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宣言通り、圭はわたしがバイトを終える時間に合わせ、迎えに来てくれた。
「ルウ、久我クン来てるよ。お迎え?お迎えなの?」
みぃ子に肘で突かれ、チラリと時計に目を遣った。あと10分ほどで上がりの時間。
黒い髪に黒いコートを羽織るその姿は、夜の闇に紛れてしまいそうなのに、店の前で佇む圭はなぜか目立っていた。おかしい……。
「これから夜デート? いいないいなぁ~」
「どこにも行かないよ。うちまで一緒に散歩するだけだよ?」
「ルウんちにお泊りするデートだ!」
「お泊まりしないってば! しないけど……けど、お泊りってデートになるの……?」
「余裕でデートでしょ」
え? じゃあ昨日のアレ、デートになっちゃうの?
うちで一緒にオムライス、食べただけなんだけど。そのあと、泊っていったけど。
そう。結局昨日、圭はうちに泊まっていった。
朝起きて、床に転がっている圭を見て、驚いたら嫌な顔をされた。
「あれ、圭? なんでうちにいるの?」
「なんでって……流羽、昨日酒飲んですぐに寝ただろ?」
「う、そうだけど……帰らなかったんだ」
「おれが帰って、誰が鍵かけるんだよ」
うっ……。誰も、いません……。
「この家の鍵がどこにあるか、分かんないしさ。それとも、玄関開けっ放しで帰っても良かったの?」
「いえ、それは困ります……」
冷ややかな目で見られ、身体が縮こまる。
ああ、また、やらかしてしまった……。
「ちなみに。寝る前の事、ちゃんと覚えてる?」
「え!? また何か、変な事言っちゃった………?」
圭が妖しい笑みを浮かべた。
なに、今度は何言ったんだよ、わたし。
「あんまり聞きたくないけど、教えてよ。なに言っちゃったの、わたし……」
「覚えてないなら、いい」
気になるじゃないか………!
しかし、圭はわたしに教える気はないようだ。伸びをして立ち上がり、トイレに消えていった。
ああ、お酒って怖い。昨日も結局、記憶を飛ばしてしまったよ。
酒は百薬の長っていうけどさ、あれ、記憶喪失になる薬じゃないだろか。
「ほんとに来てくれたんだね、ありがとう」
バイトが終わり、手早く着替えを済ませ、外に出た。吐く息はまだ白くはないけれど、空気はすっかり冷えている。もう、夜間は上着が必要だ。
わたしの声に反応し、圭が顔を上げる。優しく微笑んで、携帯をポケットに仕舞い込んだ。
「本当にこんな暗い道歩いてたんだな」
しみじみと呟いて、圭がわたしの手を取った。大きな手は、冷んやりとしていた。
温めるように、ぎゅっと握り返してみる。
「この辺、街灯が少ないんだよね」
「……っ。分かっててこんな道、こんな時間に一人で歩こうとするなよ。危ないだろ」
「真っ暗になるから、星空が綺麗に見えるでしょ?」
今日も天気がいい。見上げると、カシオペア座が綺麗に確認できた。
ちょっぴりロマンチックな光景で、『夜デート』なんて言うみぃ子の言葉を思い出す。少しドキリとしていると、隣で圭があからさまな溜息をついた。うん、ロマンチック台無し。
「昨日の事、呆れてるの?」
「流羽のすべてに呆れてる」
ひどっ。まぁ、迷惑かけてばかりなので、何も言えないけど。
「缶チューハイたったの一本でノックダウンとか、今までどうしてたんだよ」
「今までって……圭と飲みに行くまで、まともにお酒飲んだ事無かったし……。ほら、先月やっとハタチになったじゃない? だから、飲み会や合コン行っても、ウーロン茶とかジュース飲んでたんだよね」
「これからも絶対、外で酒飲むなよ」
えぇ……。
「どうしても飲みたかったら、おれと一緒の時にしとけ。あんな簡単に倒れるとか、危険すぎる……」
圭の瞳が真剣で、気圧される。わたしが頷いたのを見て、圭がホッとした顔をした。
圭、心配してくれてるの……?
繋いだ手には、いつしか熱がこもってた。
あったかいな。
嬉しくなって、口元が自然と緩む。
「じゃあ、年内いっぱいは、飲みたくなったら圭のお世話になろうかな」
「年内いっぱい……?」
「約束の3ヶ月が、ちょうどその頃まででしょ?」
「ああ、そうだったな」
少し黙った後、圭がぽつりと呟いた。
「……別に、年明けても、酒飲むくらい付き合うけど」
わたしは笑って首を横に振った。
「大丈夫! それまでには強くなってるよ」
その頃にはもうきっと、圭には新しい彼女が出来ている。そんな人に、酔っぱらいの世話なんてさせられない。
部屋に泊まりに行くわけにも、泊らせるわけにも行かないよ。
「いーや、無理だろ」
「慣れって言うじゃない? 頑張れば、コップ一杯くらいなら平気になるんじゃないかな。ちょっと特訓しようかな」
「無理して飲むなよ……」
「……でも、いつまでも圭に迷惑かける訳にも行かないから。それより、ラザニアいつがいい?」
圭が何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「バイトのない日ならいつでも空いてるけど、どうしよう?」
「じゃあ、明日」
「分かった、じゃあ明日ね。オーブン機能がないと作れないから、わたしの家でね!」
「ん、授業終わったらいく」
もう一度、夜の空を見上げた。
瞬く星は潤んで見えて、やっぱりそれはロマンチックな光景で。
切ない気持ちが込み上げるような、綺麗な秋の夜空が広がっていて、見惚れたわたしは、暫くじっと見上げ続けていた。
◆ ◇
「流羽、今日も久我君来てるんだね」
「木乃ちゃん……」
あれから圭は、バイトが遅い日は迎えに来てくれるようになった。
代わりに、夕飯を作ってあげている。
わたしの方は、自分の分を作るついでだし、材料費も半分持ってくれるので特に負担はない。けれど圭は、結構大変なんじゃないかな。
「いや、ご飯作って貰えるの、かなり助かるから」
なんて言ってたけど……
結構、無駄な時間使わせちゃうし。
手だって、すっかり冷えこむくらい、外で待つのは寒いのに……。
差し出された手を握り返す。
せめて、温めてあげよう。ぎゅぎゅ。
「運動不足だし、夜のウォーキングしてると思えばいいから」
「そう?」
確かに、圭は普段、運動してなさそう。
サークルもやってないし、そもそもインドアな人だしね。
夜の街を2人で歩く、健康的なデートをしてると思えばいいのかな……。
……って。
圭は、デートだと思っていないよね。
危なっかしい幼馴染の面倒見てやってる、てとこかな?
ちらりと、隣を歩く黒ずくめの彼を見上げてみた。その横顔は相変わらず、嫌になるくらい綺麗だった。
「上手く行ってるみたいね。なんか嬉しいな、私」
更衣室で帰り支度をするわたしに、木乃ちゃんがにっこりと微笑んだ。喉がグッと詰まる。
「こんなの、今だけだよ」
「いやぁ……彼の様子だと、これからもお迎えしてくれそうだけどなあ」
いや、お迎えじゃなくて交際のほうなんだけど。
「だって流羽、久我君に愛されてるじゃない」
あ……愛されてるぅ?
「な……ない、ない、ない、それはない!」
「何慌ててるのよ。そんなに、全力で否定しなくってもいいじゃない。久我君から流羽にアタックしたワケでしょ?」
いいえ、否定する!
圭からアタック……そりゃそうとも言えるけど、あれはそういうのとは違うんだ……。
「それって、久我君がずっと流羽を好きだったって事じゃないの?」
「それこそない、ない、ない、絶対ない!」
「幼馴染なんでしょ?」
「そうだけど、………ずっと、圭は別の子と付き合っていたから」
そう、圭の隣にはいつだって、わたし以外の子が並んでた。
今までずっとそうだった。そして、これから先もずっと、そう。
今が少し、おかしな状況なだけで。
ずっとずっと、圭が選んでいたのは、わたしとは違う別の子で。
圭にとってわたしは、境界線の外の存在だったんだ。
黙っていると、何かを感じたのか、木乃ちゃんの手がわたしの頭に伸びた。
ぐしゃぐしゃと乱暴に髪を掻き回す。
「てててっ、痛いってば」
「流羽、昔は昔よ。大丈夫、過去に不安を感じる必要はないのよ」
「木乃ちゃん、木乃ちゃん。髪の毛、ぐちゃぐちゃになっちゃうよ」
「気にすることは無いわ。流羽、今の久我君を見てあげなよ」
今の、圭は。
わたしの隣にいて。一緒にご飯を食べて。バイトの迎えに来てくれて。優しく笑っていて。大きな手を差し出してきて、そして。
そうして、3カ月後には去っていく。




