第181話 ヘタレ野郎
お待たせしました。
『……よし、完成!』
そんな声が聞こえた気がした。
それに何か夢を見ていたような気もする。
目を覚ました俺は首を回して時計を見た。
薄暗さを感じる部屋、ここは自分の寝室だ。時計を見れば、針は5時30分を過ぎたところ。
「……夕、方か?」
朝方かそうかの判断がつかない。そもそも風邪で混濁した頭では何を考えても要領を得ないか……。俺は記憶より幾分か軽くなった身体を起こして、全くと言っていい程回らない頭でぼんやりとする。
「……喉、乾いた」
そんな欲求が頭を過った。冷蔵庫にスポーツドリンクがあったはずだと、力の入らない膝に気合いを入れて、俺は立ち上がる。
そして部屋を隔てる襖を開いた。
「……あ、沢良木君。よく眠れた?」
そんな鈴の音と炊けたご飯の香りが、軽くなったとはいえ未だ風邪の倦怠感に見舞われる俺を迎えた。
そして、台所からこちらに振り向き笑顔を見せてくれる、金髪の天使が一人。
「……まだ、夢か?」
「どうかした?」
襖に手を付き俺が呆然と立ち尽くしていると、天使は手を拭いパタパタとこちらへ近寄って来た。その身にはどこかで見つけたのか、サイズの合っていない俺のエプロンが身に付けられていた。高校の制服にエプロン姿である。
「んー、熱は下がったみたいかな? 薬も効いてるだろうしね。でも、これから夜だし上がるのかなぁ」
ごく自然な仕草で俺の額に手を伸ばした斉藤さん。背伸びをして手で熱を測るとそう言った。
「……夢、だよな?」
俺ん家に居る今の状況だと妙な背徳感に襲われる姿である。それに上目遣いは心臓に悪い。
しかし、これは高校生の斉藤さんをお嫁さんに貰う夢だろうか?
「ん? ゆめ? 何が?」
「あ、いや、可愛くて」
「ふぇっ!? とつぜん、にゃっにを!」
噛んで赤くなった斉藤さんを見下ろしながら、俺は思った事を口にする。
「……俺、いつ斉藤さんをお嫁さんに貰ったんだっけ……って、考えて」
「ぉ、よめ……さん…………」
顔を真っ赤にしてわなわなと震えだした天使。その目がぐるぐると回ってきた。
手をパタパタと忙しなく動かし、アワアワと言葉にならない声が口から漏れていた。
すると斉藤さんはギュッと拳を握り瞳も瞑った。
「……き、今日からでも、だだだだいじょぶですっ!!!」
「……?」
一瞬、シンと静まった部屋には俺の疑問が浮かぶ。
……何がだろう?
どうも朦朧とした頭では考えが追い付かない。
「そっか……ありがとう……?」
よく分からないまま、お礼を伝えると、斉藤さんの表情が嬉しそうに、本当に嬉しそうに綻んだ。
その表情を目の当たりにして、徐々に俺の意識が覚醒していく。そして、何かいけない方向に向かっているような、そんな思いが脳内に警笛を鳴らした。
……ちょっと待て、ちょっと待て。
俺はふらつきながら居間のテーブルへと向かう。斉藤さんはさりげなく俺の懐に入ると支えてくれた。そして、俺は座布団へと腰かける。
支えてくれる斉藤さんの柔らかさには極力意識を割かない様にした。
「さ、斉藤さん、ごめん、飲み物貰っても良いかな。冷蔵庫にスポーツドリンクがあったと思うんたけど……」
「うん! ちょっと待っててね!」
再びパタパタと台所に戻った斉藤さんは淀み無い動作でコップを取り出し冷蔵庫からだしたスポーツドリンクを注いだ。
実に手慣れていらっしゃる。まるで、俺ん家の配置が分かるみたいに。
「はい、どうぞ!」
本当にまだ、夢なんだろうか……? 本当に斉藤さんを奥さんに貰って、二人で住んでいて、そんな幸せな……いやいやっ! 現実を見ろって! これは現実だ! ちゃんと認識出来てるよな!? ああああ、風邪を引いた自分が恨めしい! 意識がふわふわとしていて、夢と現実の境界が曖昧だ。
「あ、ありがとう」
よく冷えたスポーツドリンクを受け取り一気に呷り腹に流し込むと、明確に俺の頭は覚醒する。
そこで、ようやく俺は思い出した。
プリントを届けに斉藤さんが一人で家まで来てくれたこと、ゼリーを食べさせて貰って、薬を飲んで、プリントを記入して斉藤さんに渡した。斉藤さんは片付けをしてくれると言うから、言葉に甘えて……俺の記憶はそこで途切れているから、おそらく寝てしまったのだろう。
そして、起きがけの今の一幕だ。
俺はなんて事を言ったのだろうか……。
「……斉藤さん」
俺はテーブル向かいに座った斉藤さんに、恐る恐る口を開いた。
斉藤さんはキラキラとした笑顔で俺の言葉を待っているようだった。
「……?」
「……り、料理、作ってくれたの?」
……ヘタレだ。俺は本当にヘタレだ。追及も出来ず、話題を避けただけなんてヘタレ過ぎる。そんな自分に虚しくなる。
「うんっ。料理って言ってもお粥なんだけどね。沢良木君が食べやすいようにと思って……」
食べれるかな? そう言ってこちらを窺う天使。少し不安の色が見てとれる。
……うぐぅ。
もう可愛過ぎてね。もうね。
俺の為にここまでしてくれる娘が、可愛くない訳が無いじゃないか。
「食べれるよ。ありがとう」
「良かったぁ。……あ、でも勝手に作ったりしてごめんね? 他にも片付けとか色々……」
「いや、謝る必要なんて無いよ。全部俺の為にしてくれたんだろ?」
「ぅ、うん……それは、もちろんだよ」
小さく俯き、頷いた斉藤さんに俺はお礼を伝える。
「それならお礼しか言えないよ。何回も言ってるけど、ありがとう。凄く助かった」
「ぁぅ……どういたしまして。えへへ」
めちゃくちゃ可愛い。
なんだか、この笑顔を見ていると悩む事がどうでも良くなってくる。
良くなってはくるが、問題は何も解決しちゃいない! はははっ。
頭が重い……。風邪のせい、だよね?
「あ、起きたばかりだけど、お粥食べる? 直ぐに出せるよ?」
そう問われ、自分の空腹に気付く。今日はまだゼリーしか食べていないから当然だ。それに今は薬が効いているのもあるだろう。
「それなら、お願いしようかな……」
「わかった! すぐに準備するね! ……し、宗くん」
にこやかに頷いた斉藤さんは台所へ向かう。その間際、囁くように名前を呼ばれた気がした。
……だ、ダメだ。これは先送りしちゃダメなヤツだ!
斉藤さんは棚から器を出すと、鍋に出来上がっているであろうお粥をよそっていた。耳を赤くして、鼻歌交じりに準備をする斉藤さんに俺の不安が大きくなる。
「はい、お待たせー。沢良木君はお粥に何かかけたりする?」
「ご、ごま塩だけあれば」
「ごま塩だね! ……この引き出し?」
「ああ、そこに入ってる」
斉藤さんからごま塩の瓶を受け取り礼を言う。
「どうぞ、召し上がれ?」
「……い、いただきます」
ぐぅ、全然言い出せない!!!
と、とりあえず、お粥をご馳走になってから話そう。
結局先送りにしてしまうのは俺の最大の欠点である。が、話すのは先程の寝惚けてた時の話だけじゃない。昨日の帰り道、話そうと決意した諸々の全てだ。
勿論、斉藤さんが許してくれるなら、だが。
うだうだ考えていては、せっかく作ってくれた斉藤さんに失礼だ。まずはいただこう。
最初はお粥そのものを味わうため俺は何も掛けないまま、お粥を口に運んだ。
「……あづっうぁ!?!?」
「だ、大丈夫沢良木君っ!?」
……物の見事に舌をやけどした。