々しいのは何でだろうな……。




