魔女は小鳥を慈しむ
村はずれの森には、恐ろしい魔女が住んでいます。
願いごとがあるのなら、魔女を訪ねてごらんなさい。
願いと引き換えに、大切なものを差し出す覚悟があるのなら。
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森の魔女に会いにいってはいけません。
それは、この村に住む子どもたちが親から最初に教わる決まりごとです。森に生える薬草や実る果物も、とって良いのは南側だけ。魔女が住む森の北側にはけっして入ってはいけないのです。
魔女にはたくさんのうわさがあります。
お姫さまの声と引き換えに、悪い竜から国を守っただとか。
王さまの若さと引き換えに、氷の国に花を咲かせただとか。
聖女さまの瞳と引き換えに、砂漠に雨を降らせたのだとか。
どれもこれも夢物語のような話です。
誰もが魔女を恐れておりました。
誰もが魔女の魔法を恐れておりました。
けれど同じくらい、誰もが魔女の魔法に憧れていたのです。
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冬のある日のことです。
幼い少女がひとり、森の魔女に会いにいきました。
母親は料理をするかたわら繕い物をしていましたし、父親は町へ出稼ぎに行っていました。姉はまだ小さい妹のお世話をしていましたし、兄は学校に出かけていました。
少女の相手をしてくれるひとは誰ひとりいませんでしたから、家を抜け出すのは、思ったよりもずっとずっと簡単なことだったのです。
魔女の家はすぐに見つかりました。少女が思い描いた通りの、今にも壊れそうなおうちです。扉を叩けば、不機嫌そうな顔の魔女が現れました。白髪混じりの枯れ草のような髪を揺らしながら、じっと少女を見つめます。魔女は少女を追い返すことはなく、そのまま家に入れてくれました。
冬だというのに部屋の中には花があふれていました。
まるで少女が来ることを知っていたかのように、テーブルの上には湯気の立った紅茶がふたつ。クリームがたっぷりとはさまれたクッキーも並べられています。
少女が座った椅子は、そのまま眠ってしまいそうになるくらい柔らかいものでした。暖炉の火も赤々と燃えています。見た目は今にも崩れそうなあばら家だというのに、ここは少女の家よりも暖かく、不思議なほど居心地が良かったのでした。
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恐ろしいと評判の魔女は、ぴんと背すじを伸ばして腰掛けていました。少女の知るおばあさんとは大違いです。絵本のお姫さまのように、気取った手つきで紅茶の入ったカップを持ち上げます。
「一体、何をしにやってきたんだい」
「あたしは、知りたいの。母さんがあたしのことを本当に愛しているのかを。魔女の魔法を使えば、本当のことがわかるんでしょう?」
「まったく馬鹿な娘だこと。愛情なんて、いちいち秤ではかるもんじゃなかろうに」
魔女は紅茶に口をつけました。少しばかりお茶が濃かったのでしょうか。魔女は顔をしかめて、カップをお皿の上に戻しました。
少女の髪は、丁寧にひとつに結われています。
少女の体は、こどもらしく丸みを帯びています。
少女の服は、つぎはあるものの清潔にされています。
少女からは、母親のあたたかさを感じます。それでも少女には足りないのです。お腹の空いた雛鳥は、もっともっとと鳴くことしかできません。
「魔女の贈り物なんて、そんなものありゃしないさ」
「でもお姫さまは、魔女に魔法をかけてもらったのでしょう?」
ここで追い返されてはたまらないと、少女は粘ります。歌声を捧げたお姫さまと竜と戦った強い騎士さまのお話は、みんなが知っている有名な物語なのです。
「魔法を贈ってもらえるのは、物語のお姫さまだけさ。魔法が使いたいならちゃんとお代を払わなくっちゃならない。お姫さまでも、王様でもね。そうして、お代と魔法は釣り合わないっていうのが世の道理ってもんさ」
魔女は仕方がなさそうに話します。どうやら魔女は魔法をあまり使いたくないようなのです。村人にふっかけてくる町からの行商人に比べたら、なんと魔女は親切なのでしょう。ますます少女は、魔法をかけてほしくてたまらなくなりました。
「だいたい魔女なんかに物を頼むくらいなら、お前の口でそのまま母親に聞くほうがよっぽどいい。わたしを愛しているのかと。わたしは大事な娘かと。わかったならさっさとお帰り」
魔女は、どこか遠くを見つめながら言いました。魔女の魔法は万能ではないのでしょうか。けれど、自分で聞くことができないから、魔法に頼るのです。魔法でしか聞けないことだって、世の中にはあるのです。少女は、蜂蜜色の髪をいじくりながら答えます。
「母さんは、あたしの話なんて、ちっともきいてくれやしないんだもの。あたしがいなくなったって、きっとわかりゃしないんだわ」
それに、聞いてみて笑い飛ばされたら悲しいもの。くだらないことだと言われたら泣いてしまうもの。ぽつりとつぶやいた少女をなぐさめるように、壁からするするとヤモリが降りてきました。
魔女にはよくよくわかっておりました。
愛情という目に見えないものを確認したがる人間は、結局のところ他人に何を言われたところで納得なんてしないのです。かつて魔女を訪ねてきた愚かなお姫さまもそうだったと、魔女はそっとため息をつきました。
そうして魔女は、少女に魔法をかけてやったのです。
窓の外では、きらきらと粉砂糖のような雪が降り始めました。
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あくる朝早く、少女の母親が魔女の家にやって来ました。胸には、粗末な木箱を抱えています。耳をすませば、小鳥の鳴き声が聞こえてきました。
「魔女さま、魔女さま。どうぞお願いです。娘をもとに戻してやってはくれませんか」
母親は、娘が消えたと泣き出しました。靴は部屋の中に置きっぱなし。この季節ですから、靴を履かずに外へ行くことなどできません。昨日からの雪のおかげで、外は一面の銀世界。それなのに、家の周りにはあしあとひとつないのです。その代わりに母親は、少女が使っていた寝台の上で、一羽の金糸雀を見つけたのでした。
「ほら見てやってくださいよ。黄金色した小鳥の羽の、なんと見事なこと。本当にあの子の髪の色にそっくり。あの子は歌を歌うのが何より好きだったから、金糸雀に姿を変えたに違いありません。魔女さま、どうぞ後生です。娘をもとに戻してやってください」
そう言って、少女の母親はまたほろほろと泣きました。雪の中を歩き回ったせいでしょう、母親の足元は泥と水ですっかり汚れています。
「その小鳥を娘に戻せなんて言われても、そりゃあ無理な話さね」
「ひどい、ひどい。こんなのあんまりじゃないか。返しておくれ。わたしの可愛いあの子を返しておくれよ」
とうとう魔女は呆れたような声を出しました。気がつけば、黄金色をした金糸雀の羽は、いつのまにやら枯れ草のような地味な色に変わってしまっていました。それでも金糸雀は、楽しそうに歌い続けます。
「だったらどうして、言ってやらなかったんだい? お前のことが大切だと。誰よりずっとお前を愛していると。こんなことになってから言うのなら、最初から言ってやれば良かったじゃないか」
嘆く母親を尻目に、魔女はゆっくりと紅茶を飲みました。今日の魔女は、ちんまり椅子に座った猫にどこか似ています。膝を抱えてしゃがみこんだ、幼い子どものよう。
「その金糸雀は置いていくがいいさ。ほらちょうど、鳥かごがそこにあるだろう。時々ここに来て、お前の言葉をせいぜい聞かせてやるんだね」
鳥かごのそばを、小さなヤモリが逃げていきました。壁を登ってあっという間に見えなくなります。
ふわりと白髪混じりの蜂蜜色の髪が揺れました。それは、お日さまのような優しい色です。魔女は、泣きわめく母親をじっと見つめています。その顔は子どもを失った母親を哀れみ涙しているようにも、嘲り笑っているようにも見えるのでした。
「まったく、馬鹿な娘だこと」
魔女はそう言って、紅茶をひとくち飲みました。今日もやっぱり紅茶が濃かったのでしょうか。魔女は顔をしかめて、こほんと小さな咳をしました。
これからも愚かな人々が魔女のもとを訪ねて来るのでしょう。願いごとが叶うかどうか。それは、魔女にもわかりません。
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村はずれの森には、恐ろしい魔女が住んでいます。
願いごとがあるのなら、魔女を訪ねてごらんなさい。
願いと引き換えに、大切なものを差し出す覚悟があるのなら。