第28話 俺の天使
長らくお待たせしております。
よろしくお願いいたします。
「愛奈ちゃん、具合はどう?」
「ん、もう大丈夫だよぉ。と言うか、昨日にはもう動けたもの」
わたしの部屋に入りながら問いかけるママに答える。
わたしは今ベッドの上に座っていた。
「そう? だって心配なんだもの……」
今週の月曜日、家に帰って来たわたしは着替えもせずにベッドに横になってしまった。
そのまま寝てしまい、外が暗くなる頃目が覚めると全身をダルさが襲ってきた。
風邪を引いてしまったのだ。
拗らせたのか思いの外治りが悪く、一週間まるまる学校を休んでしまった。
3日も休むと大分良くなっていたが、金曜日は大事をとって学校は休めと、両親に止められたので休んだ形だ。
今日は土曜日。
体調的には1日余分に休んだ事で快調に感じた。
気掛かりだった宗君の事はひとまず棚にあげることが出来て、卑怯ながらも正直ホッとしてしまった。
会いたいけれど、今のわたしでは月曜日の二の舞になることは明らかだったと思う。
そうは思いながらも、休んでいる間もしかしたら宗君がお見舞いに来てくれるのではないかと、期待したりした。
しかし、月曜日の自分の宗君への態度を思い出し、何て身勝手な願望なのかと自己嫌悪に陥った。
身体が弱ると心も影響されるのか、自身の悪い考えが頭をぐるぐると巡り、かなり参った。
体調が良くなると幾分かは心も軽くなったが、いまだに胸の奥にしこりが残っている気がした。
「でも、元気になってよかったわ。あ、それでね、今日の午後なんだけど、駅のモールに行こうかなって。調子が良ければ愛奈ちゃんも一緒にどう?」
「モールかぁ。それなら行こうかな」
気分転換にも良いだろうと、わたしは行くことを決めたのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日の約束通り、俺は理沙と共に会社の買い出しに出ていた。
今訪れているのは万屋の最寄り駅に併設される複合商業施設。
スーパー、服屋、雑貨屋、ホームセンター、飲食店、映画館など様々な店舗が軒を連ねる。
今回用があったのはホームセンター。
既に会社で使う用品を買い終え、後は帰るばかりだ。
「んー、買うものはもうないから大丈夫ね。宗、お昼はどうするの?」
理沙は腕時計に視線を向けると俺に問いかけた。
「なんも考えてない」
確かに時計を見るとまもなくお昼に差し掛かろうとしていた。
昼時だと理解すると腹も空腹を訴えてくる。
正直なものだ。
「でも、そう言われると腹が減ってきたな」
「ふふ、それじゃ、ここで食べて行きましょうか」
俺の物言いに笑う理沙と共に俺は飲食店が連なるエリアへ向かった。
昼食は飲食店エリアにあるチェーン店のファミレスに入ることにした。
外食と言うものをほとんどしない俺だ。この店も初めて入ったが基本的な値段設定が安かった。
最安パスタとかめっちゃ安い。300円ってすげぇ。
パスタって専門店だと1000円くらいしたと思う。
他のサイドメニューも軒並み安い。
確かにこの値段なら客層が学生らしき年代が多いのも頷ける。
ウチの高校の生徒も来るのかもしれないな。
とりあえず最安値パスタを食べてみることにした。
どんなものなのか。
味がそれほどで無いのなら今度からは自分で茹でることにしよう。
夢の無い話だが、自分で作るとして300円あればパスタで2日は暮らせるからな。ソース込みで。
こんな話すると飯が不味くなるのでしないけど。
理沙はハンバーグのプレートを注文していた。
500円ちょっとか。安いね。
貧乏なので、値段に目がどうしても行ってしまう。
気にしない生活をしてみたいもんだ。
料理の到着を待っている間、理沙と他愛のない会話をして過ごす。
最近の客数とか、依頼された変わった内容とか、旨く出来た創作料理とか、学校での出来事とか。
そうこうしているうちに料理がやって来た。
最安値パスタはオーソドックスなトマトソースのパスタだった。
麺もこの値段ながら生麺らしく、ソースもシンプルだけど、とても美味しかった。
結果から言うと、結構気に入ってしまった。
ここなら友達とかと来ても良いかもしれない。
斉藤さんしか今のところ友達居ないけどさ。
誘ったら来てくれるだろうか?
この施設だって斉藤さんと来たら楽しそうだな。
と言うか俺、斉藤さんと学校以外で合ったことほとんど無いんだな。ほとんどと言うか日曜日のご自宅へお邪魔したときだけだ。
バイトの無い日に誘ってみようかな。
「そう言えばあんた携帯持ってないわよね」
昼食を食べ終え、食後のコーヒーを飲んでいた時、唐突に理沙が切り出した。
「ああ、余裕無かったしな」
「今なら基本料も凄く安いキャリアがあるのよ。せっかくだから買ってみたら?」
携帯か。
今まで持ったことが無かったな。
俺自身必要に感じた事が無いと言うのもあるけど。
連絡を取る友達居ないしな。
あ、斉藤さんが居るじゃないか。確か持ってたと思う。
「と言うか、正直あんたと普段連絡取るのが面倒でしょうがない。なんでいちいちあんたの家に行かなきゃならないのよ」
「それはまあ面倒だな」
理沙の言う通り、わざわざ我が家まで来てもらったりしたことがある。俺があまり外出することが無いのでそれで捕まっていたが、面倒なのは仰る通りだ。
「てことで、今から買いに行くわよ」
「は?」
理沙の言葉に呆けた返事を返してしまう。
一体何故今なのか。
「このモールに話題の格安キャリアが入ってるのよ。せっかくだから見てみましょうよ」
なるほど。
今日の買い物も終わったしタイミングも良いのか。
値段も見てみて、維持できるか判断してみれば良いかもしれない。
「わかった。そういうことなら見てみようかな」
「よし、そうと決まれば行ってみましょうか!」
俺らはファミレスを後にすると、理沙の案内で携帯のショップへ向かった。
「おお」
今、俺の手には黒色のスマートフォンが握られている。
携帯電話のショップを後にした俺らはこの商業施設を出ようと歩いていた。
初めて手にする携帯電話と言うものに感動を覚える。
なんでも、機種代が実質無料で月々の基本料も数千円くらいで収まるとかなんとか。
詳しい話は店員に聞きながら、理沙がフォローしてくれた。
その結果とりあえず維持出来そうなので、契約してみた。
「ほー」
色々な角度からスマホを眺めてみる。
今まで欲しいと思ったことはなかったが、手にしてみるとこれがなかなか格好良く見える。
これで俺の高校生感が上がるぜ。
「うふふ、宗ったら子供みたいね」
はしゃぐ俺を可笑しそうに理沙は見ていた。
おおう。
つい夢中になってしまったぜ。
仕方ないじゃない俺も男の子だもん。
こう言うのに夢中になっちゃう。
「スマートフォンってヤツを初めて持ったよ。うっすいなー。すげぇ」
「そうねー。年々機能とか進化するしねー」
「理沙も持ってるんだろ?」
「ふふふ、じゃーん。これよ!」
よくぞ聞いてくれましたー!、と掛け声をあげながら、自身のカバンからスマホを取り出した。
目の前に突きつけられたスマホを見ると、俺は気づく。
「あれ? 俺のヤツと同じ?」
俺と同じ機種で色は白色だった。
俺が気付くと、口に手を添えると、にゅふふと不思議な笑い声を上げた。
「……なんだよ?」
「宗とお揃いねー!うふふ」
そう言うと悪戯っぽく笑った。
機種を選ぶ時の事をよくよく考えてみると、この機種にしたら?オススメよ?見た目もいいよ?といった理沙の押しが強かった気がするな。
「そんなにお揃いが良いの?」
「だって、お揃いのスマホとか恋人みたいじゃないー」
ニコニコとスマホを振る理沙。
恋人はスマホをお揃いにするのか?
俺には分からんが。
「そういうもんなの?」
「そういうもんなのー」
まあ、理沙がそう言うならそうなんだろうけど。
って、待て。
「……別に恋人でもなんでも無いよな」
「気分よ気分! それにこうして並んで歩いてたら、端から見ればそう見えるかもよ?」
俺の腕を取るとすぐさま腕を組んでしまう。
理沙の豊満な胸に腕が沈み込む。
思わず視線がそちらに行ってしまいそうになるのを必死に抑えた。
「当たってるんだけど?」
「喜びなさいよー」
ニヤニヤとこちらを見上げる理沙に辟易してしまう。
昔からたまに俺をこうやってからかう。
そして反応を見て喜ぶのだ。
よって、一番の対応策は無視に限る。
「ほら、このモールってそう言う恋人同士の男女多いしー?」
「だからって何の関係あるん、だ……ぁ」
周りを見渡す理沙に合わせて俺も視線を巡らせる。
そして、一点で視線が止まった。
「ん? 宗、どうしたの?」
突然停止した俺に怪訝そうな声をあげる理沙。
俺は理沙に答えることが出来なかった。
俺の視線の先には。
「……斉藤さん」
母親と並び歩く斉藤さんの姿があった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「っ……はっ、うぅ……はぁっ、はっ……」
気が付けばわたしは走っていた。
逃げていたとでも言うべきか。
ママの呼ぶ声も無視して、逃げ出した。
見てしまった。
見たくなかった。
考えてみればその可能性は想像出来ることだった。
宗君に恋人がいるかもしれないと言うことを。
だけど、臆病なわたしはその考えを胸中から消し去っていた。
考える事もしなかった。
そして、実際目にしてしまった。
仲睦まじい様子の二人を。腕を組んで歩く宗君ととても綺麗な人を。
明らかにわたしより美人で、わたしより年上で、大人の魅力が溢れているような人だった。
敵いっこない。
一瞬でそう思ってしまった。
だから、その光景を見たくなかった。目を背けたかった。
今までの宗君との関係がこれで終わりなのかと、現実から逃げたかった。
「……うぅ、っく、ふぇ……っぇ……」
必死に我慢するも、涙が流れ落ちてしまった。
やっと気付いた自分の気持ちが、恋が、呆気なく終わりを迎えてしまった事に気付き、余計に悲しくなった。
これが失恋というのだろうか。
苦しくて胸が張り裂けそうだ。
今も好きでたまらないのに。
こんなに苦しいのなら、好きになりたくなかったよ……。
初めての感情に自分を見失い、振り回されるばかりだった。
自分はどこへ行こうとしているのか。
無我夢中で走り息が切れてしまった後は、いつの間にかとぼとぼと歩いていた。
放心状態で頭は上手く回らない。
歩き続けていると、気付けば見覚えの無い場所を歩いていた。
ここはどこだろうか?
周りには人気が無く、喧騒も遠い。
職員用の通路だとか非常階段などにつながる場所なのかと思う。
どうやって戻れるんだろう……。
出口を探して歩いていると階段の文字を見つけた。
その文字の書いたプレートは先の角を指している。
どこか分かる所に出ればと、その角を曲がりーーー。
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
ドンッと、角を曲がって来たらしい人にぶつかってしまった。
ぶつかった勢いで、尻餅をついてしまう。
「あ? なんだコイツ?」
その恫喝的な声に恐る恐る顔を上げたわたしに冷淡な視線がいくつも突き刺さった。
柄の悪い10代後半から20歳くらいの4人組がわたしを見下ろしていたのだ。
むらのある汚い金髪の長髪や短髪がおり、耳や鼻にはピアス。服装も一様にだらしなく普段ならば間違いなく近付かないタイプの人達だった。
苦手なタバコの濃厚な匂いが鼻につく。
一人は今もタバコを吹かしていた。
「っ……」
瞬く間にわたしの身体は恐怖と緊張に強張った。
尻餅をついたまま、立ち上がることが出来ない。
ぶつかった事を詫びようにも、口が上手く動かない。
「あー、あんた人様にぶつかっておいて、謝罪もないの?」
わたしがぶつかった人物がわたしを見下ろしながら再び恫喝的な声を浴びせた。
「っ、ご、ごめ…さ……」
「なあっ、コイツ結構可愛くね?」
必死に謝ろうとするわたしの声を遮り、一人の男が卑しい声をあげた。
わたしの顔は更にひきつる。
「お、マジじゃん! ラッキー!」
それに同調するようにわたしを見る目は伝播していった。
一時でわたしを見る一同の目は猥雑なもの一色になっていた。
ニヤニヤと見るもおぞましい笑みが顔に張り付いている。
膝が小刻みに、震え出してしまう。
「まぁまぁ、そんな所座って無いで、こっちおいでよ!」
「っや、やめっ……」
内の一人がおもむろにわたしの腕を持つと立ち上がらせようと引っ張った。
気遣いの欠片もない行動に腕が悲鳴をあげる。
「ぃ、痛い、や、やめてよっ」
「おら、暴れんなって!」
必死に振りほどこうとするわたしに苛立ったのか、腕になおさら力が込められた。
「っぅ、くっ……」
痛みに涙が滲んだ。
無理やり男達の側に立たされると、わたしの退路を断つように男達が立ちはだかった。
逃げ道を無くし、わたしは俯いた。
「なぁ、コイツどうする?」
立ち上がったわたしを見た一人の男が周りに問いかける。
「この前みたくカラオケに連れ込めばいいんじゃね?」
「んだ、見つからないでヤれるしなー」
「でも遠くね?」
ガヤガヤと男達が言い合う姿に、わたしは何も出来ず小さくなるだけだった。
会話の内容すら理解出来ない。
ただ、このまま何も無く時間が過ぎてくれないかと思うばかりだった。
「いっそここでヤっちまうか?」
その声が一際耳に突き刺さった。
この人達は何を言って……。
理解できない、したくない。
イヤだ、イヤだ、イヤだ。
「確かに、ここなら人も滅多に来ねぇしな!」
恐怖で身体は震えるばかりで僅かにも動かない。
身体の中が鉛で満たされているかの様な錯覚をうける。
流れ続ける涙がわたしの頬に一筋の線を作っていた。
「ほら、泣いてたら可愛い顔が台無しだぞ?ぎゃははっ」
「「ぎゃははははっ」」
笑い出す男達。
一人がわたしに腕を伸ばす。
その腕はわたしの襟元を掴もうと伸ばされているようで。
わたしにはスローモーションに見えた。
もう終わりなんだ……。
現実逃避なのか。
ふと、先程宗君から逃げ出して来てしまった時を思い出した。
さっきは宗君に悪いことしたな。
いきなり逃げちゃったから驚いただろうな。
今度会ったらちゃんと謝ろう。
宗君の彼女さんにはあいさつ出来なかったな。
そうだ。月曜日の事も、謝りたいな。
恥ずかしくて、顔を見れなかったけれど。
わたしが謝ったら笑って許してくれるかな。
宗君優しいから。
また、宗君にお勉強教えてもらいたいな。
宗君の教え方凄く分かりやすいんだ。
先生には悪いけどね。
また、宗君とお弁当食べたいな。
宗君が美味しそうにわたしのお弁当を食べてくれるの凄く嬉しいんだ。
胸がいっぱいになって。
それで。
また、宗君と……。
宗君と……。
宗、君。
「うぅ……っひ、く……ぅ、宗、君」
宗君に会いたいな。
「……宗君」
男の手がわたしに触れーー。
「俺の天使に何してる?」
泣き続けるわたしの耳に大好きな声が聞こえた。




