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第139話 友達になろう



 ──仲良くしましょうね?──


 ふと、思い出したこの言葉。


 それはいつの事だったか。


 記憶の海に沈んだ言葉。


 手繰る様に記憶へと伸ばした手は微かに、その記憶に触れた。


 そう、それは『嫌で嫌で仕方なかった頃』の学校でのお話。


 心を閉ざしていた、『あの頃のわたし』の記憶の断片。






─────







「……はぁ」


 教室の扉を前に、わたしは小さな溜め息を溢す。


 今日は中学二年に上がり、初めて登校する日。始業式だ。始業時間まではあと少し。そこまで余裕は無い。

 おおよその生徒は教室に揃っているのか、中の喧騒は廊下まで響いていた。


「……だいじょうぶ。……ぅん、だいじょうぶ。がんばる」


 根拠のない気休めでしかない言葉。そんな言葉でも口にしないよりかマシだった。


 わたしは教室の扉に手をかけた。


 ゆっくりと扉を開け、身体を教室に滑り込ませる。


 誰も気付きませんように。


 そんな願いは早くも崩れ去る。


「……」


 教室の喧騒は、わたしが入った瞬間ピタリと止んだ。


 そして、次の瞬間には何も無かったかのように喧騒が戻るのだった。

 ヒソヒソと聞こえる陰口と、こちらに投げ掛けては外される視線は、ただひたすらに居心地が悪かった。


 パパとママが綺麗だと誉めてくれる金髪だったけれど、この時だけは辛かった。こんなこと考えたら親不孝な子なんだろうけど……。普通の髪が良かった。皆と同じ、黒い髪が。


 一層俯き、わたしは自分の席を探した。


 あいうえお順で斉藤ならば、と当たりをつけて歩けば、幸いにもすぐに見つかった。


 席に着いたわたしは小さくなり時間が過ぎるのをただ待った。


 そんな時だ。


 わたしが話し掛けられたのは。


「おはよう! 私は松井美里って言うの! 転校してきたばかりなんだ。あなたは?」


「っ…………?」


 最初はわたしに対してだなんて思わなかった。どうせ近くの人にだろう。


 だけど、もしわたしだったら。

 そんなありもしない妄想に、わたしはゆっくり視線を上げたのだった。


「……」


 バッチリ目が合った。


 綺麗な長い黒髪に、勝ち気な目元、整った顔立ち。初めて見る生徒だった。


「……ぁ、ぅ……そ、の……」


 わたしはパニックだった。


 クラスの人とはしばらくまともに会話していなかったし、人との会話は有り体に言えば恐怖だった。

 その怯えが、つい反射的に出てしまう。


 ダメだ、と分かっていても長年積み重ねられた記憶のせいで、わたしは目も合わせられなかった。


 普通だったら、このわたしの様な反応を返されれば、怒るか立ち去るのが普通なのだろうけど、この人は違った。


「……斉藤、愛奈ちゃんって言うの? 仲良くしましょうね?」 


 名札を見て、名前が分かったのか、わたしを呼ぶ女の子。

 その声色は怒り等含まれているようには感じられなくて。


 仲良くしましょうね。その言葉が頭で反芻される。


「……ぁ、わ、たし……」


 この時、確かにわたしの胸は微かに熱を持った。

 わたしは言葉を紡ごうとするが、上手くいかなくて。


「ん?」


「……」


「改めて、私は松井美里って言うの。ふふ、もうこれで友達よ?」


「ぁ……」


 首を傾げる女の子に、申し訳ない気持ちと……少しばかりの淡い期待が胸に湧いたのだった。






 

─────







「松井さん今日も来なかったね……」

 

 放課後の教室。

 席に座った斉藤さんが窓から外を見ながら呟いた。


「そうね。いつになったら来るのかしら? そろそろ待ちくたびれたわよ?」


「まあまあ、そう言うなよ真澄ちゃん。あのケガだろ? 顔のアザだって治らないと来れないじゃないか」


 同じく自席に座る真澄が頬杖をつきながらぼやく。真澄の机に腰を下ろす高畠さんは、松井のフォローに回っていた。


「それは、そうかも知れないけれどさー」


「早く来れれば良いんだけどな」


 例の一件からは既に一週間が経過していた。俺も松井と出くわしたあの日以来松井の姿は見ていない。マンションを知っているとはいえ、部屋は知らないしわざわざ会いに行く間柄でもない。


 連絡先を知っている者はこの中にはおらず、クラスには居るのだろうが、何をどう連絡するのか? と考えると事が事なだけに連絡も取り辛かった。結局の所、このように待ちの姿勢になっていた。


 松井が路上で絡まれていたあの日の事は、この子達にもかい摘まんで伝えていた。

 再び襲われていた、等と不安を煽る事は言いたく無かったので伝えた内容と言えば『松井と会った。近い内に登校すると言っていた。斉藤さんに言いたい事があるらしい』程度の内容だが。


「大丈夫だ斉藤さん。本人も残る様な酷いケガは無かったって言っていたしな。すぐに来るさ」


「うん……そうだね!」


 少し心配そうに陰りのある笑みだったが、斉藤さんは笑ってくれた。


 俺らは揃って教室を出た。





 今日は職員会議があり顧問も居ない事から、高畠さんの所属する女子バスケ部はお休みになったらしい。ちなみにダーリン藤島の男子バスケ部は活動中。女子は朝練したから良いんだとさ。


 女子三人組は俺の前を楽しそうにお喋りしながら歩いていた。

 俺はぼんやりとその後を着いていく。


 三人はこの後、寄り道をして帰るとかなんとか。俺は相変わらずバイトなので参加は出来ない。


 ふと、先日モールに遊びに誘われた時、真澄はボディーガードだとか言っていた事を思い出す。

 よくよく考えると、あれは松井の一件があったからこそあの言葉が出たのかと嫌な納得を今更の様にした。是非とも今後は危ない事はしないでもらいたいものだ。


 俺たち一行は乗降口から出て校門へ向かう。


 外に出ると未だ強い残暑を感じる空気が肺を満たした。

 9月になり僅かに日が暮れるのが早くなった気がする今日この頃。後一月もすれば秋が色濃く顔を覗かせるだろう。と、そんな季節の移ろいに思いを馳せながら歩いていた。


 年寄り臭いだろうか?


「……あれ?」


 とりとめ無い思考は、斉藤さんの声に遮られた。


「あの子……」


 斉藤さんの声に、全員で彼女の視線を辿る。


 斉藤さんの視線は一直線に、学校の正門に向けられていた。そして、そこには一人の女子生徒。校門を背に、長い黒髪の女子生徒が佇んでいた。


「斉藤さんの知り合い?」


 真澄の疑問の声が上がる。それは俺らの代弁でもあった。


 クラスの生徒では無いはずだ。俺はあの生徒には見覚えが無い。自慢では無いが、他のクラスなんて微塵も知らない。斉藤さんの友達だろうか? 他クラスに友人がいるとは知らなかった。


「うん……」


 斉藤さんはそれだけ呟くと、駆け出してしまった。


 突然の斉藤さんの行動に、俺らは顔を見合わせると彼女を追いかけた。

 駆けながら、校門も近くなった頃。斉藤さんが声を張った。


「……松井さんっ!」


「「えっ!?」」


 真澄と高畠さんの驚いた声が被る。


 斉藤さんの声には俺も驚いたが、髪色は変わっているものの体型や後ろ姿なんかを見てすんなりと斉藤さんの言葉に納得がいった。

 むしろ、直ぐ様分かった斉藤さんにビックリだ。俺は先日一緒に居たから分かったような物だ。


「……斉藤さん」


 振り向いた松井は先日の様な腫れた顔では無く、よく整った美人と言える綺麗な顔をしていた。

 顔の腫れは無事引いたようで一安心だ。


 斉藤さんは松井と対峙するように立ち止まった。


 俺らは二人の邪魔をしない様に、離れた位置で立ち止まった。


 斉藤さんと向き合う松井の表情は、どこか決意めいたものを感じさせる。

 それもそうだろう。松井が最初に伝えたい言葉は、もう分かっているのだから。


「ごめんなさいっ!」


「……」


 松井は何かを断ち切る様に頭大きく下げた。それは数年の間、二人に絡み付いた鎖だろうか。はたまたこれまでの自分自身なのか。


 たかが数年、されど数年。この年頃の少女には長い時間だっただろう。


「今まで本当に、本当にごめんなさい! 私が斉藤さんにしてきた事は、簡単に許される様な事じゃ無いのは分かっています。身勝手で都合の良い話なのも。それでも、あなたに謝らせて下さい。……今まで、本当に申し訳ありませんでしたっ!」


 松井は更に深く頭を下げた。


 斉藤さんの言葉を待っているのだろうか、松井はそのまま顔を上げない。


「松井さん……」


 松井は頭を下げたまま、口を開いた。


「私はある事情があって人間不振、みたいな状態だったの。私はそんな自分の存在価値を示そうと、肯定しようと、自分を安心させようと斉藤さんの事を見下してきたの。私より下の人が居る、私は人より上に立って居る、だから安心出来るって。斉藤さんだけじゃない沢山の人に迷惑をかけた。自分を保つ為だけに色んな人に迷惑をかけてきたの」


 斉藤さんは松井の言葉を遮る事無く、聞いている。松井を見つめる表情には、険は見られない。


「斉藤さんには、特に酷い仕打ちをしてきたと思います。思い返すと本当に酷い事をしてきました。今では後悔しかありません。……簡単に許して貰えるとは思いません。だけど、斉藤さんの心が晴れるまで、私に謝らせて下さい」


 が、斉藤さんの表情に徐々に変化が見られてきた。


 おや? ……ちょっと怒ってる?


「例え、どんな仕打ちを受けようと構いません。それくらいの事をしてきたから。だから私───」


「ストーップ松井さん!!!」


 松井の謝罪は斉藤さんの大声によって遮られた。


 ……ビックリした。

 隣に居る真澄や高畠さんも驚いている。

 下校途中の生徒も。何事かと、こちらを窺っている。


 斉藤さんは集まる視線を気にする様子も無い。

 随分と成長したものだ、なんて呑気な事は言ってられない。


 斉藤さんは何故か笑みを浮かべていた。

 ……なんだか凄味のある笑みを。


「あ、あの、斉藤さん……?」


 斉藤さんの変わり様に、松井も下げていた頭を上げていた。


「卑屈過ぎるよ松井さん!」


「だ、だけど、私は……」


「だけど、じゃない!」

 

「あ、あの……」


 更に驚いた。


 あの斉藤さんが、あの松井を言い負かしているぞ。


 一学期の斉藤さんが見たら、ひっくり返えるわ。


「わたしね、松井さん……」


「は、はい……」


 松井は斉藤さんの言葉を待つように息を飲んだ。

 ついでに俺らも。


「もう、怒ってないよ?」


 斉藤さんは、何気無いように言葉を紡いだ。


 凄味のあった笑みは失せ、そこにあるのはいつも通りのエンジェルスマイルであった。


「え?」


「松井さん、この前ちゃんと謝ってくれたじゃない。わたしはそれで十分だよ?」


「だけど、それだけじゃ……」


「だけど、じゃないよ? それに松井さんにも事情があったんでしょ? だったら仕方ないんじゃないかな?」


「そ、そんなの私の勝手な言い分で……!」


「嘘なの?」


「い、いや、本当……」


「ほら、それなら仕方ないよ」


「え? あ、あの、わ、私……」


 斉藤さんのとんでも理論に松井はたじたじだ。以前の大きな確執から意気込んで謝ったものの、当の本人は仕方ない事だと笑っている。松井からすれば肩透かしも良いところう。予想外だったろう。

 だけど、それでこそ斉藤さんらしい。底抜けに純粋で優しくて。俺はそんな様子に思わず笑ってしまう。


「ははは、斉藤さんらしいじゃないか」


「本当にね」


「さすが愛奈ちゃんだな!」


 真澄と高畠さんも笑っている。


「それにね、わたし思い出したの」


「?」


「前にね。わたしと松井さんが初めて会った日。中学二年生の始業式……」


「あ……」


「うん。あの日。教室でみんなの視線に怯えて、一人で自分の殻に閉じ籠って、俯いてばかりだったわたしに声を掛けてくれたのは松井さんだけだった」


「そ、そう、だけど……あれは……」


「ううん。理由はどうであれ、声を掛けてくれたのは松井さんだよ? 結局、返事も出来なかったし、その後も全然喋れなかったけれど。あの時、本当は嬉しかったんだ。仲良くしよう、なんて言われたの初めてだったんだ。頑なだったわたしの心を動かしてくれたんだよ」


「だ、だけど私っ……それなのに……ごめんっ!」


「ううん、わたしもだよ。……松井さん、せっかく声を掛けてくれたのに、無視しちゃってごめんなさい。あの時の事、謝らせて?」


 斉藤さんはそう言いながら、一歩二歩と松井に近付いた。

 ごめんなさい。そう頭を下げた斉藤さんははにかむ様に笑った。


「ま、愛奈、ちゃん……っく……ひっく……」


 笑顔を向けられた松井は堪えきれない、といった様子で表情を崩した。

 斉藤さんはそんな松井の手を両手で優しく取った。


「えへへ……また、名前で呼んでくれたね……? あの頃名前で呼んでくれた事、実は嬉しかったんだぁ」


「ぅ、うんっ、私……」


 斉藤さんも覚えていた。当初は名前で自分を呼んでくれていた事を。


「うん……」


「また、愛奈ちゃん、って……ひっく、呼んで……良いの……?」


「うん、もちろんっ!」


 斉藤さんは満面の笑みで頷く。

 松井は俯き、自分の手を優しく握る手をかき抱いた。


「まなちゃん、愛奈ちゃん、もう一度あの時の……ひっく……いわせてくださいっ……」


 そして、涙でくしゃくしゃの面を上げると斉藤さんを見つめ口を開いた。


「……わ、私と……友達になって、下さいっ!」


「うんっ! なろう! 友達! 美里ちゃん!」


「っ……ふぇっ、うぇえぇぇぇんっ……」


 塞き止めていたモノが決壊したかの様に、松井は泣き出した。それを優しげな笑みを浮かべ見守っていた斉藤さんだったが。


「な、泣かないで、美里ちゃん……? ね、ね? わ、わたしまで……っく、な、泣いちゃいそう、だ、よぅ……ぅうっ、っく……ふぅえぇぇぇんっ」


 どちらからともなく抱き合った二人は揃って泣いてしまった。10センチは有るであろう身長差に斉藤さんは松井の腕に収まってしまっていた。

 髪色は違えど、その様子はなんだか仲の良い姉妹の様にも見えた。


「なんで斉藤さんまで泣いちゃってんのよ……」


 そんな憎まれ口を叩く真澄だったが、その眼差しはとても優しげに細められていた。


「っく、ひっく、愛奈ちゃん、っく……良かったなぁ! 本当に良かったぁ! うわぁぁぁあんっ」


「た、高畠さん……!? まったく……ふふっ。よーしよし」


 感受性豊かなのか、隣のポンコツさんは大号泣していた。さすがの真澄も少し引きぎみだったが最後には笑っていた。





 未だに抱き合う二人を見ながら、俺は一つ息を吐いた。


 その溜め息は安堵によるものか。何となく、肩の荷が降りたような、そんな溜め息だった。


 斉藤さんと仲良くなって早数ヶ月経つ。

 

 その間、斉藤さんの色々な一面を見てきた。


 悲しみに暮れる姿から始まり、恥ずかしがる姿、喜ぶ姿、笑う姿、楽しむ姿、驚く姿、困る姿、不安そうな姿 、怒る姿、誰かを思いやる姿。


 どれも斉藤さんの魅力的な素敵な一面だ。しかし、それも出会った頃は大きく複雑に入り組んだ柵に包み隠されていた。


 それを何とかしたいと、天使のような笑顔をいつでも振り撒ける、そんな彼女で居て欲しいと俺は思った。

 俺の身勝手な押し付けだったかも知れないし、勝手に背負った気で居ただけかもしれない。


 それでも。

 今こうして、嬉し涙を流して、嬉しそうに笑う姿に、俺もどこかで支えになれていたのなら良いな、なんて思うのだ。


「良かったな、斉藤さん……」


 大きな柵を乗り越えた斉藤さんが、天使がこれから自由に羽ばたく姿を、俺は脳裏に描き笑みが溢れたのだった。


















お読み頂きありがとうございました。

ゆるーくで纏めたのでした( ´-`)

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