第85話 胸のモヤモヤは
二学期の始まりは想像以上の騒がしさから始まりました。
その中心はもちろん宗君です。
それは当然でしょう、と思います。
一学期の宗君からは想像もつかない変貌ぶりですもん。
長い髪に隠されていた素顔が、突然顕になったのですから。しかもそれが物凄くカッコ良いいと来れば、この騒ぎも頷けますよね。
初めてのデートの日、最初にイメチェンした宗君を見た時の事は昨日の事のように覚えています。
待ち合わせからトラブルに巻き込まれて、だけど宗君が直ぐに助けてくれて。凄くカッコ良くて見惚れてしまったのは言うまでもありません。
それに……宗君に可愛いって言って貰えました。
あの時は跳び跳ねたくなるくらい、嬉しくて嬉しくて。
思い出すだけで幸せになれます。
未だにスマホの待受を見てにやける始末です。
先程唯ちゃんには洗いざらい白状させられました……。
視線には驚いてしまいましたが、教室へ入った時の皆の反応には、わたしがなんだか嬉しくなってしまいました。
女の子達が宗君をカッコいいと口を揃えて言うのですよ。
わたしの好きな人がそのカッコ良さを認められたような気がして。自分の事のように自慢気になってしまいました。ダメですかね?
視線から逃げる様に宗君の影に隠れて教室の反応を聞いていましたが、自分の頬がニヤけてしまうのが分かります。
ちょっと恥ずかしいですよね。
わたし達が席に着いた瞬間には何度目かの喧騒が教室を包みました。
そこでようやく宗君なのだと気付いたのでしょう。
驚いた様子でこちらを伺う生徒で溢れていました。
隣の宗君を見ればなんだかげんなりとしていました。
誰だってこれだけ注目されればそうなりますよね。
もしわたし一人だったら倒れちゃうかもです……。
宗君、頑張ってね!
なんて、心の中で応援しました。
ホームルームまであと少し、といった頃。
しばらくこちら(主に宗君)の様子を伺っていたクラスメイト達ですが、数人の男女が宗君に話しかけて来ました。
クラスメイトの中でもとりわけ気さくな人達だと思います。わたしがクラスを見ている感じで、ですが。
その人達の後ろに唯ちゃんが居ることにわたしは気付きます。
目が合うとなんだか苦笑いしていました。
宗君について何か聞かれていたのかもしれませんね。
「おはよう、沢良木。いやぁ、ずいぶん変わったから驚いたよ」
「ホントホントー! 凄い印象変わったね!」
「そうか? 髪切っただけだぞ?」
上野賢人君と言う男子と佐々木綾さんと言う女子が宗君へ話しかけます。
名前は知ってますが、わたし自身は数える程しか話した事は無かったです。わたしなら緊張して上手く喋れないでしょうけど、さすが宗君です。全然狼狽える様子もなく受け答えしていきます。
やっぱり宗君は凄いな……。
わたしも頑張らなくちゃ、と思うのです。
さりげなく会話に入ろうとタイミングを見計らいます。
「ぁ、ぇ……と……」
だけど。
その会話の輪に入りたい。わたしも入れて欲しい。
その思いは結果して口を出る事無く、胸の中で霧散するばかりで。
あとほんの少しだけ、その勇気を出せなかった自分が不甲斐なくて。
談笑する宗君を横目に意気消沈するしかありませんでした。
「愛奈ちゃん」
唯ちゃんはわたしの様子を見ていたのでしょう。わたしの肩に手を置き、励ます様に微笑む唯ちゃんになんとか笑みを返しました。
「大丈夫だよ唯ちゃん。これくらいじゃへこたれないよ!」
「ああ、応援してる」
よしっ。
目標は……少しでもクラスメイトとお喋り出来るように頑張る!
でも……とりあえず今日は宗君とお昼を一緒に食べたいですね。今日も頑張って作って来たんですよ。
宗君に食べて欲しくて。えへへっ。
後でこっそり宗君を誘おうと、わたしは心に決めるのでした。
ホームルームが始まり、高橋先生が宗君を見て開口一番、「あ、沢良木君髪切ったんだねー!さっぱりして良いねー!」なんて迷い無く言うものだから、「「「桜子ちゃんなんで分かったし!?」」」とクラスが騒然となる事態も発生したりしました。
わたしでも一瞬では分からなかったのに、高橋先生が直ぐに分かっちゃったのは何だか悔しかったです。モヤっとしちゃいます。
……やっぱり二人は仲良いのでしょうか?
むぅ。
わたしも負けませんっ。
―――――
体育館に全校生徒が集い、二学期始業式が始まった。
非常に強力な睡眠導入作用のある校長の有難い念仏が体育館に響き渡る。
何故かこの校長、生徒達を立たせたまま話しを始めるものだから、中々に疲れる。今まで入学式から始まり各集会でその洗礼を受けていた。今日も例に漏れず直立不動の拝聴スタイルである。
しかし、立っていようとも校長の睡眠導入作用は侮れないもので、直立不動で惰眠を貪り始める猛者も現れていた。そう言った猛者達は生活指導担当のゴツい教諭からの叱責が待ち受けているので案外緊張感はあるかもしれない。
一方、この俺は校長程度の念仏には屈するような柔な根性は持ち合わせていない。日本男児たるもの根性は日々鍛え上げる必要があると俺は思う。
根性の根元は心。心を鍛える手段として悪辣な環境下に置くばかりで成長が見込めるだろうか。否。心には適度な栄養と癒しを。そのさじ加減がゆとり世代には足りないと思うの。俺の心の癒しといえば全俺満場一致で斉藤さんな訳でその天使たる存在は他の追随を許さずその愛らしさは天上天下唯我独s……。
「………zz……っと」
おっと俺としたことが、とんだミステイクだぜ。
俺を微睡みの縁へと誘うとは校長め中々やりおる。
駄菓子菓子、もといだがしかし、俺は負けるわけにはいかないのだ。なんたってこの先に心の癒しが待っているのだから。
俺は念仏をBGM代わりに聞き流しながら頭の中では先程のホームルーム中にあった出来事を思い返していた。
――お昼ご一緒しませんか?――
俺の机に乗ったのはいつか見た覚えのある猫付箋。
可愛らしい付箋から顔を上げるとこちらを見ている斉藤さんと目が合った。
口パクで「どうかな?」と首を傾げ聞いてきた斉藤さんに思わずキュンとしちゃう。
首を傾げるに合わせ、後ろに結った髪が肩からサラサラと滑り落ちる。大いに美少天使具合を発揮していらっしゃる。
ぐうかわいい。
――もちろん――
俺は早々に猫付箋へ了承の返事を書くと斉藤さんへとお返しした。
斉藤さんからのお誘いを俺が断る筈がないだろうに。
例え如何なる困難があろうとも駆けつける所存である。逆に困難がおとといきやがれ。
にこーっと嬉しそうに微笑む斉藤さんに俺はまたもやキュンとしてしまうのだった。
校長の念仏が終わりを告げたと共に俺の意識も現実へ戻る。
アナウンスで座るよう、指示が飛んだ。
そのアナウンスに直立不動から解放される安堵のため息やざわめきが体育館全体から漏れていた。
ウチのクラスも例に漏れず幾分かざわついていた。
ふと、床に座ると同時に俺の耳がある会話を捉えた。
「なあなあ、斉藤の事どう思う?」
「唐突だな。……斉藤? 2組のか?」
「当然だろ」
「当然って……。それにどうって言われてもなぁ」
それは俺の斜め前。隣のクラスである3組の男子生徒二人の会話であった。
当然彼らの名前等は知らないが、あろうことか話題はヒーリングマイエンジェル斉藤さんの事ではないか。
俺の頭の中ではお昼の約束を反芻していた所で、実にタイムリーである。
よくよく考えると俺は誰かの口から斉藤さんの話を聞いたことが殆ど無いことに気が付いた。
普段から彼女と共に行動することが多いので、第三者からの目線となると気になると言うもの。
俺は聞き耳を立てその会話に集中する。
「ようは俺が言いたいのは2組の斉藤可愛くね? って話だよ」
「あ、なるほど」
「お前察し悪いなぁ。なぁ、それでどうよ? 俺、今朝見かけたんだけどよ、髪結んでる所初めて見てさ思わずときめいちまったぜ」
「あ、俺も見たかも。それに天然の金髪だったか? それだけで金髪好きには高得点すぎるよな」
「ああ。俺金髪好きになりそうだわ。それにさ、最近…つっても一学期の終わり頃だけど、前に比べて大分明るくなった感じするんだよな」
「ああ、分かる。廊下とかすれ違う時とか笑ってる顔とか可愛いよな」
「そうなんだよなっ!」
「…………」
二人の会話を聞いていて、お前ら分かってじゃないかと同意に頷く。
斉藤さんの笑顔の癒し効果は絶大なものがあるからな。
俺も何度あの笑顔に助けられたことか……。
しかし。
……なんなんだこの胸のモヤモヤは。
最初は好奇心で第三者からの斉藤さんを聞きたくて聞き耳を立てていた。
だけど今俺の胸を満たすのはモヤモヤとした何とも言えない不快感で、聞くのでは無かったという後悔に苛まれていた。
俺は一体どうしたのか。
斉藤さんを誉めているにも関わらず、妙にあの二人が憎たらしかった。
聞きたく無いなどと思いながらも、続きを話そうとする二人に俺は再び聞き耳を立ててしまうのだった。
だが。
「うん、うん。あーそれ超わかる! それで―――」
俺の聞き耳を妨害する甲高い声。
俺の隣、3組の列に座る女子生徒が友人と語らう声だった。体育館のざわめきが大きくなるにつれて、自然と声も大きくなってしまったのだろう。
普段なら仕方ないと気にしない所だが、今は聞かなくてはならない会話があるのだ。
俺は無意識に隣の女子生徒を窘めていた。
「こら、もう少し声小さくね?」
しー、とジェスチャーを交えるサービスっぷり。普段の俺ならば間違いなく知らないヤツにこんなことはしない。
それだけ俺の意識は前の男子生徒に向いていたんだろう。
「え?…………あっ、はい……ごめんね……?」
突然の叱責に驚いた顔をしていたが、すぐに顔を赤くすると俯いてしまった。
俺はそんな様子に気を配る余裕は無い。
今も尚、前の男子どもは会話を続けているのだから。
その会話に斉藤さんが含まれているとしたらどうしてくれよう。
しかし、俺の行動は逆効果であった。
「え、ミサキ知り合い? カッコいいね!」
「ほんとだ、カッコいいんですけど!」
「ねねっ、紹介してよっ!」
「え、そ、そんなんじゃないってばっ!?」
「そんな恥ずかしがらないでよー!」
「ほらほらー!」
輪をかけて喧しくなってしまった隣に内心舌打ちをする。
全くもって3組男子達の会話が聞こえない。
かといって姦しい隣に再び注意するのも気が進まない。また騒がれそうで嫌だ。
五月蝿い隣はこの際捨て置くとしよう。
そう決めた俺は、なんとか会話を拾おうと試みる。
そうして俺の耳が断片的ではあるが、ようやく会話を捉えた。
「俺、……の昼休み……声かけ…………かな。……中庭で見かけ…ことある……よ。………昼飯……………嬉しいんだが」
なんだと。
今の会話を鑑みるに昼休みにアイツはラブリーエンジェル斉藤さんへランチのお誘いをしようってわけか?
甚だ聞き捨てならん事態だぞ。
マジ許せん。
既に斉藤さんとはお昼の約束をしている。
万が一にも斉藤さんが俺との約束を反故にすることは無いだろう。それくらいにはあの子のことは分かる。
よって、俺が今の会話を気にする必要性など何処にも無いのだが、いかんせん胸中のモヤモヤは一向に晴れる気配は無い。
近くに来た教師が尚も騒ぐ女子達を注意している事にも気付かず、俺は男子生徒達の会話に悶々とするのだった。
俺と斉藤さんのランチタイムは誰にも邪魔させねぇっ!!
そんな思いが胸中を埋め尽くしていた。
「だけど、お前それは無理だろ……」
「そうなんだよなぁ……」
宗の苦悩も知らず会話を続ける3組男子達。
その表情からは諦めに似た感情が窺える。
それは何故か。
「だって、斉藤ってあの男子といつも一緒だもんな」
「ああ。あの背高いヤツな。髪長くてあんまし顔見たこと無いけどさ。やっぱりイケメンなんかな」
「アイツと一緒の時なんだよな。あの可愛い笑顔してるの」
「そうなんだよ。斉藤がどう思ってるか見れば分かっちまう………って随分お前詳しいのな……まさか?」
「は、はぁ? なんの事だ? そ、そんなことよりあのノッポが居なければお前にもチャンスが―――」
「なんだよ急に固まっ……ひぃっ!?」
宗を探そうと小さく首を回す一人と、その視線を追うもう一人。二人の動きは次の瞬間止まることになる。
端正な顔立ちをした男子生徒の射殺す様な視線が自分達に向いている事に気付いたから。
二人はその視線に気付かないフリをして、そっと視線を外した。
そして、声を潜めお互いに大いに狼狽えた。
「……なんだよアイツっ!? めっちゃ怖えぇよっ!? 誰だよ!?」
「俺に聞くなよっ、俺だって知らねぇよ!? あれ2組だよな? あんなヤツいたか?」
「俺もわかんねぇ。俺らの話聞いてたんかな……?」
「それで、睨むってことはアイツも斉藤を狙ってる、とか……?」
「「…………はぁ」」
「斉藤を狙うのは俺らでは荷が重いかもしれない……」
「……だな」
揃ってため息を吐くと、斉藤愛奈攻略を今度こそ諦めるのだった。
後日、髪を切りイメチェンした宗と愛奈が仲睦まじく歩く姿を見た二人が、始業式の時睨んで来た男が宗本人だと気付き、恐怖に震えたのはまた別のお話。
お読み頂きありがとうございました。
上野君佐々木ちゃんはモブでござい。特に登場予定はありませんw
次回もよろしくお願いいたします。




