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第186話 あいつが俺に遺したもの 中編

 


 そうこうしている内に高校の入学式が明日に迫っていた。


 実は、俺はこっそりと病院の先生に明日の外出を打診しており、それが本日許可されたのだ。最近の体調の安定具合から見て、入学式の時間だけ外に出ることが許されたのだった。


 その事を澪に伝えたところ。


『ほんと!? 兄さん大好き!!!』


 などと言うお言葉を頂いた俺。


 もうデレデレである。


 もちろん理沙や学校にも根回しは済んでおり、明日はドアtoドアで入学式に突撃だ。


 入学式に参加出来ると知った澪はいつになく饒舌だった。まさか自分が参加出来るとは思っていなかったのだろう。その喜びようも一入(ひとしお)だ。

 ベッドを起こし、手にパンフレットを取ると、そのパンフレットやインターネットの動画、看護婦等から得た学校の情報を、嬉しそうに教えてくれた。文化祭に体育祭、冬場の行事に修学旅行etc.


 実のところ何度かその話は聞いているので、そこそこ覚えてしまっている俺である。だけど、澪が嬉しそうに教えてくれるなら、俺も嬉しそうに聞くだけだ。

 ベッドに俺も腰かけ、一緒にパンフレットを読んだ。


 その高校、中でも文化祭が結構有名らしい。

 その地域一帯では随一の規模を誇り、来場者も万単位だとか。

 まともな文化祭をしてこなかった俺には想像もつかない世界である。


 澪は特にその文化祭に夢を膨らませていた。


『この文化祭はね、地域最大規模なんだって! 来場者数も何万人って来るの! 高校の文化祭なのにスゴいよね! 食べ物屋さんに展示会、演劇、アトラクション。息子さんが通ってるって言ってた看護婦さんにも色々聞いたんだー! んーっ、楽しみ! 私のクラスは何やるんだろ!』


 澪の話を聞きながら、俺はそんな風に楽しそうなお前を見るのが楽しいよ。そんな言葉を伝えた気がする。


『……兄さん、あの、ね?』


 その俺の言葉を聞いた後、澪は少ししおらしい様子を見せる。セミロングの黒髪から覗く耳は微かに赤い。澪は視線を手元のパンフレットに向けたまま口を開いた。


『……ありがとう。兄さんのお陰で私、今も生きていられるし、高校にも行ける。どれだけ感謝すれば良いのか、どうすればお返し出来るのか分かんないぐらい……。なのに今まで、全然言えなかったんだ。……だから、これからは素直に、感謝だけはいっぱい伝えたいの』


 そうして目線をこちらに向けて、頬を染めた澪は俺と目を合わせてはにかんだ。


『ありがとう! いっぱい、ありがとう! こんな私と居てくれて……ありがとう!』


 ベッドに腰かけていた俺は、そっと横から抱き締められた。


『……私の為に、毎日頑張って働いてくれて、ありがとう! 高校の準備も大変だったよね。私の代わりに全部……ありがとう。兄さんのお陰で私、合格できたよ。ありがとう。何から何まで、本当にありがとう。私の、兄さんで居てくれて、ありがとう……』


 俺の胸に顔を埋めた澪は、弱々しいながらも、ギュッと抱き締める腕に力を入れた。


『兄さんが、私の兄さんで、本当に、本当に良かった! 私は、幸せ者です……大好き、だよ』


 聞いている最中にはもう、俺の涙腺はぼろぼろだった。

 涙が溢れて溢れて、どうしようもなかった。


『……ばがやろう゛……なんで、そん、な……。おれ、は……っ、べつにっ、そんなの……当たり前でっ! おれごそ、お前がっ、い、居たがら、がんばれてっ……お前が、妹でよがったよ、ばかやろうっ……っううぅ、ぁぁあ……っ!』


 涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになって、自分でも何を言っているのかワケわからなかった。


『ほんと、兄さんは泣き虫なんだからぁ……。イケメンが台無しだぞー。ふふっ』


 顔を上げた妹に慰められ頭を撫でられる俺。情けないと思いながらも涙は止められそうになかった。


 ひんやりとした澪の指は俺が泣き止むまで、俺の頭を撫でていた。







『さて! 文化祭の話に戻るよー!』


 戻るのかよ。俺の力ないツッコミが病室に吸い込まれる。

 しんみりとしてしまった場を盛り上げようとしたのか分からなかったが、俺も会話に戻ることにした。


『そんだけ有名だって言うなら、目玉はなんなんだ?』


『まずは出店でしょ? 校門に続く長い坂道にも地域の有志の出店が出るみたいなんだよね! それも回ってみたいんだけどー。学校の敷地内に入ってからも出店エリアが広がるんだって!』


 まるで見たことがあるかのように話す澪。こちらまで楽しくなってくるが。


『お前が楽しみにしてる文化祭って……』


『えっとねー、たこ焼き、わたあめ、焼きそば、焼き鳥、かき氷、りんご飴……あとはクレープ!』


『全部食べ物じゃねえか! 縁日かよ! 文化祭だよ!』


 そんなツッコミが病室に消えていくこと無く木霊する。

 何で大して食えない癖にそんなに食い意地張っているのか。


『も、もちろん、それだけじゃないよー?』


『ほう、聞こうか』


『うんっ。お化け屋敷行ってー、きゃーって言いながら兄さんに抱き着いて、美術部や写真部の展示見て素敵だねー綺麗だねーって。あとは、演劇部の発表を見て感動して……ね? デートだよ!』


『そうだなぁ。立派なデートだな』


『そうそう! 相手の居ない兄さんの彼女は私に任せなさい! イケメンの癖して彼女一人作んないんだからー』


『うるせー、大きなお世話だ』


 俺はからかう様な目付きをした澪の頭を、ぐしゃぐしゃと撫でる。確かに今の俺には彼女はいない。こんな面倒な状況の男を誰が相手にするかっての。彼女に割く時間なんて有りはしない。俺は澪の為にしか時間を使わないだろうしな。


『わーっ、やめてよー!』


 ひとしきり撫でて満足した俺は澪から離れる。


『懲りたら兄をからかうんじゃない』


『……で、でも、その……デート、冗談じゃないよ? 兄さんの青春を奪っちゃったのは、私だしさ……』


『そんなことない』


 俺はこれっぽっちも、そんなこと思ったことはない。むしろそれが生き甲斐だった。澪の為に生きていく。それが俺の存在意義とすら思っている。澪が居たから、生きてこれた。


 俺は首を振って否定するが、澪はそれに否定を被せてくる。


『ううん、分かってるもん。……だ、だから責任……いや、そんなことが無くても、私は……兄さんの彼女になりたい。一人の女の子として、兄さんの彼女に……。こんな不良在庫みたいな女の子だけどね……』


 なんだかとんでもない発言が聞こえた気がするが、最後のは聞き捨てならない。


『馬鹿やろう。冗談でもそんなこと言うんじゃない』


 不良在庫だ? そんなこと言うヤツは本人だろうと許さないぞ? 俺の妹は世界一の妹だっつーの。


『そんなこと、ってどれ?』


『うるせぇ、色々だ』


 本心をそのまま返すのは気恥ずかしく、俺は結局誤魔化す。


『むー! 本気なのにぃ!』


『もっと大きくなったらなー』


 プンスカ怒る澪の頭を再び撫でる俺。今度はポンポンと軽く叩くような頭撫でだ。


『仕方ないなぁ、今だけは妹の立場に甘んじてあげますか。……ふふっ、私と兄さんは元は従兄妹。法的な拘束力は無いのだよ』


 澪の呟きに背筋が薄ら寒くなったのは気のせいだろうか。


『ほら、明日は晴れの舞台なんだから早く寝るぞー』


『はぁい』


 そうやって澪を寝かし付けてから俺は病院を後にする。


 先程言った通り、明日は妹の晴れの舞台。朝から忙しくなる予定だ。




 理沙のマンションに戻り、理沙と明日の最終確認をすると、俺も早めに休むことにした。




 布団に潜り込んでからも、頭は澪の事でいっぱいだ。


 この一年の入院生活を思い返す……。


 最初は、突然の入院で俺も気が動転していて。

 退院はしたものの、また入院。その後も入退院を繰り返して。

 病室から季節の移り変わりを何度も見て。


 そしたら突然、澪が高校受験を目指して。

 目一杯、一緒に勉強して。

 無事合格して。しかも主席だ。


 そして、明日は入学式だ。




 俺も、頑張ったよな。

 親父。母さん。


 二人がいなくなっても、皆の助けを貰いながらだけど、何とかやってこれたよ。


 澪は高校に進学だぜ。


 少しは二人に、恩返しは出来ただろうか。

 罪滅ぼしに、なっただろうか。


 俺が、あの時、もっと大人だったら。

 久しぶりに、あの時の後悔が頭に浮かんだ。


 いいや、と頭を振る。

 この後悔はもう十分やりきった。

 だから、前だけ向いて生きていこう。そう決めただろう?


 親父、母さん。

 俺は、澪と元気にやってるぞ。

 まあ、見ててくれ。


 いつの間に零れていた涙を拭うと、俺も間もなく眠りに落ちていった。




















 寝入ってからしばらくして、理沙から借り受けている会社の携帯が鳴り響く。




 折り畳みの携帯を開いて画面を見れば『御崎市民病院』。この街一番の規模を誇る病院の名前。


 嫌な胸騒ぎと共に通話ボタンを押す。




 耳元のスピーカーから端的に用件が伝えられた。








 澪の容態が急変した、と。










 飛び起きた俺と理沙は病院へ急行した。


 病院に到着後、看護婦の案内を受け直ぐ様澪の元に向かう。


 澪は既にICUに運び込まれ、多くの管が繋がった状態で眠っていた。

 ガラス越しに見るその姿は、先程まで見ていた姿より、さらに窶れている様に見えてしまう。


 くそっ、と思わず悪態が口をついて出る。さっきまであんなに元気で、明日は楽しみだって、あんなに……。


 今の状態では俺に出来ることは何も無い。それが、ただただ悔しかった。


 入学式は欠席か、と頭の片隅を掠めたのは一瞬。今はただひたすらに妹の無事を祈るばかりだった。


 澪の容態が変わったのは日を跨ぐ深夜頃だったらしい。


 医師から状況を聞くも、気が気でない俺は全然理解が出来なかった。ただ、状況が思わしくないのは、隣話を聞いていた理沙を見て、嫌と言うほど実感出来てしまった。




 理沙に、座りなさいと何度も言われたが、俺は座って待っていることが出来なかった。澪を視界の中に捉えらえていないと、俺の知らない何処かに連れて行かれてしまいそうで。澪を見ていられる場所でずっと佇んでいた。


 そんな状況は3時間にも及んだ。




 医療の知識が全然無い俺には、この状態がどうなのか、全く分からなかった。




 だけど。




 ガラス越しに室内の様子が慌ただしくなり、俺が呼ばれた時。








 あいつとの別れを覚悟した。










 一人部屋に通された俺は横たわる澪に近付く。近くに人は居らず、俺達二人だけだった。


 部屋には断続的な電子音と、呼吸の音だけが響いていた。


『……に、ぃ……さん』


 澪は苦し気に大きく呼吸を繰り返していた。


 その呼吸の合間に、澪は俺を呼んだ。


『ああ、どうした? ここにいるぞ』


 俺はせめて澪が不安にならない様に、といつもの調子で語りかけた。澪の近くに膝をつき、顔を近付ける。


『……ごめん、ね』


 俺は力無く伸ばされたその手を取る。


『何がだ? お前が謝る事なんて、何も無いだろ?』


『え、へへ……何となく……かな』


『……変なヤツだなあ』


 その軽口は、俺の精一杯のいつも通りだった。


『……でも……さいご、は……ありがと……て、言い、たいな……』


『さいごなんて言うなよ、な? 明日は入学式だぞ? 高校生活はこれからだぞ? それに文化祭、行くんだろ? 俺とデート、するんだろ? 俺の、彼女になってくれるんだろ……?』


 澪の言葉に俺は絶え絶えにも、矢継ぎ早に言葉を繋いでいた。それは、澪から決定的な何かを聞きたくないと、駄々を捏ねるようで。


『ふふ……やっぱり、兄さんは、泣き虫……だなぁ』


『っ……そうだよっ、お前が居ないと、俺は、ダメなんだよ……』


 澪を想っていつも通り、と平静を装っていてもダメだった。澪を想えば想う程、耐える間もなく涙は止めどなく零れて、ベッドのシーツにはシミを作っていた。


『兄さんの……かのじょ、なりたかったなぁ……』


 気付けば澪の頬にも涙が流れていた。


『……さっきは、はぐらかして、ゴメンな。恥ずかしくて、言えなかったんだ俺……』


 それは先程答えをうやむやにした、澪の気持ち。俺の答えは躊躇うことも無く出ていた。


『俺も澪が良い。お前以外は考えられないんだ……。澪……俺の、彼女になってほしい。絶対、幸せにするからっ』


 俺の人生初めての告白だった。


 偽らざる俺の気持ちだった。


『えへ、やった……うれしい、な。ぁ……でも、ね、わたしは、もう、じゅうぶん……兄さんに、しあわせ、もらってるよ……しあわせすぎて、困っちゃう、ね……』


 俺の告白に澪は嬉しそうに顔を綻ばせたあと、少し眉尻を下げた。


『いいやっ、こんなんじゃ足りない! まだ、お前にしてやれてないことばっかりだ! 二人で行ったことない所とか、食べたことない物とか! いっぱいデートして! いっぱい、思い出、作ろうぜ! 俺は、もっと、澪を、幸せに、したいんだよぉ……』


 澪の掌に縋る俺は、次から次へと浮かぶ、澪にしてやれなかった事を思い浮かべ咽び泣く。


『……ほんとに、兄さんは……やさしくて、ふふ。わたし……そんな、ところが、だいすき。……やさしくて、人を思いやってってて……いじっぱりで、つよがりで……泣き虫で……』


『澪ぉ……』


 こちらに向けられた澪の表情は、眼差しはとても優しくて。俺の喉はどうしてもひくついてしまう。


『……でも、やっぱり、わたし、兄さんの笑顔が、いちばん、すきだな……』


『……俺の、笑顔……?』


 それは、初めて聞く、澪の言葉だった。


『……うん。……すごー、く、やさしい目で、わらうんだぁ……。それでね……わたしは、いつも、どきどきして……安心して……いっ、ぱい……しあわせで……ね』


 澪はそう言うと、愛おしげに目を細めた。


『……そっか』


 俺も、愛しさを詰め込んで、頷いた。


『……さいごは、にいさんの、えがおで……おわかれ、したい、なぁ……』


 最期、お別れ、その言葉に反応してしまいそうになる。


 喉は今にも嗚咽に震えてしまいそうだ。


 だけど。


『っ………………ああっ』


 俺はいつも通り、澪に向けてきた笑みを、最愛の家族に向けてきた、いちばん好きだと言ってくれた笑みを、精一杯浮かべてやる。


『澪、頑張ったな。……澪は俺の、自慢の、妹でっ……最高の、彼女だ……愛してる』


 俺は、そっと澪の額にキスを一つ落とした。


 顔を上げて、もう一方の手で、いつもの様に、頭を撫でてやる。


『……えへへ……あり……がと………だい、すき……………』


 澪は笑ってそう言うと。




 旅立った。




『…………っ、くぅ……っぅう……がんばった、なぁ。みお、がんばったな……』


 俺はずっと、静かに眠る澪の頭を優しく、優しく撫で続けた。










 澪は綺麗な笑顔を遺して、たった15年の人生に幕を閉じた。

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― 新着の感想 ―
[一言] これは辛い… さて天使の癒しのターンですね? きっとなんとかなる! これからも頑張って下さい
[一言] いつも更新ありがとうございます♪ 毎日の投稿お疲れ様です!
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