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第102話 わたしは負けない

本日もよろしくお願いいたします。









 声に振り向くとそこには五人の見知らぬ女性達の姿があった。

 皆一様にけばけばしく派手な装いと染髪で、わたしを睨むか薄ら笑いを浮かべていた。内三人のその手にはタバコが燻らされていた。

 コンビニで買った物なのか、足下には袋やゴミが散乱していた。


 わたしは五人の中でも声をかけて来た人物に注目した。


「……?」


 ……あれ……? 松井、さん?


 よく見れば、声をかけて来た人物はクラスメイトの松井さんに見えた。

 そう言えば、とわたしは最近松井さんを学校で見ていない事を思い出す。

 二学期が始まってからは一度も見ていない。体調不良だとかで休んでいた筈だけれど。


 わたしは改めて松井さんの装いに意識を向ける。他の人同様に派手な格好や明るく染めた髪に直ぐには気付けなかった。松井さんの一学期の装いとはかけ離れていて、染め上げた髪は明るい茶髪になっており、着崩した服からも別人のようになっていた。


「ねぇってば斉藤さん? 聞いてるの?」


「あ、は、はい……」


 松井さんの言葉自体は優しげではあったが、その声には一切の暖かみを感じる事が出来ず、わたしは気圧され言い淀む。

 表情に浮かべる笑みからは薄ら寒さしか感じられない。


「はぁ……。はい、じゃなくてさぁ。私は聞いてるんだけど?」


 あからさまなため息を吐きベンチからおもむろに立ち上がる松井さんにわたしは思わず半歩後退ってしまう。

 どうしてもこれまでのトラウマじみた経験が足をすくませる。


「ねぇ、聞いてる? 斉藤さん?」


「そ、それ、は……はい、学校は、楽しい、です……」


 どもりながら何とか答えるわたしに松井さんは薄ら笑いを深くさせた。

 その表情にわたしは自身の顔の血の気が引いていくのを確かに感じた。


「ふふふ……。んー、そっかそっかぁ……」


 意味あり気に笑う松井さんは、何度か頷き。









「……つまんない」


 一切の表情を無くした。

 ただ、その瞳にだけ感情の色を残して。


「っ……」



 険悪、嫌悪、怨嗟、自棄、嫉妬、羨望、言葉では上手く言い表せない様々な感情がない交ぜになった瞳。


 だが、わたしにはそれを汲み取ることが出来ない。


 宗君、唯ちゃん、藤島君……それに、菅野さん。他にもクラスの中で新しく出来た友人達、皆のお陰でわたしの心の奥底に巣食うキズは徐々に癒えていった。

 行きたくも無かった、憂鬱しか在りはしない、自分の存在価値を見い出す事の出来なかった"学校"が、気づけば好きになっていた。行きたい、と思えるようになっていた。


 しかし、今目の前に居るただ一人のクラスメイトが再びキズを抉ろうと、わたしの心にその爪を突き立てる。


「楽しい……? は? あんた何言ってんの?」


「ぇ……?」


 無表情に、つらつらと彼女は続ける。


「なんであんた如きが学校を楽しんでんの? マジで意味分かんない。あんた何様のつもりよ。そんな資格があんたにあるとでも思ってるわけ?」


「ぇ、ぃや、わ、たし、は……」


「あぁ? ウザいんですけど。つか、今私喋ってんだけど? 口開かないでくれる? グズが……」


「……っ」


 ただ、ただ理不尽なだけの容赦無い言葉の剣は、鋭利に尖った感情は、例えようの無い痛みを伴ってわたしの心に突き刺さる。


「はぁ、あんたはまだ自分のポジションが分からないの? だからバカは嫌いなんだよね。あんたはさぁ、縮こまってクラス隅で小さくなってびくびくしてんのがお似合いなの。いじめられっ子がお似合いなの。分かる?」


 彼女の言葉に思い出す。


 一学期の自分を、クラスの隅で周囲に、眼に、声に怯え過ごしていた日々を。


「ぅ、ぁ…………」


 心に感じるあまりの痛みに鞄は手を離れ、地面に転がる。

 わたしは堪らず胸を両の手で押さえていた。

 胸を押さえる手は無意識に制服を、きつくきつく握り締める。


「何やってんの? ホント、みっともないなぁ。あはははっ」


 わたしの姿を見下ろす松井さんは高笑いを上げた。

彼女の笑いに触発されたのか、周りに居た人達も釣られるように笑い出す。


「きゃははっ、美里エグい言い方するねぇ!」


「そーだよ、この子かわいそー、あはっ」


「そう言う、サエっちも笑ってるじゃん! きゃはははっ」


「「「きゃはははははっ」」」


 きゃはは、と甲高い耳障りな笑い声が辺りに響く。


「…………死ねば良いのに」


 松井さんの呟きが耳を打った。




 頭の中は真っ白だった。


 何も考えられていない。


 息は浅く、動悸は激しい。


 最初でこそ感じた理不尽は、既に感情の波に押し流され遥か彼方へと遠退いていた。


 虚無感の中に痛みだけを置き去りにしたようで。


「……はぁっ、はっ、ぅ……ぁ……」


 笑う膝は遂に自重すら支えきれず、わたしは地面にへたり込んだ。


 震える膝と手先をぼんやりと見つめていると、視界はぼやけ滲み始めていた。



 なんで、なの?


 なんで、わたしなの?


 なんで……。


 答えの返って来ない疑問が胸中を渦巻く。

 しかし、それは次の松井さんの言葉で打ち消されることになった。


「ほんと何やってんの? ……友達も作れない、勉強も出来ないバカは、バカらしく大人しくしていればいいんだよ。ね、おバカさん? きゃははっ」


「……っ」









 彼女の言葉の一つが、うちひしがれたわたし胸の奥に火を灯した。














「…………………………がぅ……」


「……はぁ?」


 わたしは気づけば、口を開いていた。


「…………ちがう……もん」


 口をついて出るのはあの人がわたしにくれた言葉。わたしは否定する。


 面を上げると彼女に向けて、彼女の言葉を否定する。


「あ?」


「違うもんっ、わ、たしは、バカじゃないもん!!!」




 本当に子供っぽい、稚拙な反論。

 だけど、わたしの胸に広がるのは、思い出すのは暖かさ。


 心を満たすのは先程までの虚無では無い。


 大きな彼の大きな優しさと、大きな心の暖かさと。


 わたしの頭を優しげに撫で付ける大きな暖かい手は。

 優しげにわたしへ向けてくれるその笑顔は。

 優しげに、だけど力強くわたしを支えてくれる言葉は。




 わたしに力をくれる。




 ああ、なんて単純なのだろう。

 だけど、とても強い。

 好きだという、この気持ちは。




 もう、膝が笑うことは無かった。

 もう、手が震えることは無かった。


 一息にわたしは立ち上がる。


 目許を拭うと、わたしは目の前の松井さんを見据えた。


「わたしはバカじゃない。わたしには一緒に遊んだり、勉強したり、相談したり、助け合う、そんな友達が居なかっただけ」


 全く締まらない情けない主張ではあるが、宗君がわたしを怒って、教えてくれた大切な事だ。

 バカだと自分を否定するわたしを叱ってくれた。


 なんで、わたしはこんなに大切なことを忘れていたんだろう。


「だ、だから何?」


 突然変わったわたしの様子に、松井さんは少したじろぐ。





 大丈夫。


 わたしはもう負けない。









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