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牡丹の君

作者: 壁野実

 ついにこの日が来た。

受験に向け必死に勉強していたからだろうか、意識していなかったそれは、とうとう僕達の前に現れた。


 卒業だ。

今年の春はいつもより暖かく、そのせいで今年の桜は開花が早かった。散り始めた桜は、卒業式の背景には少し寂しかったが、そんなこと僕はどうでもよかった。


 「これでこの教室も見納めか…」

僕達の受験を見守ってくれていた教室に、僕は別れを告げていた。特別仲のいいグループがあるわけでも無かった僕は、同級生が構えるカメラの画角を気にしながら、ふらふらと校内を見て回っていた。


 卒業式自体は、そこまで忙しい訳でもなく、あっという間に終わった。卒業は悲しいもので、卒業式は涙を流して終わるものだと思っていたが、案外そうでもないらしい。


 これから少しずつ寂しくなっていくんだろうな…と思っていたが、卒業してから2週間は、入学手続きの書類のことしか頭になかった。

「思い出に耽ってる暇もないな…」

手続きが終わった頃には、卒業の悲しみなんて残っていなかった。



 どきどきしながら迎えた3度目の入学式は、これまたあっという間だった。それよりも、クラスメイトはどんな子なんだろうかと、中学時代にはなかった熱い青春を期待していた。


 けれども、初日は何事も無く終わった。もちろん、クラスメイトが期待はずれだったとか、そんなことではない。彼らはまるで磁石のように次々とグループを作っていき、気がつけば、彼らが楽しく談笑している所を見ながら寝たフリをするという、青春のせの字も無い時間を過ごしていた。


 「瞼を閉じても、春なんて来ないじゃないか」と胸の中で呟く、こんな事になるなら本のひとつでも持ってこればよかった。


 入学してからひと月がたった頃、気になる人ができた。自分の前の席の子だ。気になる人といっても、小学生の恋バナなんかでよく聞いたような「別に好きとかじゃないけどー」という照れ隠しでは無い。単純に気になるのだ。


 というのも僕は、前の席に座った彼女の姿しか知らない、正確には、その後ろ姿しか思い出せないのだ。学校生活の中で、クラスメイトの顔や声なんかは、ひと月も経てば覚えられる。しかし、彼女は違う。常にマスクをしていて、休み時間に友達とお喋りすることも無く、放課後には真っ先に下校する。僕は何故か、そんな彼女の事で頭がいっぱいになった。


 別に僕の好みが「顔を見せず、友達のいない、無愛想な奴」という訳では無い。ただなんとなく、彼女の行動がとても気になってしまう。自分でも、これが普通の感情では無いと分かっている。けれど、何故こんな事を思うのか、分からない。


 ある日、国語の授業でこんな言葉を知った。

「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」

美しい女性の立ち振る舞いを表した言葉らしい。僕が彼女に抱く感情は、どうやら昔から男心を悩ませていたようだ。


 僕は、彼女を心の中で、「牡丹の君」と呼ぶ事にした。


 彼女の事を考えている内に、入学した頃の青春への期待なんてものはもう無くなっていた。春なんて来なくても、今はいい。ただ僕の心の、この一輪の牡丹を大切にしていたい。

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