milk
また夜明け前に目を覚ます。
数少ない服の中から適当に動きやすい服を選び
仕事場に向かう。
古びた集合住宅をでると、町は霧に包まれていた。
これも毎日のことである。
職場に向かうといつもと同じように牛乳を自転車につみ、
いつものルートで牛乳を運ぶ。
直された道はいえ、ガタガタと後ろかごの牛乳瓶をゆらす。
しかし、それももう慣れていた。
何しろこの仕事を始めてすでに半年以上が経とうとしているから。
すべての牛乳を運び終わり、雇い主に今日の給料をもらう。
ユーリはまだ12なので、あまり良い金にはならいない。
しかしないよりましなのだ。
「ふざけるのもたいがいにしろっ!!!」
ユーリの視線の先には少年に罵声をあげる雇い主がいた。
少年は半月前ここに転がり込み、ユーリの上の部屋に住んでいた。
どうやら彼はまた、自転車を倒し瓶を割ったらしい。
しかし、彼には反省の色など見えない。
まず、彼に感情があるのかさえ分からない。
なぜなら、ここで働く子供はたいてい両親から捨てられたか
流行病で死んで孤児になったかのどちらだから。
そのショックで言葉を忘れたり、感情を失ったりするのは珍しくない。
ユーリはそんなダリアを気にもせず
家へ帰った。それが日常だから。
しかし、今日は違った。
その日の夕方ダリアはユーリの部屋を訪れ
裁縫針を貸してくれ、と頼んだ。
もともと貧乏人にとって針は大切なものだが、仕方なく数少ない針を一本貸した。必ず返せと念を押しながら。
次の日の朝。
悲劇は起こった。
何事も無く仕事を終えたユーリが帰宅すると、自分の部屋の前ででっぷりと太った刑事と長細い警察官が自分を待っていた。
刑事はユーリに気がつくと、軽い挨拶をして
聞きたいことがあると、たずねてきた。
「この、住宅の裏で殺人がありましてね。」
「はい。」
「それが奇妙なんです。」
「はい。」
「手足と首から上はあるのですが胴体が見つからないのです。」
「はい。」
「それで、昨晩何か聞きませんでしたか?」
「なにもないです。」
「そうですか…」
刑事は肩を落とし、背高のっぽの警察官を連れて帰っていった。
次の日
仕事終わりまたあの刑事がユーリの部屋の前にいた。
また軽い挨拶を済ますと、刑事は問うた。
「昨晩、また女性が殺されましてね。」
「はい。」
「今度は首だけが見つからないのです。」
「はい。」
「顎から上、鎖骨から下は残っているのです。」
「はい。」
「昨日の夜何か聞きませんでしたか?」
「何もないです。」
「そうですか…」
肩をがっくり落とし刑事は、小太りの警察官を連れて帰っていった。
次の日
またあの刑事がいた。
その次の日も
そのまた次の日も
そのまたまた次の日も
彼の話によると
体のパーツは変なところが無いらしい。
この間は頭蓋骨
その後は、両腕両足、両手首、頬、両足、そして最後は薬指。
そして最後に刑事は真剣な顔をしていった。
被害者に共通点がないと。
ユーリはあまり気にせず刑事の話を受け流していた。
自分には関係ない。
もしかしたら、両親がいないゴミのような私が犯人だと思っているのかしら?
お金が無いから、人体を売っているとか思っているの?
そんなことできるわけが無い。
しかし、人を殺すところを見慣れたユーリには簡単なことかもしれない。彼女の両親は葬儀屋をやっていたから。
両親は解剖好きでこの仕事をやっていた。
死人を解体しても親族にはばれない。
棺桶に入れて受け渡すから。小さい頃からそんな両親を見ていた。
しかし、両親は半年ほどまえに流行病で死んだ。
大量に吐血し、ユーリの目の前で逝った。
いまでも、それがゆめにでてくる。
刑事はユーリに、なんかなかったですか?と聞いたが
返事はいつもの返事だった。
次の日、仕事場では珍しくダリアが怒られていなかった。
ユーリはダリアに声をかけてみた。
「いつ、針を返してくれる?」
「ちょっと待っていて。あと少しだから。」
「何を縫っているの?」
「大切なもの。」
ダリアにも両親がいないことは、ユーリも知っていた。
たまには人に合わせるのも楽しいと、
家路をともにすることにした。
「ねぇ、あなた素敵な栗毛をしているのね。」
「ありがとう。母親譲りなんだ。」
「素敵な目。」
「こんな色がいいの?」
「うん。」
「君のほうがきれい。僕の母と一緒。灰色の目。」
「お母さんどうしたの?」
「死んだ。父さんに殺された。僕の目の前で。」
「あたしも同じようなもんだよ。」
「同じだね。」
「同じだね。」
気がつくと家の前、部屋の前にいた。
「お話できてよかったわ。」
「こっちもだ。」
「また明日。」
「うん。仕事場で。針早めに返すから。」
「うん。」
「いつまでも、その優しい目でいてね。」
ダリアはそういって、ユーリの部屋を後にした。
その日の夕方
またあの刑事が尋ねてきた。
また違う警察官を連れて…。
でっぷりと太った刑事は目の前に座っている。
なぜ、ユーリのところに通うのかは今だ不明だ。
表情を見ると深刻そうな顔をしていた、
それにいつもはドアの前で済ます話も今日は部屋の中。
仕方なくユーリは刑事の前に紅茶をだした。
自分でもあまり飲む機会などないので、半分以上淹れ方を忘れていた。
刑事は礼を言い、一口飲むとそれ以上口にはしなかった。
「さて、ユーリさん」
「はい。」
「今回の殺人はちょっと違うんです」
「はい。」
「殺されているのですが、なにも無くなっていないのです」
「はい。」
「しかし、目が抉られ。握りつぶしてあり地面に落ちているのです!」
「はい。」
「あなたは、どう思いますか?」
「………分かりません。」
「何故ですか!?」
「私は、そんなことしていないのであなたの質問にはっきりお答えすることが出来ないのです。」
顔の表情を変えずに淡々と話した。
目には迷いが無く、まっすぐ刑事の目を見ていた。
その視線に刑事は寒さを覚える。
「そ…そうですか…」
「はい。」
「では、…今日はこれで失礼いたします」
「はい。」
逃げるようにドアへ向かい、勢い良く開ける。
しかし、前に行く足が止まった。
後ろからユーリが刑事の服をつかんでいたので、それ以上前に進むことができなかったのである。
ユーリは刑事に聞こえるように言った。
―きっとね さびしい人なんだよ? 許してあげてね。。
それを聞いた刑事は、気味悪がり警察官をおいて一目散に逃げていった。
テーブルの上には冷え切った紅茶のカップが残っていた。
また、朝がきた。
牛乳配達
刑事の話
夜が来る
それを何度繰り返しただろうか?
いまだに犯人は捕まらず、証拠さえつかめない。
しかし、分かっているのは…
目玉が抉られ、つぶされ落ちていることぐらいだった。
また、朝が来た。
今日の雲行きは怪しい。
ユーリの後ろでは瓶が悲鳴をあげながらゆれていた。
店へ帰るとダリアが怒られていた。
主人の機嫌が悪いらしい。
彼は顔ひとつ変えなかった。
ユーリが帰ろうとすると
ダリアが後ろからついてきた。
声はかけてくれない。
ひたすら歩調を合わせついてくるだけ。
集合住宅の前に立つと、ねぇ。と
小さな声が聞こえた。もちろん後ろにはダリアの姿。
「なぁに?」
「僕の部屋きて?針。返すから。」
「うん。」
ダリアはユーリの上の階。
ぎしぎしとなる階段を二人はあがっていった。
ダリアの部屋は殺風景。
ユーリの部屋に似ていた。
座って。と言われ、ユーリは言われたように椅子に座った。
数分後、ダリアは紅茶を出してくれた。
一口すする。明らかにユーリより上手なのは一目瞭然だった。
「で、針は?」
「うん。はい。」
受け取った針は、銀色の輝きを失っており
もう、布を通すことはできないような先端になっていた。
「なにに使ったの?」
「その話で、ユーリに相談があるんだ。」
ダリアはテーブルの上にスプーンをだした。
首を横にかしげるユーリ。
「あのね、ユーリの目が欲しい。両目が。」
言っていることが、すぐに理解できずに
ユーリは呆然としてしまった。
そして、ダリアは言った。
―これで 完成だもんね
がたんっ!
椅子が倒れる。
ダリアはユーリから目を離さなかった。
そのとき、ユーリは気がついた。
この部屋の異様な臭い、ベッドに横たわる物体から放たれるものであった。
「あと、少しなんだよ?お願いユーリ。お願い。」
「ダリアは…何をしたいの?」
「お母さんに会いたいだけ。」
ギシリ…床が鳴り距離が詰まる。
「お母さんに、会いたい。もう一度あの、優しい目を見たいだけ。
でもね、お母さんと同じ目なんて誰もいなかった。
顔の形や、腕、脚、髪。全部見つかった。
でもね、目だけは…目が見つからない。」
ユーリは視線を物体に戻した、
物体を良く見ると、細かく縫われ、合わした痕が残っている。
ダリアは虚ろな目でユーリとの距離をつめてきた。
ユーリは思った。やっぱりそうだったんだね。と
ユーリはダリアに走りより、押し倒した。
そして、手のスプーンを無理やり横取り放り投げた。
金属音を奏で、スプーンはベッドの下に。
大きな目でユーリを見つめている。
ダリアも大きな目をしている。
ユーリはダリアの上に覆いかぶさった。
「ごめんね、ごめんね。いたかったよね?いきなり床に倒れたら痛いよね?」
「………」
「さびしかったよね?こわかったよね?いたかったよね?」
「………」
「もういちど、じぶんにえがおをむけてくれるひとが ほしかったんだよね?」
「………うん。」
「あの、おかあさんのあったかいめがみたかったんだよね?」
「うん。」
ダリアはユーリの体に手を回し、ぎゅっと抱きいた。
二人の頬はぬれていた。
「ユーリに…初めて会ったとき。母さんが生きていたんだ、って思った。だから、僕は母さんを作った。もう一度あの目で僕に笑って欲しかっただけ。」
それを言うと、二人は盛大に泣き出した。
今までの悲しみ、周りの視線。
人間と見てくれない世間。
ただただ…怖かった。
恐ろしかった。
なきたかったのになみださえでなかった。
夕方、雨は上がり…
きれいな夕日が二人を照らしていた。
きらきら光る栗毛と
夕日を写している灰色の目。
自分たちの手には自転車。
いつも乗りなれている自転車。
後ろには牛乳ではなく、荷物だった。
「もぅ、じゅうぶんだよね?」
「うん。もうじゅうぶんだよ。」
自転車は動く。
直されたのに道の悪い道を通りながら。
もう、不幸になんてならない。
いや…なれない。
だって。
ユーリのお母さんそっくりの栗毛のダリア
ダリアのお母さんそっくりの灰色の目のユーリ
もう、ひとりじゃないからね。
milkはお母さんの香り
end 20080312