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第185話 あいつが俺に遺したもの 前編

 最初は耳を疑ったけれど、俺は反対することなく頷いた。


 澪なら余裕だろ。そう言って。


 あいつは床に臥せっている間も、今までと変わらず勉強を続けていた。


 病院のベッドの上で中学三年を迎えたんだが、勉強はその時既に中学の範囲を終え、高校の範囲を勉強中だった。そして、三年生も半年が経過した頃には高校二年生の範囲に突入していた。


 密かな俺の自慢である。


 そんな理由から俺は余裕だろう、と結論付けた。


 俺も澪の高校進学を考えなかった訳ではない。妹を高校へ通わせてやりたい。青春を謳歌させてやりたい。そう考えるのは当然だ。


 しかし、現実は非情だ。


 実際、澪が高校へ通うのは絶望的だった。

 この時、澪にはこの時まだ伝えて居なかったが、今後一度でも肺炎が重症化すれば命が危ないかもしれない、そう宣告されていた。

 そんな状態で進学を薦める事が、俺にはどうしても出来なかった。


 だが……澪が望んだのならば話は別だ。


 俺は澪の兄貴なのだ。


 妹の夢を叶える事に、躊躇う必要がどこにあると言うのか。

 万難を排し、その夢を叶えてやるのが、俺の使命なんだ。


 俺は早速手続きを進めた。

 時期はお誂え向きだった。

 澪が高校に行きたいと言ったのは12月で、調べてみると高校への願書提出は1月末。

 早速中学へ問い合わせ、必要な資料を集めた。澪の担任の教師にも高校への進学の意思を伝え、内申書の作成を依頼した。


 学校の善意でテストを病院で受けさせて貰っていたし、中学一年生時にも担任してくれていたこの先生は、澪の人となりも知っていた。先生からは内申点に関しても心配無いとのお墨付きを頂いた。


 俺は何度も礼を伝えた。


 高校への根回しも勿論行った。正直なところ、一般の生徒と同じく会場である学校へ赴き、受験するのは難しかったからだ。しかし、さすがに一人だけ特別扱いするような事は難しいかとも思った。

 だが、幸運にも教頭先生が理解ある協力的な方で、こちらも受験への課題は消化することが出来た。


 それから俺と澪は受験に向けた対策を始めた。俺は食費を切り詰めて、高校入試の参考書を買い漁った。


 兄貴として澪に勉強を教えたくて、俺も勉強してみた。でも、中学の勉強をまともにやって来なかった俺に分かるわけもなく。むしろ、俺は澪に勉強を教わる事になっていた。意味が分からない。受験生の妹から受験勉強を教わる一応社会人の兄。意味が分からない。

 本人は、教えるのも勉強になるから、逆に助かっている、とか言っていた。


 俺たち二人が毎日交わしていた会話は殆どが入試に関する事柄になっていた。口頭で問題を出し合ったり、手作りの対策プリントで勉強したり。時には理沙も巻き込んで、勉強に明け暮れた。


 それは俺たちにとって充実した日々だった。前向きに打ち込める事があるってことに、ひたむきに目標に向かって進む日々に、俺は元よりあいつも生きている実感を噛み締めていた。


 そして、あっという間に季節は巡り、街中の雪は消え去っていた。


 春の訪れを日常の端々に感じ始めると、既に暦は3月だった。


 入学試験は澪の病室で行われた。

 わざわざ学校からは試験官や面接官が派遣され、準備が進められた。澪の病室は本物の試験会場になったのだ。


 試験が始まるまで緊張した面持ちの澪だったが、それでもあいつは高校受験を目一杯、その身で体感して、そして楽しんで、やりきった。とても楽しそうに試験を受けていた姿が印象的だった。


 体調の悪化等も考慮して、病院側でも即時対応出来るように待機してくれていた。


 本当に色々な人達のお陰で為し得た事なんだと、その光景を目の当たりにすると、俺も実感が湧いてきて、結果が出た訳でも無いのに俺は涙が止まらなかった。俺は試験会場となった病室の外で壁を背に泣き続けた。


 筆記や面接等、試験の一切が終わり、俺は泣きながら関係者に礼を伝える。その時関わった人達は優しく笑いながら励ましをくれた。


 病室で卒業生が澪一人きりの卒業式も終え、十日程経つと一通の通知が病院宛に届いた。その通知には端的に言えばこう書かれていた。


 そう。


『合格』


 と。


 俺は泣きながら、そんな俺につられた澪も泣きながら、その結果に喜んだ。


 頑張りが報われたんだと。

 それは、これからの明るい未来を暗示しているかのように思えた。


 過去には当事者だった筈の俺だが、合格発表から入学式までの期間がこれ程までに少ないのかと驚かされた。

 おおよそ半月程で準備を終えなければならないのだ。


 病室から動けない澪に代わり、俺は持てる時間の全てを使って準備に奔走した。

 時には理沙や大次郎、杏里ちゃんを足代わりに店に向かったり等々。皆は文句一つ言わなかった。本当に感謝だ。


 制服の採寸は病室には派遣してもらえなかった。まあ、それが普通の対応かと、今まで恵まれてたのだと再確認した。

 既製品のサイズもあるにはあったが、俺はやはりピッタリな制服を着せてやりたかった。制服を取り扱っている店に頼み込み、採寸の仕方から必要な数字等事細かく教えて貰い、採寸に挑んだ。店主のじいさんに、黙って病院へ採寸に行ってた方が楽だった、と言わせてしまったのは良い思い出だ。結局はこのじいさんもなんだかんだ言って良い人だった。


 入学説明会に行けない澪の為に、高校がわざわざ説明の為に人員を手配してくれた。

 その人物は担任になる予定だという、40歳程の女性で藤田と名乗った。

 とても人好きのする笑顔の先生だった。


 先生から手渡されたパンフレットは公立高校だからか、私立のような綺麗なモノではなく、手作り感満載のパンフレットだった。

 そんなパンフレットでも澪は目を輝かせ。


『わぁ……』


 と、声を漏らしていた。


 一時間程度の説明も終わり、先生が帰り際、見送りに病室を出た俺に教えてくれた。


『公立高校だから、ソレに特別な扱いはないのだけれど』


 そんな前置きの後、先生はこう続けた。


『澪さん、入学試験で文句無しの主席でしたよ。頑張りましたね』


 そう優しく微笑む先生に、俺は涙腺を崩壊させて頷いた。


『……自慢の妹ですから……当然、ですっ!』


 この頃の俺は泣き過ぎだ。


 入学準備は順調に終わり、入学式を迎えるばかりとなった。


 制服も無事出来上がった。なんとあの服屋のじいさんが直接届けてくれたのだ。

 こんな忙しい時期にどうたらこうたら……文句を垂れながら制服の説明をくれた。

 しかし、最後には。


『おめでとう』


 そんな捨て台詞を置いて出ていった。

 ホントに良い人だよ。


 その夜、澪は制服を着せて俺に見せてくれた。


 着替えている間、病室を追い出され廊下で待ちぼうけをくらう。着替えは馴染みの看護婦さんが手伝ってくれた。

 廊下に足っている間、馴染みの入院患者やその家族に、喧嘩かー、早く謝れよー、などとヤジを散々頂いた。

 喧嘩なんかしたことねーよ! そんな返しを延々とする羽目になった。


 気付けば入院生活もだいぶ長くなっていた。


 澪の入院するここは長期療養を主とする病棟。馴染みの患者も増えたが、理由はどうであれ少なからず居なくなってしまった人達もいた。


 一抹の寂しさが胸を締め付けた頃、部屋から看護婦が出てきた。ポンと俺の肩を叩くと優しげな笑顔をみせてから離れて行った。


『兄さん』


 中から俺を呼ぶ声が聞こえた。


『澪……』


 ベッドのフレームに掴まりながらも、自分の足で立つ澪が纏っているのは、糊の効いた下ろし立ての制服。


『兄さん、どう?』


 澪はその場で覚束ない足取りで一周回り、はにかみながらそう問うてくる。

 俺はその質問に中々答えられなかった。


『……っく…………に、似合ってるに、決まってる、だろぅが……っ』


『兄さんの泣き虫。えへへ』


 この笑顔を見た時、俺は本当に頑張りが報われた気がした。


 澪の進学の意思を聞いて、参考書を買い漁ってから入学の準備が整うまで、決して少なくない費用がかかった。それはギリギリで暮らしている俺達にとって出せるか分からない額だった。


 だから俺は、単純に働く時間を増やした。万屋は人手的にもこれ以上増やす必要もなければ、何なら上限ギリギリで働いてもいた。それに、理沙には実のところ病院の入院費用においても世話になってしまっていたので、これ以上迷惑をかける訳にはいかなかった。


 だから、俺は理沙達に反対されながらも、前に世話になっていた日雇い工事業者に頭を下げて働かせてもらい、澪にあてる時間以外を仕事に費やし、そして何とか金を工面した。


 俺の頑張りは当然として、澪こそ頑張った。


 中学の学習範囲を終えていたとはいえ、学年で主席を取る程まで試験勉強に取り組んだのだ。


 身体だって辛かっただろう。小康状態が続いていたとはいえ、常人のそれとはまるで違うのだ。澪は起きて机に向かっているだけでも体力を消耗してしまう。何度辛そうに机に向かっている姿を見たことか。何度止めても聞きやしなかった。その鬼気迫る取り組みの様子に、俺も最後は応援する側になっていた。


 澪のその懸命な姿は、まるで命を燃やしているかのように、俺には見えていた。


 だが、その頑張りも報われ、主席での合格という最高の結果を見せてくれた。


 これが泣かずにいられるか。


 本当に、本当に自慢の妹だよ。


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