批評と批判はなろうの華、か?
とあるなろう作品を読んだ読者が著しく気分を害した。
そしてそのことをコメントに残した。
そのコメントを読んだ作者もまた著しく気分を害した。
そしてそのことをコメントに残した。(以下ループ)
程度の差こそいろいろあるのでしょうが事実関係だけを拾えば、結局はそれだけのことだと私は思います。
ようするに、口喧嘩です。
意見の相違からなるこうしたトラブルは何もなろう作品の感想欄でのみ起こる特殊なトラブルではありません。古今東西、日常的に頻発する、ごくありふれたトラブルです。
昔の人も云ってます。火事と喧嘩は江戸の華、と。
火事も喧嘩も、そこら辺に咲いている華(花)と同じくよくあること。そして端から見ればなかなか見応えのある(華のある)見世物みたいなものです(私的解釈)。
喧嘩とは確かに端から見ている分には血湧き肉踊る、ちょっとした見世物ではありますが、いざ自分が当事者ともなると一転、のん気に見物出来る気分ではなくなります。
それでもまあ、月並みではありますが、当事者としてこうしたトラブルに関わった場合の解決方法とは、やはり。
「気にしない」こと。これに尽きます。
いわゆるスルースキルってやつですね。
とは言え、いざ自分が当事者ともなればスルーとはとても難しいことだと思い知ることになります。
このスルースキル「気にしない」を身につけるのに必要な条件は、結局のところ「場数を踏む」ことで学ぶしかないでしょう。
しかも自分自身が無駄に「怒らない」ように細心の注意を払い、自分の心をよくよく見張り続けながら場数を踏まなければ、早々身につくものではありません。しかし、やり続ければいずれは誰しもが出来ることです。
怒りは争いしか生まず、怒りから生まれた争いは、憎しみしか生みません。
よくある陳腐な台詞ですが、これは誰にとっても間違いのない、議論の余地などまるでない、単なる事実です。
結論として
作者、読者を問わず無益な争いを避けたい気持ちがあるのなら、ほんの小さな怒りでも、自分の心に怒りがある時は無理矢理にでも絶対にコメント(コメント返し)を書いて投稿することは控えることが肝心となります。
などと、華のない作者は供述しており……(笑)。