青の国
来た道を戻れば、すぐに洞窟の外に出ることが出来た。当たり前か。時間がかかったのは凛音の幻覚のせい。まるで空間をねじ曲げたんじゃないかと錯覚してしまいそうになる位の衝撃ではあった。
魔法みたいだな、なんて思う。この世に魔法なんて不確かで便利なモノは存在し得ないけど。
あたしの出身である青の国の人間は基本“青の力”を操れる。青の力とはつまり、水を主とするモノのすべて。雨が降ればもうそこは青の国の人間の得意な領域だと考えて間違えはない。
空中に存在する小さな水の粒を従えること、身体の水分を体外に出し利用すること、それが可能なのが青の国の人間だ。
といっても、そこに使用者側の力量、経験が大きく関係してくるけど。力を使うことが得意なひともいれば不得意なひともいる。努力してできるようになったひともいればまるで天才だと囁かれるようにこの世に生を受けた瞬間から優秀に力を使えるひともいる。逆を言えば血の滲むような努力をしたところで、その努力に実力が追い付いてこないひともいる。
この力は魔法ほど便利ではないけど、分かりやすいと思う。要は水の力を借りているのが青の人間ってことだ。水分がなければ青の国の人間は魔法みたいな力を使うことは出来ない。
例えば干からびた砂漠に行ったとする。そこでは空中にすら満足な水分がなかった。そうした場合、青の国の人間が使うのは自らの身体にある水分だ。
多少の個人差はあるだろうけど、人間の約70%は水分だとされている。そして、約20%以上が失われると死の可能性が出てくる。
つまり、そういうことだ。この世のすべての色が持つ力を使うにはそれなりの代償が必要。
他の色の力を使う人間にはまた別の代償が必要とされる。
ふと空を見上げれば雨がザアザアと降り続いていた。このまま歩いて帰るのも億劫だったから丁度良かった。
「Azul」
降り続く雨の中に身を投じて呟く。すると、身体に落ちる無数の雨粒たちが背中に氷の翼を作った。飛んでいけば、歩いて帰るより断然早い。
そっと足を地面から離し、崖から飛び降りるようにして速度をつけて地面スレスレのところで上昇して気流に乗る。
雨のせいで視界が悪い。目に入り込んでくる雨粒たちが邪魔で乱暴に頭を振りながらも無事に青の国の門が見えてきて、氷の翼を雨に溶かして降下していく。
門の側まで行くと門番が剣を抜いて立ちはだかったが、あたしの姿を確認するとすぐに門を開いて声をかけてきた。
「その血……怪我ですか!?」
「問題ないよ。返り血だから」
「返り血……!?」
「このことは誰にも言わないで」
余計な心配はかけたくないからね。言ったら「危ないところにわざわざ行くな!」って怒られちゃう。まあ、怒られたところで行くんだけど。残念ながら聞き分けの良い子ではないからね。
「わ、わかりました」
戸惑いながらも頷いてくれた門番に「ありがとう」お礼を言い、地下に降りて城を目指す。雨でびしょぬれなうえ、服に血がついていたんじゃ街中は歩けない。
そう。門のなかは青の国。あたしが生まれ、育った場所。青の国の血を体内に通わせている者のみが青の力を使うことができる。他国出身で青の国で育った者では青の力は持ちえない。自らの体内に通っている血の色に左右される。といっても、本当にあたしの体内に通っている血が青いわけじゃないけどね。両親が青の国の人間だったらその子どもは青の力を持つ。両親が青の国以外の人間ならその子どもは青の力以外を持つ。
この世界ではひとつ、禁忌ある。それは他の国の人間同士が結婚すること、子どもを持つこと。父親が青の国の人間で、母親が別の国の人間。それは禁忌だ。理由は子どもへの影響が懸念されているから。
地下を進んで城の庭まで出て、再び氷の翼を背に作り出して自分の部屋のバルコニーまで飛ぶ。バルコニーを進みながら、先ほどと同じように氷の翼を一瞬で降り続く雨粒と同化させる。
こんなこともあろうかとバルコニーの鍵を開けておいて良かった。
そのまま部屋に入り、乱暴に服を脱いでバスルームでシャワーを浴びる。そういえば、幻覚のはずなのに血だけは消えなかったのはなぜだろう。竜は幻覚でも門番たちは幻覚じゃなかったのか。
ザアァと、温かいお湯が冷えた身体を包んでくれた。バレることがないよう、しっかりと血の匂いを落としてからタオルで水分を拭き取る。服を着て、ある程度髪が乾いてからバスルームを出る。
血のついた服は黒い袋で包んでポイッとゴミ箱に投げ入れる。そして、自分の部屋のすぐ近くにある部屋にノックしてから入った。必要な物以外ないような、殺風景な部屋に大きなベッドがあり、そこで身体を休ませている人のそばに足を進める。
「お、青沙だ。突っ立ってないで座りなよ」
そう言われ、ベッドの横にある椅子に座って口を開く。
「蓮兄、体調どう?」
あたしの兄、青の国第一皇子、雨宮 青蓮がクスッと笑ってあたしの頭を撫でた。あたしよりも大きな掌が少し濡れている髪の上にフワリと乗る。
「青沙は会うといつもそればっかりだ」
「心配してんの!」
「あー、はいはい。大丈夫だよ。落ち着いてる」
「……ならいい」
身体を前屈みに倒して、ポスンとベッドの上に頭を乗せる。ベッドからは蓮兄の匂いがして、ほとんどの時間をここで過ごしてると思うと胸が痛くなった。
「青沙、髪少し濡れてる。ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ」
「気持ち乾かした」
「ちゃんと乾かさないと」
「んー」
蓮兄は何年か前から体調を崩している。病名も分からなければなんでこうなったか、理由だってわからない。分かることは、症状に統一性がない。それだけ。
身体の色々なところが急に痛んだり、激しい目眩、頭痛、嘔吐感で苦しんだり、高熱で魘されたり。痛みなく高熱のみの時もあれば痛みがあって高熱にも苦しめられる時もある。本当にいつどういう症状が起きるのか予想できない。すべての症状に対する対処をいつだって考えておかなくてはならない。
どれもこれも辛そうで見ていられないほど。布団に埋めていた顔を上げて蓮兄を見れば、鬱陶しそうに前髪をかきあげていた。藍色の髪に混ざって見え隠れする白髪。体調を崩し始めた時、蓮兄の軽くウェーブのかかった藍色の髪が少しずつ白く色を変えていた。
まるで色素を失うように。力を失うように。
蓮兄は、その頃からあまり力を使えなくなった。本調子じゃないってことも理由に挙げられるだろうけど、なんとなくそれだけじゃない気がする。青の力がだんだんと弱まっていってる気がする。でも、それでもいい。蓮兄の命の灯火が弱まるよりマシだ。
蓮兄に喰らい付いて離れようとしないモノはなんなんだろうか。その正体が目に見えていれば消してやれるのに。例えば、白い紙の上に並んだ真っ黒な文字たちを真っ白な修正液で強引に、満開だった桜が静かに地面に向かって散るように自然に、消してやれるのに。
「青沙」
「なに?」
「今までどこに行ってた?」
「え、」
蓮兄の瞳があたしを逃がさないように真っ直ぐに捕らえる。それに冷や汗が流れ出した気分になる。
「少しだけ鉄の匂いがする」
「え、えー?そういや廊下で転んだんだった!あは!」
おちゃらけでこの場を乗り切ろうとするも冷ややかな目で見られてしまい、観念して真実を打ち明けた。絶対に怒られる。門番への口止めもまるで意味を成さなかった。
「……魔女のもとへ行っておりました。はい」
「魔女?」
「そうです。はい」
「へえ、本当にいたんだ。それで?なにしに行ったの?」
「…………蓮兄の病気を治す方法を教えてもらいにいった。でも、分からなかった。知らないって」
語尾を徐々に弱めて反省してます感を出す。だけど、蓮兄は本当は反省してないってことを見破ってる。
「青沙は青の国第一皇女なんだからそんなむやみやたらと危ないところに行っちゃダメだろ」
「だってーーー」
「だってもなにもない」
ピシャリと言葉を遮られて肩を落とす。言い訳くらいさせてくれてもいいじゃんか。
「でも、ありがとうな」
「……うん」
蓮兄は再びあたしの頭を撫でて笑う。蓮兄はもっとわがままでもいいと思う。もっと欲張りになっても誰もなにも言わないよ。こんな状態になってから文句ひとつ言わない。弱音ひとつ洩らさない。
「……なんで蓮兄なんだろ」
そう言うと、蓮兄はいつも困ったように笑う。今だってほら。あたしの瞳にはなにも言わず、ただ困ったように眉を下げて笑う蓮兄が映る。
きっと、蓮兄だって同じことを思ってる。蓮兄が一番そう思ってる。それなのに、あたしが聞いたって答えられるわけない。一番知りたいのは蓮兄なんだから。抗えない事実が我が身に降りかかった時、それを物ともせずただ前向きに光だけを見て過ごせる人間なんていやしない、きっと。
気まずくなって、わざと明るい声で話題を変える。
「あ!蓮兄!昨日薔薇園に行ったんだけど、青い薔薇が綺麗に咲いてたよ!」
「そうか。じゃあ、あとで一緒に見に行こう」
「うん!」
「そういえば、明日はツヴィエート学園の入学式か」
「うん、寮生活になるからなかなか会えなくなっちゃうね」
明日から、あたしはツヴィエート学園に入学する。そこでは寮生活が義務づけられてるから、ここを離れることになる。それは寂しいけど、やっぱり楽しみでもある。
「寂しいけど、でも楽しみ。たくさんの国の子たちが集まるみたい」
「良い学園生活を送れるように、そろそろ寝たらどうだ?」
その言葉に、部屋にある時計を見ればすでに時刻は23時を回っていた。
「そうする。蓮兄、おやすみ!ちゃんと寝るんだよ!」
「わかってるよ。おやすみ。次こっちに帰ってきたら薔薇園に行こうな」
コクリと頷いて蓮兄の部屋を出る。そして部屋に戻ろうとしたとき「青沙ちゃん!」もう随分と聞き慣れた声に呼びとめられた。
声の方を振り返れば、目の前にはあたしの片割れがいた。双子の妹である青の国第二皇女、雨宮 青唯が手を振っている。あたしとは違い、髪の長さは肩に当たらない位の短さ。
「入学式楽しみだね!」
双子と言っても二卵性だから瓜二つではない。そんな青唯もあたしと一緒に入学する。楽しみだという青唯を見て、あたしもニコッと笑う。
「朝、起こしてね」
「え~、やだ。青沙ちゃん寝起き悪いんだもん」
「そ、そんなこと言わないで起こしてお願い!」
入学式から寝坊はまるでシャレになってない。武勇伝にはなるけどね。残念ながらまったく必要のない、誰も得をしない武勇伝だ。
渋る青唯になんとかお願いをして、部屋に戻ってクローゼットを開ける。そこには真新しい制服がかけてあり、それを見ればだんだんと口角が上がった。
学園の図書館を覗けば、医療の本も山ほどあるだろうし蓮兄のことについてなにかわかるかもしれない。まあ、それなりに楽しもう。そう思い、パタンと制服のかけてあるクローゼットを閉じた。