沈んだ気持ちを
「ねぇねぇ、すっごいイケメンがいるんだけど」
「誰か待ってるんじゃない? さっきからずっといるよね、彼」
「彼女と待ち合わせかなぁ。いいなあ……って、流羽。あんたどうしたのよ、変な顔して」
「え……なんでもないよ、ない」
口元がひきつる。顔に作り物の笑みを貼り付けた後、心の中でひっそりと悪態をついた。
――――圭、来なくていいって言ったのに!
◆ ◇
「どこでバイトしてんの?」
アパートの前に到着し、カバンから鍵を取り出していると、圭がふっと訊ねてきた。
「隣駅の駅前にあるファミレス……って、来ないでよ?」
「なんで? 流羽のウエイトレス姿見に行ってやろうと思ったのに」
「恥ずかしいから絶対やだ!」
というか、バイト仲間に、圭のこと知られたくない……。
だって。付き合うって言っても、3ヵ月だけなんだよね?
アドバイスが欲しいなんて言ってたし、わたしは次に繋げるための練習みたいなものなのだ。この関係は、本気の関係なんかじゃない。3か月後にはサヨナラすることが決まってる、期間限定のお付き合い。
「分かった、食べに行こうかと思ったけどやめとくよ。バイト、夜まで入ってんの?」
「ううん、15時まで」
「じゃあ迎えに行くから、その後どこか行こうよ。おれ、今日は一日空いてんだよね」
「どこか行くのはいいけど、迎えには来なくていいからね。バイト終わったら連絡するよ」
「―――分かった。じゃ、また」
取り敢えず、この微妙な関係は、みんなには黙っておこう。
3ヵ月なんてきっとすぐだよね。彼氏なんて言っちゃうと3ヵ月後が気まずいし、隠しとこ。
みんな絶対騒ぐしね。
なぁんて、密かに思い巡らせていたのに。
バイトが終わる30分くらい前に、圭が店の前にやってきた。
見かけた瞬間、トレーを落っことしそうになった。はー、あぶないあぶない……。
ガラス越しに、圭の様子をチラチラと横目で見ると、OLっぽい女の人にナンパをされていた。さすが圭、これで3人目だよ。
「あの彼、また逆ナンされてるよー」
「かっこいいもんね。背も高いし、立ち姿も綺麗だし、すらっとしてモデルみたい」
圭がチラリとこちらを見、わたしの姿を捉えたようだ。にっと笑って軽く手を振ってきた。
慌てて回れ右して、厨房に向かう。
「あれ、流羽。あんたあの彼に手、振られてない?」
「え、そうだっけ? 気のせいじゃないかな。それより木乃ちゃん、3番テーブルにこれヨロシク」
食べに行くのは止めとく。
あのね、圭。そう言ってくれて、わたし、少しだけホッとしたんだよ?
だからお願い、店の前で待つのも止めて……!
わたしの願いも虚しく、圭は店の前から一歩も動かない。まぁそうだよね。ここまで来といて、回れ右なんてしないよね。
圭、すんごい目立ってるな。さっきから、バイト仲間の女の子達が騒いでるや。さーてどうしよう。このままだとあっさりわたしの知り合いだってバレちゃうよ。
うーん、どうやって合流しよう。
よし。いったん駅までダッシュしてから、素知らぬフリして電話をかけよう、そうしよう。
従業員用の出入り口は、店の方とはまた別になっている。厨房の奥に更衣室があり、そこから直接、店の隣に続く通路を使って外に出られるのだ。
だから気をつければ、圭に見つからず、こっそり駅に行けるはず……
「おつかれさまー」
15時になり、わたしと木乃ちゃん、みぃ子の3人が仕事を終えた。土曜のお昼時はとても忙しいので、もうクタクタだ。
更衣室で木乃ちゃんが、制服のチャックを下ろしながら声を上げた。
「ね~流羽、みぃ子。このあと遊びに行かない? 久々にカラオケ行こうよ」
「いいね~。今日は私も歌いたい気分! コノとシフト被るの久し振りだよね。ルウも行くでしょ?」
木乃ちゃんやみぃ子とカラオケ、行きたい!
ああでも、圭と約束してるんです……
「あー…ごめん2人共。今日は駄目なんだ。また今度行こうねっ」
そうだ。わたしは2人に気付かれない様に、一番にここを出て、駅までダッシュしないといけないのだ。
慌てて制服を脱ぎ、ブラウスに腕を通す。固くて小さなボタンが、焦ると非常に留めにくい。
なんでこんな、着替えるのに時間かかる服選んだんだよ、わたし……。
「え~。しょうがない、コノと2人で楽しむかあ。ルウ、そのブラウス可愛いね」
「ありがと、みぃ子。これ先週、駅チカで見つけたの。一目惚れして、ちょっと高かったけど買っちゃった」
「あれ? 流羽、今日やけに着替えるの早くない?」
「気のせいだよ、木乃ちゃん」
なんとかタッチの差で着替えを終え、2人を残して更衣室を後にする。狭い通路から大通りに出て、店の正面とは反対方向に足を向けると、背後からわたしを呼ぶ声がした。
「流羽!」
げっ。あっさり気付かれてる……。
「なに逃げてんだよ、流羽!」
気付かない振りをして、そのまま走り去ろうとした。そんなわたしの腕を圭が素早くつかむ。怒ってるのかな、ちょっと怖い声。
諦めて、愛想笑いを作りながら振り返った。
「あれ、圭……なんでここにいるの? 連絡するって言ったよね、わたし」
「なんでって、この方が合流早いだろ」
「そうだけど……」
「どこ行こうか。流羽、希望ある?」
とりあえず、ここじゃないところ!
わたしの心の叫びも虚しく、後ろから足音が二つ、聞こえてきた。
あ~…2人共、もう出て来ちゃったかぁ……。
「…あれ、流羽! そこにいるのさっきの彼じゃん。やっぱり流羽に手、振ってたんじゃない」
「ちょっとちょっとルウ、この人ルウの彼氏?それとも彼氏?やっぱり彼氏?」
木乃ちゃんとみぃ子のテンション、やばい。
圭がキョトンとした顔をして、2人とわたしを見比べた。
3つの視線が、痛い……。
「えっと、幼馴染なの!」
焦って声が上擦った。嘘はついていない……よね?
チラリと圭の顔を見ると、キリリとした眉を寄せ、わたしをジッと見つめている。ぱっと視線を逸らすと、圭がわたしの肩に手を掛けてきた。ぐいっと引き寄せられ、思わず肩がピクリと跳ねる。
「流羽の幼馴染で、彼氏の久我圭一です。2人とも流羽の友達?」
「うん……バイト仲間なんだ……」
どくん。どくん。
圭に抱き寄せられている。
おまけに、はっきり彼氏だと言われてしまった。
これ、誤魔化せない……。
「きゃー!やっぱり彼氏じゃん。初めまして、あたしは春川美似子。ルウと同じ、ハタチの短大生でっす。みぃ子って呼ばれてまーす」
「うわ、流羽にもついに彼氏が出来たのね! 私は夏川木乃香、流羽とは高校からの付き合いです。よろしくお願いします♪」
あぁ……バイト先のみんなに隠すの、もう無理。
全員に知れ渡るのも時間の問題だな。
引きつった顔のわたしとは対照的に、圭は綻ぶような笑顔を見せた。スマイルはうちの店でもゼロ円だけど、圭のはお金が取れそうだ。
って圭、ちょっと愛想振りまきすぎだよ。木乃ちゃんもみぃ子も、更にテンション上げたじゃない!
「そうだ、あたし達これからカラオケに行くんだけど、久我クンも一緒に来ませんか~? ねえルウ、そうしよそうしよ~」
「えー!なに言ってるのみぃ子、ムリムリムリ!」
「いいじゃない、流羽にも久我君にも、聞きたい事や言いたい事がまだまだあるのよね。それともお邪魔だった?」
「今日はちょっと予定があるんだよ……ね?」
これ以上、なにも追及されたくない。
話を合わせて!
ジロリと圭に念を送ると、さすが幼馴染。わたしの意図をきちんと汲んでくれた。
「おれは構わないよ。今日はノープランだったし、みんなで騒ぐのもいいね。流羽のバイト中での失敗談でも楽しく聞かせて貰おうかな」
「圭~~~!」
ニヤリ、と、圭が意地悪な笑みを浮かべている。
きちんと汲んだ上で、裏切ったな~~~!
その後、ノリノリの3人に、わたしはカラオケへと連行されるのだった。