「遅すぎる」神速を手に入れた悪役令嬢はつべこべ抜かす王子様を叩きのめす ~転生守護霊たる俺にスパルタ教育を受けた最強にして最悪の悪役令嬢~
(サカキ様の仰った通りだわ)
侯爵令嬢アルディエンヌ=メディチは、王立学園のホールで、自分の前に仁王立ちをしている王子の姿を見上げながら、内心呟いた。
この国の第一王子シャルル=クラウディーは、豪奢の黄金の巻き毛に、碧眼の美貌の持ち主だった。その碧い目が、憎々し気に自分を見下ろし、傍らの可憐な少女を抱き寄せつつも宣言する。
「アルディエンヌ=メディチ、そなたとの婚約は破棄する。男爵令嬢リルアナ=リルケを毎日のように苛め、あまつさえその命までも狙うという悪行、決して私の目の碧いうちは、許せぬ!!」
リルアナ=リルケという男爵令嬢は、柔らかな金髪に、桃色の瞳の、小動物のような愛らしさを持つ少女だった。
今も「殿下」と言っては、桃色の瞳を潤ませ、シャルル王子にすがりついている。
アルディエンヌの背後に、ぬぼっと立っている、サカキと呼ばれている男が、彼女の耳元で囁いた。
サカキは異世界から、侯爵令嬢アルディエンヌ=メディチの守護霊として転生してきた。そのため、彼の声はアルディエンヌにしか聞こえない。彼はこんなことをのたまっていた。
『あんなリルアナちゃんよりも、アルディーの方が百倍かわいい。いや、千倍? もう数えきれないくらいかわいい。だいたいリルアナちゃんて名前すごくない? 穴がつくんだぜ、穴。ちょっと考えられないヒロイン名。お前、その穴に何咥え込んでいるんだよ。男ばっか侍らせやがって』
守護霊のサカキがあまりにも下劣なことを言うので、アルディエンヌは赤くなった頬を、広げた扇で隠した。
守護霊のサカキは素晴らしい教師だが、口が悪い。下品なことも平気で言うのだ。
そのため、アルディエンヌは時々、吹き出しそうになったり、顔を赤く染めることが多く、周囲の人々に奇異に思われることもあった。
そんなサカキは、今日のこの日……王立学園の卒業記念パーティの会場で、侯爵令嬢アルディエンヌ=メディチが、この国の第一王子王子シャルル=クラウディーに断罪されることを予言していた。サカキの予言は外れたことがなかった。彼はそれを“乙女ゲームの法則”とのたまっていた。
断罪された侯爵令嬢アルディエンヌ=メディチは、“乙女ゲームの法則”によると、この後修道院に送られたり、悪くすれば処刑や、娼館送りになるらしい。
そうした“乙女ゲームの法則”を、小さい頃にサカキに聞かされたアルディエンヌは泣いた。何も悪いことをしていないのに、なぜ自分がそんな目に遭うのかわからなかった。怖かった。悲しかった。ワイン色の瞳が、溶けちゃいそうなほど泣いているアルディエンヌを見て、守護霊のサカキは心底困った顔をして、それから言った。
『アルディエンヌ、戦おう』
サカキは真っ赤な夕日を指さし、叫ぶように言った。
『お前にやる気があるなら、俺はお前を最強の……勇者じゃない……えーと……悪役令嬢、そう悪役令嬢に育てよう!! 誰もお前に敵わない、お前を殺すことのできない最強にして最悪の悪役令嬢にしてやる!!』
最強にして最悪の悪役令嬢にすると言われ、苦節十六年。
長かった。
アルディエンヌはリルアナ=リルケという男爵令嬢という令嬢を苛めたことは一度もなかった。むしろ、自分と彼女は悪縁であろうから、決して近づかないようにしていた。なのに彼女は、アルディエンヌのそばにきては転んで、「ひどい、アルディエンヌ様」と言ってうるうると王子に助けを求めたり、アルディエンヌの後ろで階段から転げ落ちては、悲鳴を上げたりしている。
決して関わり合いたくないのに、彼女の方から近づいてくるのだ。
『あー、あの穴娘も、必死なんだろうなー。お前がいなくならないと、王子とのエンディング迎えられないし』
ついにはサカキはリルアナを穴娘と呼び始めた。ヒロインのはずなのに。
『だが、アルディエンヌ、お前は最強にして最悪の悪役令嬢だ!! 誰もお前には敵わない』
王子が周囲の護衛騎士に、アルディエンヌを捕えろと叫んでいる。
「その女は、もはや私の婚約者ではない。罪人だ。処刑する」
『王命で結んだ婚約を、たかだか王子の命で勝手に破棄しちゃっていいのかね。それに処刑までするって、本当にバカ王子。ばーかばーか』
サカキが不機嫌そうに言っている。
護衛騎士達も戸惑っている表情であったが、命令である。
アルディエンヌを捕えようと、周囲を囲んだ。
会場の貴族の令息、令嬢達は顔を見合わせ、困惑している様子がある。
彼らも侯爵令嬢アルディエンヌが王子の言うように、男爵令嬢をいじめている様子を見たこともなかったし、あまつさえその命を狙う理由などないと思っていたのだ。
その時、アルディエンヌの周囲を突風が走り抜け、周囲の護衛騎士達を吹き飛ばした。
ぎょっとする第一王子シャルル=クラウディー。護衛騎士は壁まで激しく飛び、頭を打ち付けて昏倒している。
「なっ、なにを、怪しげな術を使いおって。神妙に捕縛されよ!!」
アルディエンヌは王子の方を向いて、ワイン色の美しい瞳を、笑みの形にした。
「殿下との婚約破棄、確かに承りました。謹んで、お受けいたします」
スカートの裾を持ち、綺麗なカーテシーを見せる。真紅の長い髪に、ワイン色の瞳の彼女は、そのスタイルの良さもあいまって、十六歳にして絶世の美女の風格がすでにあった。
「ですが、捕縛も処刑も受け入れられません」
「逆らうのか」
「はい」
それに、王子の取り巻きの一人で、将来の王宮魔術士と言われている、魔術の天才少年ピエールが、眼鏡を指で押し上げて言った。
「それでは、わたしがお相手を……」
台詞を言い切る前に、魔術の天才少年ピエールが何かしらの術を受け、吹っ飛んで壁に叩きつけられていた。
それには、王子シャルルは叫んだ。
「卑怯だぞ!! まだ台詞を言い終わっていないのに」
『台詞とか言っているよ、馬鹿王子』
侯爵令嬢アルディエンヌは微笑んだ。
「相手が対峙する前に、倒せと師匠に教えられました。相手が準備を終えるまで待つ馬鹿がいるかと」
その言葉に慄然とする一同。
どんな師匠なのだ。騎士道精神はまったくない。ただ勝利のみを追う悪役か。
「卑怯者が!!」
王子の取り巻きの一人で、騎士団入団が決まっている、将来の騎士団長と言われたカール=ギランが目にも止まらぬ速さで剣を抜き、それを振り上げる。
瞬間、カールの踏み出した足の先に大きな穴が開き、彼は下の階に落ちていった。
あーという悲鳴の後に、いやな音が響く。
王子シャルルと男爵令嬢リルアナは顔を強張らせ、ついには手をとりあい震えだしていた。
「猪突猛進な敵には落とし穴をと、師匠の教えです」
だからその師匠は誰なんだ!!
会場の皆は心の中で突っ込んでいた。
侯爵令嬢アルディエンヌはゆっくりと王子シャルルと男爵令嬢リルアナに近づいていった。
「待て、アルディエンヌ、話し合おう。婚約破棄も今は待ってもいい」
「殿下が申し出て、私が受諾したので、婚約破棄は成立しています。ご安心ください」
アルディエンヌのワイン色の瞳が、どこか据わっているように見える。
しずしずと近づいてきたアルディエンヌ。もはや彼女を止める者はいないように見えた。
「殿下、どうかお幸せに」
え、もしかして、祝福してくれるの?
一瞬、微笑みそうになった彼の頬に、アルディエンヌの神速の拳が埋まり、王子の身体はキリキリと舞いながら、壁に埋まった。男爵令嬢リルアナは恐怖のあまり、泣き叫んでいる。
「ヒー、ヒー」
声にならず、ただ涙だけ流し続ける男爵令嬢リルアナを、アルディエンヌは嫣然と笑って言った。
「どうか殿下のそばにいつまでもいて下さい」
再度拳が振り上げられ、男爵令嬢リルアナも弾丸のように飛んで、王子の隣の壁に埋まった。
会場は音もなく、静まり返っていた。
侯爵令嬢アルディエンヌは颯爽と、パーティ会場から抜け出した。
瞬間、会場は悲鳴と怒号と混乱に包まれていた。
「……サカキ様の言った通りに、私、殿下を倒しましたわ」
『うんうん、アルディーは強くなったね。さすが俺のかわいい一番弟子!!』
「前から思っていたのですが、私以外にも、弟子はいるのですか」
『いないよー、アルディーだけだよ。でも、アルディーがうまくいったから、二番弟子を取ってもいいかな』
その守護霊の言葉に、ぼそりと侯爵令嬢アルディエンヌは呟いた。
「いやです。サカキ様の弟子は私だけです」
『かーわいーな、アルディーは。もしかして嫉妬? まだいない二番弟子に嫉妬?』
「……そうですわ」
侯爵令嬢アルディエンヌは足を止め、ふいに背後のサカキに向きかい、キッパリと言ったのだ。
「私、あなたが好きなのです」
『……え、マジ?』
「だって、あなただけですわ。私のそばにいつもいて、私を助けようとして、私に優しく教えてくれたのは。あなただけですわ。だから、私はあなたが好きで、あんな王子なんてどうでもいいのです」
だから容赦なく、神速の拳を叩きつけられたわけか。
本当に容赦がなかった。
『でも、俺……霊体だし……アルディーとは付き合えないよ。残念だけど』
「だから、私、旅に出ようと思っています」
『旅?』
「あなたの身体を作るなり、手に入れるなりの方法が必ずあるはずです。私は、それを手に入れて、あなたと……」
『…………アルディー』
二人の手が触れ合いそうになったが、霊体のため、スカッと通り過ぎてしまった。
アルディーのワイン色の瞳が、泣きそうに歪む。
それを見て、サカキは言った。
『あー、わかったわかった。旅に出よう。お前は最強にして最悪な悪役令嬢だ。きっと、なんとかなるさ』
「サカキ様」
『今までだってなんとかなったわけだしな』
後日
第一王子シャルル=クラウディーは廃嫡され、離宮にて幽閉となった。
男爵令嬢リルアナは爵位を取り上げられ、ただの平民として魔境に放逐されという。
不思議なことに、第一王子や取り巻きに、乱暴狼藉を働いた侯爵令嬢アルディエンヌは一切の罪に問われることはなかった。その理由は、王の元に届いた不思議な手紙によるものとされる。
その手紙には、侯爵令嬢アルディエンヌとその実家を罪に問うことなかれ。もし罪に問うものならば、王族すべてを呪い殺すとあった。同封されていた呪符は高度なものであり、王家の者達は震えあがったという。
だが、罪に問おうにも、それっきり、侯爵令嬢アルディエンヌは姿を消してしまっていた。
数年後、真紅の髪にワイン色の瞳を持つ美しい女勇者が立った。彼女はアルディーと呼ばれ、神速の拳の持ち主だった。その傍らには、口の悪い男魔術師が常にそばにいたとか、いないとか。